第2話 家出の理由と解決策

 家出の成功の余韻よいんに浸る間もなく、セクティアはとんでもない問題に遭遇そうぐうしてしまった。まさかの「国際問題」である。


「せ、戦争……」


 はぁ。悲鳴を上げたきり、目をまん丸にして立ち尽くす彼女を見て、幼馴染みは頭をかきながら言った。


「とりあえず何か腹に入れてから、じっくりと訳を話してくれ」

「アリガトウ」


 無意識にお礼が出てくるあたりはさすがに王族としてしつけられている証拠か、隠しきれない空腹感から来るものか。

 スヴェインが部屋の外へ顔を出して城の者に食事の支度を頼むと、ものの数分でいくつもの料理が侍女達によって届けられる。


 きっとセクティアのことは口止めされているのだろう。ちらちらと視線を送ってはくるけれど、直接詳細を訊ねようとする猛者もさはいなかった。

 前菜、スープ、肉に魚。本来は順序立てて運ばれてくるそれらを、スヴェインは空腹の王女のために全てテーブルに載せさせた。こうずらりと並べられると圧巻と言って良い。


「心配しなくても、お前のことは外部にはれない」

「……ありがとう」


 湯気の立つスープを口に入れた途端、優しい甘みが広がり、腹の底が冷えていたことに気付く。

 家から飛び出すことだけが頭を占めていて、こんな事態になるとはつゆにも思っていなかった。不思議と、瞳の奥が鈍く痛んだ。


「水分取ったら涙が出てきちゃった」

餓鬼がきか」


 向かい側の席から入る、呆れ混じりの突っ込みは王室には似つかわしくない物言いだが、それは二人が普通の幼馴染みではないからだった。


「何よー。人が頑張って一大決心したっていうのにー」

ふくれたってちっとも可愛くない」


 幼い頃、フリクティー王国の城で引き合わされた二人の遊び場は応接室でも温室でもなく、場内の一角に設けられた乗馬練習用の草原だった。

 共に馬にエサをやり、汗だくになりながら体を拭い、風を切って駆ける。そんな、まるで男同士のような友人関係を築いていたのだ。


 軽口を叩き合う二人の間には、遠慮など無かった。――と、今の今まで、二人とも思って居たのだが。


「スヴェインは……かっこよくなったんじゃない?」

「……」


 彼は、うっと言葉を詰まらせた。

 二人の親交は何年も前のことだ。周囲の思惑がどうであったのか、王子も王女も知らされていなかったし、次はいつ会えるのかと問いかけても明言してくれる者はなかった。


 だから、昔のまま気楽に話そうにも、変化と戸惑いを感じずにはいられない。改めて互いを観察すればするほどに成長して男性らしく、また女性らしくなった相手を認識してしまう。

 ただ、その傾向が特に強かったのはスヴェインの方だったらしく、セクティアは大きな瞳を悪戯いたずらっぽく細めた。


「ふふっ、照れたの?」

「うるさい。お前がそういう奴だってことを忘れてた自分が情けないんだよ」


 はぁ、と再び息を吐き出す。

 どれだけ外見が大人びても、根っこの部分では変わっていない。彼もそれなら、と気持ちを切り替えた。

 王子はわざとらしく咳払いをして、「それより」と切り出した。


「一体、何が原因で家出なんてしたのか、包み隠さず話して貰おうじゃないか」

「……」


 これにはセクティアの方が押し黙った。笑みを消し、むっとした様子でフォークをサラダに突き立てる。カツンという無造作な金属音が部屋に響いた。


「あのな、そんな態度を通せる場合じゃないって分かるだろ?」


 スヴェインは髪をきむしりたくなる衝動をぐっと抑え、説得にかかる。

 誰かと込み入った話をする時、感情的になって良いことは一つもない。幼い頃から躾けられた、交渉術の初歩の初歩だ。


「お家騒動でもあったか? ……もしかして、誰かが危篤きとく状態だとか」


 セクティアは瞳を見開き、食器を握る手に力を込める。かっと紅潮した顔で幼馴染を鋭く睨み付けた。


「そんな訳ないでしょ!」

「いや、悪かったよ。失言だった」


 セクティアの国、フリクティーは広大な自然を抱く農業大国だ。気候が温暖で土地も豊かなため、野菜から果物、花に至るまで様々な農産物を生産している。現在は余剰分を他国へ売って外貨を獲得していた。


「ダニエル王はご健在なんだろう?」


 軍事面は大した実力を持たないものの、国土が深い森に囲まれており、周りから攻められにくい地形をしている。

 それ以前に、ここは大陸の西の果てだ。大陸の中央にある大国からは離れているために、これまで大きな戦争にもあまり縁がなくやってこられた。


「勿論よ」


 そんな穏やかな国で「騒動」と言えば、専ら跡継ぎ問題だ。小さくとも一国の王の座。継ぐ権力の大きさを考えれば、揉めて当然である。

 加えて、今の王――セクティアの父ダニエルは、賢王とは言い難い人物だった。家族にも臣下達にも優しく朗らかな人柄ではあるが、良くも悪くも凡庸ぼんようで、「彼の国は大丈夫か」などとささやかれる始末だ。


「隣国の政治に干渉するつもりは毛頭ないが……」

「馬鹿にしないでくれる? お母様がしっかりしておられるもの。大丈夫よ」


 そんな囁きが噂で済んでいるのは、国王の凡庸さと比肩ひけんするほど有名な、王妃ベルの有能さ故であった。夫を支え、国を盛り立てる手腕は素晴らしいと国内外に評判だ。


「あ~、確かに」


 かつて接した時に見た、あの抜け目のない美貌びぼうを思い出して、スヴェインは深々と頷く。確かにあの王妃の目の黒いうちは、フリクティーが傾くことはないだろうと思わせるオーラがあった。


「って、それじゃダニエル王の評価は高くないって認めてることになるぞ」

「う、うるさいわねっ。お父様だって国民にちゃんとしたわれているわ。……多分」

「……。なら、家出する理由なんかないだろうに。姉上のカルディア王女は他国へ嫁がれ、王位はお前の弟のジュダ王子が継ぐのだろう? セクティアもそろそろ結婚する時期じゃないのか?」


 「結婚」という言葉を聞いた瞬間、彼女の青い髪がざわざわっと逆立ち、一度は引きかけていたはずの怒りが全身から吹き出した。

 がんっ、とフォークを握り締めた右の拳をテーブルに強く叩き付ける。


「だから家出してきたのっ!!」

「……はぁ?」


 突然の激昂げっこうに疑問符を投げかけながらも、スヴェインには問題の根が見え始めた。


「もしかして、もう婚約の話が進んでいるのか? だったら目出度めでたい。我が国からもお祝いを送らないといけないな。何が良いんだ?」

「全っ然! 目出度くないっ!」


 セクティアは今にもみ付かんばかりの剣幕で、もう黙っていられるかと一気に吐き出した。


「お父様ってば、私を中央大国の王子の側室にするなんて言い出したのよ。信っじられない! そんな縁談、誰が乗るもんですか!」


 口からは食べた物が飛び出す勢いだ。仮にも王族の食事風景とは思えない。


「大国の王子の第二夫人か。良い話に聞こえるぞ?」


 スヴェインは首を傾げた。何が気に喰わないのか、さっぱり分からなかったからである。


「俺達王族や貴族にとって、結婚は政治の手段の一つだ。国敵を減らし、今より良い位置に着くために、娘を嫁がせたり嫁を取ったりして姻戚いんせき関係を結ぶものだろう」


 セクティアは「側室」などと悪し様に表現したものの、第二、或いは第三夫人の地位になる。フリクティー王国にとって滅多にない良縁話のはずだ。


「お前だって、今と同じか、それ以上の暮らしが出来るだろう」


 黙って微笑んでいれば美しい淑女に見えるだろうに、赤い顔で全身を震わせていては台無しだ。勿体なさ過ぎて、見ている方が泣けてくると王子は思った。


「どこが嫌なんだ。結婚相手か?」

「見せられた姿絵は、ハンサム系で格好良かったわね」


 すっと通った鼻筋、さらさらの髪、優しげな瞳。うん、悪くはなかった。


「嫌だと言いながら、ちゃんと見てるじゃないか」

「何か言った?」

「別に。じゃあ、背が低いとか」

「私より高いらしいわ」

「大国の王子を鼻にかけて偉ぶっている?」

「誰にでも礼儀正しいって評判よ。……そうじゃなくて、こんな急過ぎる結婚自体が嫌なの。お相手と実際に会ったこともないのよ!」


 いよいよ王子にはお手上げだった。


「セクティアは確か16歳だったよな? なら、結婚して当たり前の歳だろ」

「そう言う問題じゃない」

「そもそも相手の情報を教えて貰えるだけでも有難い話だぞ」


 王族の婚姻ともなると、顔も見たことがない相手との結婚は珍しくない。国力が違えば強制される場合だってある。そこに本人の意思が入る余地は皆無だ。


「分かってるわよ。分かってるけど」

「じゃあ、どういう問題なんだよ」


 押し問答が嫌になってしまい、口ごもる。固く引き結んだ唇は、本人にも相手にも暫く開きそうにないように思われた。


「……!」


 その時、唐突にあるひらめきがセクティアの脳裏に浮かんだ。それは家出を思いついた時よりも強い気持ちで、まさに天啓てんけいのように感じられた。


「……ねぇ、スヴェイン」


 だから、幼馴染みの耳にも、とても決意がもっているように聞こえたのである。


「お願いがあるんだけど」

「これだけ世話をかけさせて、更にお願いって……。俺はこれからどうやってお前を穏便に帰そうか頭を抱えてるってのに」

「お願い! 一生のお願い」


 テーブルクロスを掴んで懇願する彼女に、スヴェインも折れる他無かった。「まぁ、聞くだけなら」と前置きして、お騒がせ王女の我がままに傾聴する。

 次の瞬間、その耳を引きちぎって捨ててしまおうと思うことも知らずに。


「スヴェイン王子。私と結婚して下さい」

「……な、何だって!?」


 スヴェインは目を剥き、声を上擦らせた。

 思わず立ち上がってしまったせいで椅子が後ろに倒れ、指先がテーブルクロスを引っかけたらしく皿を何枚か滑ってしまった。

 がちゃん! と盛大な音を立て、高価な食器類が粉々になる。


「おっ、お前、自分が何を言っているのか分かってるのか!」


 部屋の外に控えていた侍従が物音に気が付いたらしい。「殿下、どうかなさいましたか」と声がかかる。

 慌ててスヴェインが「何でもない」と答え、一呼吸するとトーンを落として続けた。


「さっきも言っただろう。他国の王室に逃げ込んだなんてことが漏れたら、国際問題に、下手したら戦争になるって! それなのに今度は結婚? それこそ衝突は避けられなくなる!」


 スヴェインからすれば、開いた口が塞がらないとはこのことだった。この馬鹿はこれまで説明したことを一つとして解っていないと。

 しかし、セクティアは怒り心頭の相手を前に、妙に冷静だ。


「事情は私からちゃんと説明するから。『セクティアはスヴェインと、かねてから結婚の約束をしていた』って」

「そんな約束はしていない!」


 とんでもないでっち上げに、王子は底知れぬ恐怖を感じた。王女が本気で自分との結婚を画策し、実行に移そうとしていると判ったからだ。


「何よ、そんなに私が嫌いなの?」

「論点がずれてるだろっ!」


 このままではどんどん計画が組み上がってしまう。放っておけば二人は転がる小石の如く人生のゴールインまでまっしぐらだ。


「とにかく、少し落ち着け。部屋を用意させるから、しばらくじっとしているんだ」

「何よそれっ。私を閉じ込める気? それじゃあ家出した意味が無いじゃない!」

「あのなぁ、自分で言ってて虚しくないか? 主張が支離滅裂だぞ」


 セクティアは親に結婚を押し付けられるのが嫌で家出した。帰国させようとして反発されるならまだしも、留まっていろと指示されて腹を立てるのはおかしな話である。


「これじゃ『軟禁場所が変わっただけ』だって言ってるのよ!」

「落ち着けって。お前は国に帰りたくないんだろ? だったら、そのためにどうすべきか考える時間が必要だ。『俺との結婚』以外の案を考える時間がな」

「えぇ、良い案でしょ?」

「ど・こ・が・だ。意味不明だし俺の意思は無視だし、穴だらけだろうが」


 今頃フリクティーは躍起やっきになって家出王女を探索しているはずだ。追いかけていた兵士の証言があれば、国内にいないこともすぐに判明する。こちらへ目が向くまで猶予はないだろう。


「こちらからは連絡しないことで数刻稼ぐ。ただし、問い合わせがあれば素直に答える。戦争を防ぐためだ。これだけは譲れない」


 言って、彼は足早に扉へと向かった。側近を呼び、いくつか指示を告げて部屋を出て行く。目を合わせるとまた不毛な言い合いになる気がしてか、一度も振り返らなかった。

 かちり、と扉が鳴る。鍵を閉めたのだと気付き、セクティアは気色けしきばんだ。


「ちょっと! 帰ってきなさいよー!」


 手に持っていた銀スプーンを、閉まった扉に容赦なく投げつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る