2013年【藤澤】 20 地を駆ける王に憧れて

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 MR2とは、トヨタの名車だ。

 二人乗りのスポーツカー。

 販売台数や馬力などのポテンシャルなどの、インターネットで調べればわかる情報よりも、岩田屋町においては、MR2といえば、あの話を忘れてはいけないという都市伝説がある。


 川島疾風という走り屋のせいで、岩田屋町では、MR2を他の人間が乗るのはタブーとされている。

 もしも、沖田総一郎が気をつかってMR2を所持しているのに乗っていないのだとしたら、都市伝説の信憑性が増してしまう。

 沖田屋敷のガレージに保管されているMR2は、カーキ色だ。川島疾風の赤い色しか知らないとはいえ、販売されたカラーにカーキなんてなかったと思ったのだが。


 なんにせよ、MR2のポテンシャルを引き出せれば、伝説の武器が手に入るのだ。

 憧れのあまり妬みさえもした疾風が、余裕で転がしていたのだ。藤澤だって、なにかしらの形にしてみせる。


「この車の出どころは不明ですが、川島疾風がステッカーを貼っていた位置に、情熱乃風のステッカーがご丁寧に貼られているんですよ。そういえば、藤澤さんも情熱乃風のメンバーでしたよね?」


 すぐに答えられなくて気づく。

 巖田屋会の組員と名乗るよりも、情熱乃風のメンバーというのは、かたるのに覚悟を要する肩書きなのかもしれない。


「余談ではありますが、川島疾風は運び屋だった頃、父の用意した車に乗っていたそうです。毎回ちがった車のポテンシャルを引き出していたってことですよね」


 運転がうまくいかないのは、愛車じゃないから――藤澤の言い訳の常套句を疾風は用いることがなかったのだろう。


 そりゃそうだ。

 疾風は峠でのレースで口癖のよう言っていた。勝負に勝った時は車のお陰、負けた時はドライバーのせいだ、と。


「やってやる。俺は情熱乃風の藤澤だ」


 走り屋としての腕の見せどころだ。

 彼女にスポーツカーがダサいと言われても乗り続けてきたのは、この時のためかもしれない。


「総江嬢、助手席でナビをしてください」


 運転席に藤澤は乗り込む。

 バケットシートのベルトを装着してから、ペダルを二つ踏んでエンジンキーを回す。

 獣の唸り声のようなエンジン音と共に、MR2は目覚めた。

 総江がリモコンでも持っていたのだろう。ガレージのシャッターが、下から上へと自動で開いていく。


「発進のタイミングは、お任せします」


「ああ。最高のイメージをなぞってやらぁ」


 疾風の全力スタートを真似る。


 しっかりとしたイメージが頭にあるせいで、自らの未熟さを痛感する。

 いつしか、動き出したMR2の目の前に、透明のMR2の幻覚が見えてきた。

 スタートで差がついたものの、憧れが先行してくれるおかげで、以降はそれを参考にするだけで良かった。


 MR2の挙動は情熱乃風のメンバーならば、みんな知っている。

 メンバーは誰もが一度は彼と勝負し、敗北を喫している。

 走り屋として名を馳せていた頃の疾風は、まさに槻本山において、地を駆ける王だった。


 疾風のなによりおそろしいところは、行方不明になった日の走りが、現役時代よりも速かったことだ。

 最新が最速という進化途中の領域に、藤澤も踏み込む。

 最高に乗れているという感覚が、藤澤の気持ちを大きくさせる。


 いまならば、なんでもできる。運転に限ったことではない。強力な道具さえあれば、誰が相手でも倒してみせる。

 石造りの蔵が見えてきた。そこにあるのだろう。

 最強の刃が。

 使わせてくれ。


「入口の扉の前に、車をとめてください。MR2の発見を遅らせるよりも、蔵の中での作業を急ぐべきだと思いますので」


 追手の姿はないが、急ぐに越したことはない。

 指示通り、車を蔵の前にとめる。ベルトを外しながら、鼓舞するように叫ぶ。


「俺に全部を任せてください。なんとかしてみますので。蔵の中での指示もください」


「本当に、パパは捨て駒じゃなくて、実力をかって藤澤さんを選んだのかもしれませんね」


 総江は藤澤のモチベーションを更に上げてくれる。

 先に車から降りた彼女は、蔵の扉を左右に開けようとして苦労している。それも任せろ。

 なかなか重たい扉だ。人が一人通れる隙間を開けただけで、もういいだろう。疲れた。


 蔵の中は天窓があるおかげで、明るい。

 差し込む陽光が照らすのは、MR2の半分ぐらいの大きさの巨大な肉片だ。


「なんだ、あれ?」


「かつて、川島疾風が運んだものの中で一番やばいものです。巨大なUMAの肉片――もっとも、偉そうに講釈をたれていますが、私も目にするのは初めてです。ママは、こうなることがわかっていたから、蔵の鍵を開けていたのかな?」


「もしかして、さっきの死体ごっこでクリスさんが使っていたナイフの柄ってのは?」


「ご察しのとおり、疵ノ牙の装飾です。あの肉片に刺さったままの刃に、いまから柄を装着しま――」


 肉片に触れられる位置まで接近したから、嫌でも気づく。


「嘘? 刃が抜き取られてる?」


「どういうことですか? もしかして、すでに誰かが回収したとか?」


「わかりません。でも、こんなのって。ねぇ、どうすればいいの?」


「目的の武器がないんなら、MR2で逃げるしかないでしょ。行きますよ、総江嬢」


「それで助かるの? こわいよ。もう『計算』が、あてにならなくなってるもん」


 言葉は弱々しいが、総江はそれに見合った感情表現を決してしない。

 子供らしからぬ、冷たい表情だ。


「だからって、ここに留まっていて助かると思いますか? 俺は生きて家に帰るんだ。絶対に、父親になるんだ」


「いいですよね。私にとって帰りたい家は、ここなんですよ。ママの前でしか、私は子供でいられないのに」


 自分が自分らしくいられる場所を総江は知っている。

 藤澤は、彼女が妊娠するまで、その場所がどこにあるのかわかっていなかったというのに。

 藤澤の帰りたい理由と、総江のとどまる理由の根源が同じならば、無理強いはできない。


「総江嬢。ここで隠れておいてくださいね。そういう戦い方もあると思いますから」


 藤澤が逃げ切ることは、ここで籠城する総江の生存確率が上がるのに繋がっている。

 それにしても、感情やリアクションを放棄した総江の姿は、まるで等身大の人形みたいだ。蔵に保管したものの、誰からも忘れさられたかのような哀愁が漂う人のまがい物。


「妹か弟が、俺の子供と同じ学校に通うことになったら、よろしくお願いしますね」


 碧い瞳が、ぱちくりとまばたきしてくれた。総江が生きているのを最後に確認できた。

 立ち去る際に、しめきった蔵の扉が、重たいからこそ心強い。

 この扉を総江に危害をくわえようとする誰かが、開けるにしても時間が稼げる。


 MR2に乗り込む前に、後部へと回る。

 情熱乃風のステッカーを確認すると、かつての仲間たちのためにも、腑抜けた走りだけはするもんかと、やる気が満ちる。


 運転席に乗り込む。

 かけっぱなしだったエンジンが、愛車とはちがった一体感を覚えさせる。エンジンの動きも藤澤の得体のしれぬ震えも、しょせんは振動だ。

 正体が、どちらかわからないのならば、全部をMR2のせいにする。

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