2013年【藤澤】 19 親になるまでの助走

「とにかく、このまま帰ってください」


「いや、まずいでしょ」


「ママには私からうまいこと言っておきますので、安心してください」


「なんて言うつもりですか。内容をきくまでは安心できませんよ」


「藤澤さんはわかっていないようですが、こうやって二人きりになったのは、私にとっては予定通りなんです。いまならば、まだ間に合う『計算』です――待って。こんなにうまくいくなんて、おかしい。そうか」


 なにを納得したのか知らないが、総江がいきなり走り出した。

 来た道を戻っていくが、驚くほどに足が遅い。藤澤の速歩き程度でも追いつける。


「どうしたんですか、総江嬢?」


「私もまだまだです。ママのほうが一枚上手のようでした。そうですよね、下手に藤澤さんを帰らせたら、連中とすれ違って危険になる可能性を、私は考えていませんでした」


「連中ってのは、いったい?」


「大型トラックで、人の家に突っ込んでくるような、父に恨みを持つ奴らのことです」


「なにそ――」

 続くはずだった『れ?』は、屋敷を揺らすほどの衝撃音にかき消された。


「地震です、総江嬢! 落ち着いてください。大丈夫です。津波の心配はありません。知りませんが」


「藤澤さん、言いましたよね? 父に恨みを持つ連中が乗り込んできたんです。抗争がはじまったんですよ。抗争!」


「抗争?」


 言葉にしても、まだ実感がわかない。

 どこかから発砲音が聞こえたのだが、それが抗争のイメージとは結びつかない。せいぜい、薄着の里菜が射撃練習をしている姿が頭に浮かんだだけだ。

 平和ボケした組員とちがって、組長の娘の頭のつくりは、常軌を逸している。


 衝撃音がしたほうへと総江が向かうのを、藤澤は慌てて邪魔をする。

 総江の腕を掴み、危険には近づかせない。自分も近づかない。


「邪魔しないで。離してください」


「どこに行くつもりだ。あっちから音がしたんだぞ。抗争ってのが本当だったら、向こうは行っちゃダメだ。やばすぎる」


「藤澤さんは、一人で逃げてください。キッチンに勝手口があります。そこからなら、見つからずに、鍵のついた車に乗れるはずです」


「総江嬢も一緒に来るんだ」


「嫌だ! ママを放ってはおけない!」


「子供一人が行って、なにができるっていうんだよ。殺されるぞ」


「大丈夫です。私達は父の枷になる。人質としての価値があります。だから、すぐに殺されることはありません。後になってからの死を選ぶ権利ぐらいはありますから」


 少女の本気に応えるために、藤澤は総江を掴んでいた手を離し、頬をぶって叱る。

 優しく叩いたつもりだったが、総江は大げさに倒れてしまった。


「ごめん、総江嬢」


 反射的に謝って、藤澤は手を差し伸べる。逆に、少女が倒れたら、楽しそうに笑う連中もどこかには存在する。

 ともすれば、総江が向かおうとした先には、大勢いるのではないか。


「総江嬢。親ってのはな、子供には生きていてほしいんだよ。俺だって、親になるからわかるんだ。エコー写真のチビを見ただけで、愛しくなった。頑張ろうって、頑張らなきゃって思った。そっからはじまった生命が、目の前で生きてるって、奇跡以外のなにものでもないんだぜ」


「私にとっても、ママが生きてることは奇跡だから。もしも死ぬことになっても、ママのもとじゃなきゃ嫌だって考えるのは、そんなにいけないことなの?」


「だったら、一人で行くな。俺も一緒に行くから」


「帰ってください。藤澤さんを危険な目に巻き込めません」


 決して、藤澤の手をとることなく、総江は床に手をついて立ち上がる。


「父はこうなるってわかっていたんです。藤澤さんは使い捨てに選ばれた。おそらく、藤澤さんと彼女さんとの関係も知っていたはずなのに。新しく産まれてくる生命を知ったうえで、山本ではなくあなたを生贄に選んだ」


 その話が本当ならば、沖田総一郎は最低だ。

 だが、あの組長を親父と慕ってきた過去に、藤澤はなにひとつ後悔がない。


「使い捨てとか、犠牲とか、本当に甘く見られてるみたいだな」


「あなたは、父のことをなにもわかっていない」


「組長ってのは、親父なんだぜ。俺の知ってる親父なら、逆転の手札として、この屋敷に俺を派遣したに決まってる」


「逆転の手札?」


「キヨさんからきいた。ここにはアレが保管されてるんだろ? 前の抗争でキヨさんが使ったって話の武器が。最強の刃だ」


「最強の刃? もしかして、疵ノ牙のことですか?」


「名前は知らない。けど、そいつを俺に使わせようって組長は考えてるんだよ」


「その自信はどこからくるんですか?」


「山本よりも、刃物の使い方に長けてるからだよ」

 なにかを察したように、総江はつぶやく。


「――くら」


「蔵? そこに、伝説の刃があるんだな。案内してくれ」


「ですが、問題もあります。疵ノ牙を保管している蔵までは庭を横断しなければなりません。徒歩で移動すれば、間違いなくみつかるでしょう」


「俺が逃げるための車があるって言ってたじゃないか。それを使おうぜ」


「藤澤さんが、お帰りの際に乗ってもらう予定でした車の性能では無理ですよ」


「やってみないとわからないだろ」


「どうせなら、もっと可能性が高い車種で試してみませんか?」


「どういうことだ?」


「MR2という車をご存知でしょうか?」

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