2013年【藤澤】 17 沖田の棲む家
8
不安と緊張が混ざっていた運転手初日の仕事に、終わりがみえてきた。
藤澤は最後まで、きちんと務めを果たすべく、石造りの長い塀を横目にしながら、山本との電話を思い出す。
――久しぶりに色々と話せて、里菜が喜んどったで。ああ。せやな。そのために連絡してきたんやなかったな。ほな、仕事の引き継ぎを電話でちゃっちゃっと終わらせるで。石造りの長い塀が見えてきたら、それが沖田家の目印やから、この話を思い出せや。
あいつらと話せて楽しかったのは、藤澤も同じだ。
――ここまで運転して来たら、わかっとると思うが、組長のお屋敷は岩田屋の端っこや。中心地から進んでいったら、屋敷につながる道もひとつしかのうてな。そこの塀沿いを真っ直ぐに進みよったら、フジのことやから、こう思うはずや。なかなか正面玄関が見えてこんやないか、って。
なかなか正面玄関が見えてこないなぁ。関西弁にはならなかったが、山本の予想は的中だ。
――なんでも玄関にたどり着くまでの間に、どんな奴が近づいてきよるんかを沖田家に待機してる護衛が確認しよるみたいや。敵か味方かの判断ってことやろな。あくまで噂やけど、川島疾風が本気で運転する車の最高速を基準にして、判別できるようになっとるらしいで。せや。嘘やと思ったら、塀の瓦をじっくり見てみ?
瓦のデザインと馴染むように、監視カメラが等間隔に設置されてるのに気づいた。
――塀の向こうに、昔ながらの石造りの蔵が見えてきたあたりで入口まで半分ってところや。
とんでもなく庭が広い。どれだけ沖田総一郎は儲けているのだろう。
――正面玄関についたら、停車させてしばらく待っとけ。ちゃんと、身内やと判断してくれたら扉が開くはずや。
正面玄関の両開きの重そうな扉を、メイド姿の女性二人がそれぞれ左右に開く。
二人のメイドにそれぞれ会釈をして、藤澤は車を沖田家の敷地内に進入させる。
――中に入ったら、あとは真っ直ぐに走ってくだけや。大きな池をぐるりと回るように移動してくと、真正面に和式の豪邸が見えてくるで。
見えてきたで、山本はん。もう少しで彼女の元に帰れるので、藤澤の心の中の声が、関西弁になってしまった。よし、もう思い出さんでもいけそうっすわ。
藤澤は運転席から降りて、後部座席のドアを開ける。
総江は文庫本だけを持って降りて、てくてくと歩いていく。藤澤がランドセルを持って総江に追いつくと、彼女は玄関の前で立ち尽くしていた。
これぐらいは、自分で開けようよ。総江は山本に甘やかされてきたのだろう。
あいつは、優しい男だ。電話でも「せや、最近の勇次やけどな――」と、勇次も甘やかしている雰囲気だった。
「総江嬢、失礼ながら、自分でできることは自分でやらないと駄目な大人になりますよ」
「お気遣いありがとうございます。説明していなかったせいで、誤解をもたれたのは、私の責任ですね。普段は自分で開けていますよ。ですが、今日は気が重いんですよ。ここを開けたあとのリアクションをどうすべきか」
「どういうことですか?」
「こういうことです」
総江があっさりと扉を開ける。あっさりと流せないものが転がっている。
豊満な胸にナイフが突き刺されて血を流している女性。
金色の長い髪と赤色のコントラストが、藤澤の口を閉じさせてはおかない。
「うっわあああああああああああああああ」
冷静になれ、冷静になれ。自分に言い聞かせる。冷静になれ!
ナイフの刺し方が見事だ。
あの位置と角度ならば、骨を避けて内臓を傷つけられると教わっていた。冷静になって考えたことで、転がっているのが死体だろうという結論に近づく。
「って、総江嬢。またいでいかないでください」
「藤澤さん。ご苦労さまでした。ランドセルは、そこに転がっている沖田クリスティーナの上にでも置いて、帰ってくださって構いませんよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。救急車。いや、警察? とにかく、電話を」
「ママ、風邪をひいても看病しないわよ」
総江の足を死体がガッと掴む。
「死体が、動いた? え? うわぁっ、ゾンビになって復活した」
「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!」
アメリカンな笑い声を轟かせながら、金髪の女性・沖田クリスティーナの目が開く。
「いいね、君。最高かよ。山本くんとは比べるまでもなく反応がいい。あの子も、うちのお嬢ちゃんと一緒で、本当にクールだから、つまんなくて。いつもママは傷ついてたのよ」
大げさに胸を痛めたようなアクションをとると、クリスの身体からナイフの柄がぽろりと落ちた。
「それ、パパのでしょ。こんなおふざけに使ったら怒られるわよ」
「でも、それぐらいのリアルさがないと、すぐに見破るじゃん。もっとも、リスクを負っても見破られたけどね」
「これ以上、無茶させる訳にもいかないし。そろそろ、定期的に驚いてあげるタイミングかしらね」
「ええっ、びっくりなんだけど。定期的に驚いてくれてるのって、総江の演技だったってこと?」
「決まってるでしょ。そうでもしないと、ママは一発ネタで腕の一本ぐらい切り落としそうなんだから」
「甘いわね。何回も驚かせたいから、指一本ずつからいくわよ」
「なにを自慢気になってるのよ。とにかく、ナイフの柄は私のほうで片付けとくから」
ナイフの柄を回収した総江の足からクリスは手を離し、どっこいしょと立ち上がる。
「サンキューね。総江が誤魔化してくれるんなら、総一郎も気づかないかもだし。まぁ、万に一つ気づいても、総江が触ったんなら、許してくれると思うし。とにかくママが怒られないためには、総江が頼りです。よろしく! ご褒美に、ママはあなたに愛を捧げるわ。ぎゅーしてあげる」
クリスは総江に抱きつくと感極まったようで、キスの雨を娘に降らせる。
「あのー、藤澤さん。見られてるのが恥ずかしいので、帰っていただけませんか?」
「どうして、この子は口が悪いかね。そういうところ、総一郎そっくりよ。わざわざ送ってくれてるんだから、おもてなしをきちんとしないと、いけないでしょ」
クリスの考え方は、それはそれで極端だ。それに、藤澤としても早く家に帰りたいのだけど。
「いえいえ、おもてなしなんて滅相もありません。これが仕事ですからお気遣いなく」
「総一郎からの仕事として賃金を受け取るだけじゃ、ワタシの気持ちは正確に伝わらないでしょ。愛娘を無事に家まで送ってくれた感謝をきちんと受け取ってよ」
「藤澤さん、ママの戯言ですから、早く帰ってくださって構いませんよ。どうぞ」
「じゃあ、二人でお菓子を全部食べられるのね。残したら許さないわよ」
「卑怯よ、ママ。無理に決まってるでしょ。ずるいよ」
「なにをどれだけ作ったかもわからないのに、白旗あげないでよ。ペロッといっちゃうかもよ。おめでたいからケーキなのに」
「お祝いごと? パパが会長にでもなった?」
「そんなしょうもないことじゃないっての」
「いや、ものすごく重要でしょ。しょうもないってことは、絶対にない。子供でもわかるもん」
「ううん。会長就任とか、かすんじゃうね。きいてから、驚いて喜びなさい。総江、あなたはお姉ちゃんになるのよ!」
「マジで?」
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