2013年【藤澤】 21 屍の道をこえ帰宅する

 藤澤はびびっていない。

 だから、冷静に運転して危険な場所から逃げてやる。


 仕事が終わったと報告すべく、携帯電話をポケットから探す。最悪だ。クリスに没収されたままだった。仕方なしに、なんらかの奇跡が起こって、彼女に想いが届けばいいと念じながら口を開く。


「いまから帰るからな、凛! 帰り道に買ってきてほしいものはあるか? 昔みたいに、好きなものを好きなだけ食えるんだったら、寿司でも買って帰るのに。お腹の子供を守るってマジで大変だよな。でも、小学生の女の子を守るのだって、大変なんだぜ! とにかく、俺は家に帰るぞ、凛!」


 ドライバーに呼応するように、MR2は加速する。先程よりも強気にアクセルを踏み込む。知らない挙動を見せる車に、恐怖を覚える。

 これ以上、スピードを上げるのは危険だ。

 かといって、急ブレーキするのもこわい。アクセルペダルから足を離して、速度が落ちるのを待つ。


 自分でコントロールできる領域にもどってきたところで、新たな問題が発生した。

 進行方向に男を二人発見、おそらくは敵だ。まだ距離がある。逃げ切れる。

 いや、むしろ車ではねるのは、どうだろう。その選択も有りではないか。


 誰も殺さずに家に帰れるのならば、それが一番だ。

 親友のナツキのように、家族を悲しませたくはない。

 殺さずを誓った藤澤に、敵は構えた拳銃を向ける。

 里菜ならば、確実にヘッドショットを決める距離だ。


 ていうか、お前ら誰だよ。

 沖田総一郎に恨みがある奴だっけか。だったら、藤澤には恨みはないよな。てことは、戦う必要もないのではないか。


 相手は、そんなに甘くない。


 クソどもが、撃ってきやがった。

 生きてる。

 当たらなかったのか。


 だが、危機は続く。

 近づけば、それだけ拳銃で頭をはじかれる可能性は上がる。

 殺すか殺されるかの二者択一ならば、相手を轢き殺すべきではないのか。


 西野ナツキが殺人の容疑でニュース番組を騒がしたとき、ナツキが殺された訳ではなくて良かったと、心の底から安心したのは、他でもない藤澤だろう。

 とはいえ、進行方向の敵は二手に分かれた位置にいて、轢き殺すにしても全員同時は不可能だ。


 結局、どっちつかずだった。

 極道を続けるかカタギに戻るかの二者択一も、きちんと選ばずに、現状のままで真っ直ぐ進んでいる。


 何も選ばなかった藤澤は、敵の間をすり抜けて、そのままMR2で家に突っ込んだ。

 衝突の際にブレーキを無意識に踏んでいた。いくつかの壁をぶち破ってから完全に停車した部屋には、人相の悪い連中がお出迎えしてくれる。


 車の窓が完全に閉まっているから、車外の音は、ほとんど聞こえない。

 それでも、連中が藤澤を殺そうと相談しているのは予想がつく。

 銃口がこちらを向く。弾丸曰く、刃物のほうが強いとしても、これではまずい。

 最小限の動きで、もっとも効果のある行動を選ぶ。

 指先ひとつの動きだ。運転席の窓を開ける。


「勝負しろ!」


 拳銃を握っている連中は、顔を見合わせるだけで黙ったままだ。


「いまから降りていくから、俺と戦え! 卑怯者が! こわいのか!?」


 藤澤に自由はない。車から降りるどころか、ベルトを外す暇すら与えられない。

 彼らは黙ったまま、引き金を。


「バーン」


 咄嗟に閉じた目。再び開けられるだけで幸せだった。


「こわがってんのは、お前じゃねぇか。ばーか。あんなに怯えちまってよ。安心したか? 安心しただろ? じゃあ、死んどけ」


 嫌な野郎だ。最後に藤澤という男をむきだしにしやがって。

 臆病者で生きたいっていうのが、浮き彫りになった。

 断末魔を聞かせたくなくて、開けた窓をしめていく。

 外界の音が遮断される。

 人生の最後を彩る音を演出すべく、カーオーディオを起動する。


『MR2が動いているようで安心した』


 流れたのはラジオ放送みたいに、こちらに語りかける声だ。音楽を聴いて心穏やかに覚悟を決めたかったのに、どうしてか聞き入ってしまう。


『運転手は藤澤だな? 私の声がわかるか? 沖田総一郎だ』


 安心感をもたらす声のわけだ。いままで頼りにしてきたから、自然と耳が傾くように身体が反応していたのだろう。


『いまは危機的状況だろうが、冷静になれ。車内は安全だ。そうなるように、ダグラスに頼んで魔改造してもらったMR2だからな』


 貧相な藤澤の想像では、防弾ガラスなのかな、とか考えるだけだ。


『とはいえ、打開策を与えん限りは安心できんだろう。そうだな。いまから、私のナビ通りに車を走らせろ。先に行っておく。屋敷をぐちゃぐちゃに壊すことになるだろうが、構わん。遠慮なくかきまわせ』


 ガラスを叩く音に反応して、正面を向く。

 人間の顔がガラスをノックする音だったみたいだ。

 男の瞳と目が合うのだが、向こうは生の世界を見ていない。


「え? 死んでる?」


『俺を恨んでいる連中は、一枚岩ではないからな。こういう時のために、敵を多く作ったようなものだ』


 目の前で見知らぬ連中が殺し合っている。人が物に変わる瞬間は見るに耐えなくて目をそらす。


『残った奴を無視して車を発進させろ。そのまま家の中を突っ切って、外に出ろ』


「はい! わかりました!」


 指示通りにMR2を走らせる。体格や性別や国籍の違う様々な敵の中を横切った。

 拳銃を持つものが発砲したり、中には車に飛び乗るものもいた。

 だが、その全てをことごとくはね返している。


『藤澤も見たならばわかるだろう? 伊達組、幾夜を含むシャイニー組、それからフェイクファー。これだけの組織が同時に抗争をしかけてきたんだ。独占欲の強い敵は、力を合わせはしない。勝手に喰らい合ってくれる』


「つまり、敵の敵は味方ではないんですね」


 車に飛び乗っていた奴が振り落とされる。

 ルームミラーで、彼のその後を確認すると、他の誰かにあっさりと殺されていた。

 藤澤の走ってきた場所は道となり、そこには累々と屍が転がっていた。


『後ろを見るな。そこは右だ』


「右って、こっちには屋敷がありますよ」


『そうでなければ意味がない。また壁を突き破れ。お前は、いつだって頭が硬かったからな。どうだ? 道なき道を進み、自ら道を作るのは得難い経験だろ? 誰かが作った生き方に憧れや嫉妬するだけではなく、そもそも人は――おっと、喋りすぎたな。そろそろ、左に曲がれ』


 慌ててハンドルを切る。

 壁を突き破ると同時に、ヤクザを車ではねてしまう。ボンネットの上を転がったヤクザはパンツを下ろしていた。

 どうやらメイドを犯そうとしていたようだ。ゲス野郎め、死ね。

 まさかとは思うが、クリスたち全員がこんな目にあっていないだろうな。


『よし、もう十二分に、かき回せたことだろう。最後に角を曲がれば、お前は自由だ』


「角ってなんすか?」


 道なき道を進んでいたのだから、角なんていう概念を持たずに走ってきた。

 しいていうならば、右か左かどちらでも好きな方に曲がれということか。

 いかに峠の走り屋といえど、対向車が飛び込んでくる可能性を危惧して、右コーナーは下手くそになる。


 だから藤澤は、自然と左に曲がっていた。

 そして自由を探すべく、無意識にアクセルを踏み込んでいた。

 再びMR2は、藤澤程度のドライバーではコントロール不可能な領域で暴れだす。


 どうせ思い通りにならない世界で生きなければならないのならば、つくづくこんなところで生命をかけるべきではない。

 暴力とかけ離れた日常に、今日こそ帰宅するのだ。

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