2013年【藤澤】 16 忘れるまで記憶に残しておこう

「藤澤さん。気になるのでしたら、最後まで見届けても構いませんよ」


「いや、でも、それは。仕事を優先させないと、親父殿に悪いですからね。それに、見届けるとなると、いつまでかかるかもわかりませんし――もしかして、総江嬢も見たいとかでしたら、構いませんが」


「私は別に、見たくありません」


 おっしゃる通りで、後部座席の総江は本を読んでいる。


「それと藤澤さん。いつまでかかるのかわからないとおっしゃいましたが、ご安心を。そこまで時間はかかりませんよ。今回のを含めて、あと二回で体操服袋を取ることができますから」


「断言しますね。女の勘ってやつですか?」


「勘ではなくて『計算』しました。彼の行動を『計算』する材料は揃っておりますから」


 総江が言い放った矢先、隼人は木から落下した。


「さすがに、次で成功は無理でしょ。いまのなんて、半分もいけてないですし」


「大丈夫ですよ。だって、彼は浅倉隼人。あの浅倉弾丸の息子なのですからね」


「ダンチョーの息子って言われれば、たしかに期待しちまいますけども」


 そう思う一方で、浅倉の血が入っているならば、一回目でなんとかしていてほしかったとも思う。

 何度も失敗している時点で期待はずれではある。


「金を賭けてる訳じゃないですが、緊張しますね。総江嬢の計算通りに、彼が動けばいいですね」


「むしろ、外れてほしいものです。私の『計算』に狂いが出るならば、今日という日が変わるかもしれない。せめて、体操服を久我遥にすぐ返してくれれば、その兆しも見えるかもしれません」


 呼吸を整える間もなく、隼人は木に挑む。今度は順調に登っていく。

 何度も木登りをするうちに、コツを掴んだのかもしれない。このまま、総江の予想通りになりそうだ。

 手を伸ばせば、体操服袋に届きそうな位置だ。そこで、総江の後ろ向きな願いが隼人に通じる。隼人が足を滑らせる。


 今回もダメだった。

 終わったと、観客の藤澤が思っても、隼人本人は諦めない。木の枝にしがみついてでも、終わらない。

 木の下で心配そうに遥が声をかけている。窓を閉めてエアコンをかけているので、その声は聞こえない。

 会話が気になるものの、これでいいと藤澤は思った。


 体操服袋を巡る一件の顛末は、本来ならば隼人と遥二人だけの共通の思い出であるべきだ。藤澤や総江が覗き見するのもおこがましい。

 何度も失敗しながら、ついに隼人は体操服袋をその手に掴んだ。


 お見事だ。

 いいものを見させてもらった。小学生からでも、学ぶことがあるのだと感じたぐらいだ。

『大丈夫。なんかよ、いけそうな気がするんだ』

 隼人が口にした名言は、忘れるまで記憶に残しておこう。


 女のためにことを成し遂げ、二枚目の称号を隼人は手に入れた。

 だが、すぐに二枚目の権利を隼人は捨てる。

 木の枝に腰かけたまま、隼人は体操服の匂いを嗅ぎだした。

 忘れていたが、隼人は喫茶店という公衆の面前で、遥のスカートの中で深呼吸をする変態だ。汗の染み込んだ体操服が目の前にあれば、匂いを嗅いだっておかしくはない。

 二枚目ではおさまらない。三枚目がしっくりくる。


 遥の体操服に顔をうずめながら、隼人は地面に落下する。目先の性欲に溺れたせいで、隼人は遥にグーで殴られている。

 男らしい二枚目のまま地面に着地していれば、チューぐらいしてくれたのではないか。

 残念ながら、いまの隼人には百人斬りできるナンパ師の器はない。

 せいぜい、一人の女を生涯に渡って愛し続けるのが関の山だろう。


「なんにせよ、総江嬢の予想が的中ですね。てか、すぐに体操服を返さないってのも、わかってたんですよね。どういうトリックなんですか?」


「トリックなんて難しいものはありませんよ。機会さえあれば藤澤さんだって、こんな風になれますよ」


「もったいぶって教えてくれないってのは、企業秘密ってことですか?」


「では信じますか? UMAを食べたことがあると話したところで?」


「どのように受け答えるのが正解なのかわかりません」


「でしたら、車を発進させていただけませんか?」


「ああ、はい」

 指示に従って、車を発進させる。


「ニュースをききたいので、ラジオの音量を上げてもらえませんか?」


「かしこまりました」


 カーステレオの音量を上げると、ちょうどニュースが報道されていた。

 ここしばらく、親友の西野ナツキの事件に進展はない。

 湖から凶器が見つかっていないのだ。犯行理由もいまだに供述されていない。そのせいか、いつからかニュースに取り上げられることもなくなった。

 メディアというのは、被害者と加害者の人生を滅茶苦茶にする。

 そのくせ、飽きればなにもせずに無視を決め込むものなのだ。


「そういえば、藤澤さんも例の殺人事件の加害者と友達でしたか?」


「西野ナツキのことを山本からきいたんですか?」


「山本は言ってましたよ。たとえ、人を殺してもあいつは友達だって」


 ハンドルを握る手に力がこもる。山本も自分と同じような気持ちでいてくれたことが、とてつもなく嬉しかった。


「俺はこうも考えてますよ。むしろ、殺されたわけじゃなくて、良かったって。もし、山本に話すことがあったら伝えてくださいね」


「伝えるまでもなく、同じ意見を山本も語ってくれていました」


 青春時代の真ん中で、同じように過ごしてきた間柄だと、やはり事件に対して思うところは似てくるのだろう。


「じゃあ、ありがとうって山本に伝えてください」


 山本みたいな友達がいて、藤澤もナツキもは幸せだ。ありがとう。


「面と向かって言いにくいことがあるのなら、ラジオ番組に投稿すればどうですか? 山本が贔屓にしている番組を教えますよ」


 弾丸の下で刃物の使い方を教わりながら、山本もラジオを傍らに置いているかもしれない。

 彼が休憩中に耳を傾けたラジオ番組で、リスナーからの投稿として山本に藤澤からの『ありがとう』が伝わる。


 面白そうだが、そんな風に手放しでメディアを信頼できなくなっている。

 ニュースでさえ嘘を流す。嘘に対しての謝罪はなにもない。調査不足だったことを認めはしない。

 捻じ曲げられた真実は、世界に拡散される。

 真実が歩き回る前に、嘘は宇宙に飛び出しそうな勢いで広がる。


「報道の力で不幸になった人って大勢いるんでしょうね。たとえばそうだ。巖田屋会が知ってるサンダーバードってUMAの情報が余すことなく報道されれば、遥って女の子は嘘つき呼ばわりされることもなかった。いじめられることもなかったはずだ」


 ここまで言って、藤澤は冷静になる。子供相手になにを熱く語っているのだろう。

 ルームミラーに視線を向けないと、後部座席の総江が小学生だと忘れそうになる。彼女は頭の回転が速い。面と向かって喋らないと、大人と話しているような錯覚に陥る。


「昨日の真実が、今日の嘘になる力。そんなものをメディアは持ってますからね」


 子供の回答とは思えない。

 もう少し、総江は子供らしくあるべきだと思う。隼人と遥の小学生カップルみたく、初々しい感じがあるほうが絶対にいいと思うのだが。


「でもそっか。メディアが嘘つきだから、あの二人はラブラブなのかもしれないですね」


「関係ないと思いますよ。もし仮に、別の世界線みたいなものがあったとしても、あの二人は必ず結ばれます」


 話した回数はまだ少ないものの、総江は断言が多い。

 どういう種があるのかわからないが、先読み能力が高いのだ。彼女の父親の総一郎も、同じ特徴を持っている。


 ルームミラーで総江の様子をうかがうと、彼女は本を読むのをやめていた。

 目を閉じて、ゴクリと生唾を飲んでいる。もしかしたら、三半規管が弱いのかもしれない。

 運転中に文字を目で追っていて、ゲロを吐かれても困る。なので、本の続きは家に帰ってから読んでもらいたい。

 そこまで考えて、ある疑問が藤澤の頭に浮かぶ。


「そういや、総江嬢。なんの本を読んでるんですか?」


「巖田屋抗争憚です」


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