第3話 反省会と小さな刺客
「こちらで
セクティアは、スヴェインの側近であるシンという青年に連れられ、客間へと通された。
隙をついて逃げ出そうかとも考えたが、他にあてもなく、
シンの涼しげな瞳、すらっとした長身、気品が漂う身のこなし。さすが王子の側近を務めているだけはある。婚約を迫った幼馴染みとは違った魅力を持つ好青年だ。
「あ、ありがとう」
すれ違った人が思わず振り返るような細面に見とれて、危うく返事をし損ねるところだった。そんな自分に気が付き、慌てて取り
「スヴェイン、怒っていたでしょうね」
「殿下はお優しい方です。ご安心下さい」
「そう……だと、良いのだけれど」
あの様子を見れば怒っていないはずはないのだが、シンが言うと本当のことのように聞こえるから不思議だ。
中へ入ってみると、清潔なベッドにソファ、テーブルにさりげなく飾られた調度品など、居心地が良さそうな空間だ。高貴な身分の人をもてなすための部屋だと一目でわかる。
「良い部屋ね」
ここは三階だろうか。外へせり出したテラスからは先程の部屋と同様に城下町を一望出来る代わり、かなりの高さがあった。防犯のためか、はたまた逃亡防止の意味があるのか。
シンは深々と一礼した。
「申し訳ございません。主の命令で鍵をかけさせて頂くことになっております。控えの者がおりますので、何かご用がございましたら遠慮なくお申し付け下さい」
「わかったわ」
控えではなく、お目付け役でしょう。そう言いたくなる口を閉じて、セクティアはベッドに倒れこんだ。真新しいシーツの匂いを胸いっぱいに吸い込み、吐き出す。
「あ~あ。やっと退屈なお城の生活から開放されたと思ったのに」
王家の女性としての振る舞いを教え込まれる日々は、奔放な性格の彼女には窮屈極まりないものだった。幼い頃こそ乗馬などに親しんでいたが、年頃になると周りがそれを許さなくなってきたのだ。
セクティアとて、いずれ結婚しなければならないことは覚悟もしていた。けれど、同時に結婚して新しい土地へ行けば何かが変わるのではと期待してもいた。
それなのに、親が用意した相手は大国の王子だった。
肖像画で確認した顔も、悪くはないものの好みでもない。王女にはあるまじき理由だが、それも家出の決め手になった。
「あんなのと結婚したら、それこそ自由がなくなっちゃうじゃない。そんなのは絶対に嫌。……毎日眺めても飽きない、素敵な旦那様なら考えるけど」
枕に向かってぶつぶつと不満をぶつける。
今以上に贅沢は出来るのかもしれない。上等な服を着て美味しい物を食べ、花を愛でたり刺繍をしたりしながら、悩みもなく毎日を過ごす。
それを幸せと呼ぶ人もいるだろう。いや、大勢の人間にとっては夢の暮らしに違いない。
「でも、何か違うのよね」
セクティアは両親が笑顔で話す将来像に、違和感を拭いきれなかった。言葉を交わしたことすらない相手の隣に立ってにこにこしているなんて、考えるだけで耐えられない。
第二夫人になれば、正妻たる第一夫人と世継ぎ争いだのなんだのと争いに巻き込まれる恐れもある。
そうなった時、優しい家族に囲まれて安穏と生きてきた自分に凌ぎ切れるとは思えない。多少は、スリルを感じて面白そうな気もするが。
「それにしても暇ね。何してろってのよ」
改めて室内を見回す。白を基調とした、美しく整えられた部屋には文句の付けようもないが、時間を潰せそうなものは見当たらない。
「本棚かチェス盤でも置いてあれば気が紛れたのに……じゃなくて」
そういえば、この部屋に通されたのは考えを
この場を整えさせたスヴェインの背中を思い出し、ふと、己の素晴らしい思い付きについて再考する。
「スヴェインと結婚するって、良いアイデアだと思ったのよ」
数年ぶりに出会った幼馴染みの顔を見た時、懐かしさが胸をよぎった。そして会話を交わしていくうちに、彼とならと思う自分に気が付いた。
考えてみると、勢いで結婚を口走ったのは事実だとしても、全くの偽りから来る言葉でもなかったのである。
「けど、いきなりあんなこと言って、失礼……だったかな」
相手にしてみれば、下手な冗談にしか聞こえなかっただろう。
ぷぅと膨れる。確かに恐ろしく浅慮な行為だった。
「私っていつもそうだ」
昔から考えるより体が動くタイプだった。それが周囲には突飛に映るせいで、会話のリズムを崩し、相手を驚かせ、信用を失う。
教育係には何度、「もう少しよくお考えになって下さい」と叱られただろう。子どもの頃よりはマシになったと思っていたけれど、この年になっても治らないのであれば完治は絶望的かもしれない。
「もしかして、だから遠くへやろうって話になったのかも……?」
大国は遥か東にあり、途中には数国を挟んでいる。それだけの距離があれば、短気な姫の噂も届くまい。
第二夫人であれば、正式な場に出て当人と出身国の恥を
「有り得る!」
枕に顔を埋め、うがーっと吠えた。思当たる節があり過ぎて反論出来ないのが情けない。
が、今更どうしようというのだ。これが自分で、すでに行動を起こしてしまったのだ。引くという選択肢は、ない。
「はぁ、とにかくスヴェインにはあとで謝っとこ。……よし、反省終了!」
そんな猪突猛進なセクティアの長所は、悩みにはまらないことだ。悪いと思ったら頭を下げ、反省したら気持ちを切り替える。王家の女性としてはおよそ不似合いだが、これが彼女という人間だった。
「さてと、これからどうするか考えなくちゃ」
一手が駄目なら、二手三手と波状攻撃あるのみだ。素早く起き上がり、ベッドに座り直して今後について考え始めた。「手数で勝負」が彼女の信条だ。
「うーん、じっとしてたら逆に思考が鈍っちゃうわね」
そうして、ぶつぶつと呟きながら今度は部屋を歩き回り始めた時だった。
コンコン。ふいにドアがノックされる。またシンか、それともスヴェインだろうか?差し入れなら有難く頂こう。
「どうぞ」
予想に反して扉から顔を覗かせたのは、まだ顔にあどけなさを残した少女だった。
緑の髪を頭の左右でお団子状に結い上げ、大きな瞳でこちらを見ている。いや、正確には疑わしい視線を送っている。
「えぇと……どなたかしら?」
ふわりと広がったドレスは少女の可愛らしさを引き立てる。その上品な身なりからして、高貴な身分なのだろう。城を訪れた貴族の令嬢だろうか?
セクティアは初対面から自爆する必要もないと、努めて柔らかい口調で問いかけた。ところが、そんな優しさは一切伝わらなかったようだ。
「あなたがお兄様に結婚を申し込んだ、世間知らず女?」
空気が凍り付いた。
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。まさか、目の前の愛らしい少女が、そんな下世話な台詞を発するとは思えなかったのだ。腹話術と言われた方がまだ納得する。
「あ、あの……」
どう答えて良いか判断しかね、言葉を
「礼儀知らずだと思われるのは心外ですから教えて差しあげますけれど、私はユリア。ユニラテラ王国の第一王女ですわ」
「えっ。わ、私は」
「知ってます。フリクティーのセクティア王女でしょ。さっきシンから聞きました」
「そう……」
突然入ってきて暴言を吐いておきながら、「礼儀」もない気がしたが、口を挟む間もない。完全に会話のペースを奪われてしまっていた。
「あら。ということは、スヴェインの妹さん?」
ユリアと名乗った少女の怪訝そうな眉がぴくっと釣り上がる。やっと気が付いたのかといわんばかりだ。
「えぇ。スヴェインお兄様は私の、下のお兄様ですわ」
すっかり忘れていたが、スヴェインには兄が一人いた。
第一王位継承者の、名前は確かジェライド王子だったと記憶している。子どもの頃は、外へ出て行くことを好むスヴェインとは対照的に、読書好きで線の細い人だった。
「ごめんなさい。初めてお目にかかります……よね?」
思い返してみても、隣国の王子との想い出の中に目の前の少女は現れない。
「ユニラテラ王家の女性は軽々しく外へ出たり致しませんもの」
痛烈な厭味に頬が引きつる。しかし、相手は幼い王女で、幼馴染みの妹でもある。ここで短慮はまずい。
「と……とにかく、こちらへどうぞ。こうして折角お越しくださったのですから、お茶でもいかがかしら」
スヴェイン相手にはあけすけに喋っていても、セクティアとて一通りの躾けをされた王女であることに変わりは無い。マスターした「王女として相応しい振る舞い」と「礼儀正しさ」を総動員して微笑んだ。
ユリアは口の端を上げ、吐き捨てるように言った。
「尻軽女のいれたお茶なんて飲めませんわ」
「!」
なんですってー! と心が叫ぶが、口がぱくぱく動くばかりで声にならない。
それでもこちらがずっと年上なのだ。子どもと言い争っても無意味だと、無理やりに笑みを深めた。
「あら、誤解されているようですが、『結婚』というのはものの弾みで、私もなんてことを言ってしまったのかと思っています。きちんと謝罪をして取り下げるつもりでいます」
本当は全くそんな気はないが、滔々と告白してやる義理もない。ひとまずお引き取り願おう。留まって貰っては、遠からず血の雨が降る予感がする。
「当たり前じゃない。あなた如き田舎娘がお兄様と婚約だなんて、分不相応。畏れ多いにも程があるわ」
「な、なんですって……?」
酷い言い様にいよいよ堪忍袋の緒が切れかける。それを遮ったのは鋭い声だった。
「ユリア! こんなところで何をしてるんだ!」
「お、お兄様……」
いつの間に入ってきたのか、緊張の連続でノック音も聞こえなかった。スヴェインは二人に歩み寄ると、妹にもう一度詰問した。
「ここで何をしてる、と聞いてるんだ。俺は許可を出した覚えはない。それに、勉強の時間だろう。教育係が探していたぞ」
セクティアと口喧嘩をした時とはまた違った威圧感を発している。堂に入った様子から、こういう場面が度々あるのだと察せられた。
「こ、これはその。お兄様に近寄る不埒な猫を追い払おうと――」
「そんなこと、お前に頼んだ覚えは無い!」
ひっ、と妹が息を呑む。兄は、一喝した後で素早く諭す口調に変じた。
「ユリア。お前は、兄が自分でこんなことも処理出来ないような男だと思っているのか? 非常に残念だ。兄に信頼を寄せてくれる可愛い妹と思っていたのに」
芝居じみた物言いだったが、ユリアには兄の信頼を失いそうだという事実が衝撃を与えたらしい。目の端に玉の涙を浮かべ、「ごめんなさい」と頭を下げた。
「お兄様を疑うなんて、とんでもないことですわ。差し出がましいことを致しました。どうかお許し下さい」
「いや、分かってくれたなら良いんだ。悲しくて、きついことを言ってしまったね」
セクティアは傍で聞いていて全身にじんましんが出そうだった。歯の浮く白々しい会話は、彼女が最も苦手とするものなのだ。黙って耐えているだけで褒めて欲しいところである。
ユリアは上目遣いにそんなセクティアを
「お兄様に求婚した女性が、気品に溢れ、知性豊かで非の打ち所の無い女性でしたら、私も是非お近づきになりたいと思って参りました」
既に十分味わったように、ユリアはセクティアと同じように思ったことをポンポン口に出してしまう性格らしい。それも、セクティアと違って無駄に、表現豊かに。
「でも、お会いしてみれば……田舎臭いやら、知性にいたっては目もあてられないとはこのこと――」
幼き姫君が最後まで口にしなかったのは、決して良心の呵責に駆られてではない。悦に入って喋り続ける自分に向けられた、矢のように射す視線に気が付いたからだった。
ぷちんと聞こえたのは幻聴だったのか。知る術も時間もなかった。
「なんだとこのこまっしゃくれー!!」
短気な王女は易々と我慢の限界を突破し、無意識にテーブルを持ち上げていた。美しい装飾が刻まれた、ゆるやかなウェーブを描く一本足を軽々と手におさめている。
「な、な――!?」
ユリアが目を
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