2013年【藤澤】 15 嘘つきじゃない証明
遥は立派だ。泣かない。
いじめっ子の前では、決して涙を流すもんかと、我慢していたのなら、もういいだろう。
一人になった状況で意地を張るな。子供の頃から、あんな性格では、ひねた大人になりかねないぞ。
人生捨てたものではないと教えてやるべきか。
藤澤が体操服袋を取ってやるだけで、遥は人生に希望を見いだせるだろう。
藤澤の身長ならば、ちょっと木に登るだけで体操服袋を取れるはず。楽勝だ。一分とかからない。
だが、その短い間に、沖田の娘が車にやって来るかもしれない。
藤澤が迷った直後だった。学校の西門から小学生が出てきた。
股間のチャックが開いている。間違いない。さっきの小便小僧だ。
「遥、探したぞ。一緒に帰ろうぜ」
「隼人」
小便小僧こと隼人の顔を見た瞬間に、遥は泣き出した。
そのまま駆け出して、隼人の胸に飛び込む。遥の背中に回した手をギュッとしながら、隼人はいままでの出来事を汲み取ったようだ。
「また、有沢になんかされたのか?」
男の胸の中で泣くというシチュエーション。
こんなことをナンパにひっかかった女がしてきたら、一夜を共にする道が開けたも同然だ。小学生なら、ここで終了。
だから、好きなだけおままごとみたいにイチャつけばいい。
頭を撫でられて落ち着きを取り戻したのか、遥は照れくさそうに隼人から離れる。だが、遥が距離をとろうとしても、隼人は繋いだ手を離さない。
「別に泣いてなんかなかったんだからね」
「ああ、そうか。遥がいうなら、それを信じるよ」
「――」
なにかをつぶやきながら、遥は隼人に体を預けようとする。
小学生同士なのに、ちょっとドキドキしてきた。どうなる、どうなるってんだ。
どうにもならなかった。
藤澤と遥の目が合ったのだ。
さきほど、坊主頭の有沢というガキにも気づかれたから、注意をしていたつもりだったのに。
慌てて車のリクライニングを倒す。
決して見ないようにする。
ここからは、音声だけを楽しもう。
「ところで、おれが来るまで木の上みてたよな?」
「体操服をあの最低な奴らに投げれらたの」
「なんでおれをすぐに呼ばないんだよ」
「隼人が来ても、ぼっこぼこにされるだけでしょ」
「そんなのわかんねぇだろ。今日は勝てるかもしれない」
「いや、無理でしょ。だってアンタ、あたしにも腕力で勝てないじゃん」
「女の子を相手に本気出せないだろ。だからだよ」
「はいはい、そういうことにしとこうか」
へへへという笑い声がついには聞こえてきた。
見ていないから、チューぐらいしてるだろうなと、勝手に妄想を膨らませる。
「ほんじゃま、昨日のゲームの続きをやりてぇし、さくっと体操服をとってやろうかね」
リクライニングを倒した状況だと、角度的に木の上のほうは見える。
引っかかっている体操服袋を、どうやって子供たちが手にするのか観戦させてもらおうではないか。
遥の話では、大見得を切った隼人は女の子にも体力が劣るとのことだ。
足りない部分は、知恵でなんとかするのか。
ドン、という落下音がした。
思わず、藤澤はシートに座りなおす。
作戦もなにもなかったようだ。木に登ろうとして失敗して落ちた。
現場を見ていなくても、倒れている隼人から想像がつく。
「隼人には無理だよ。体力任せなら、あたしのほうが可能性あるって」
「馬鹿か。遥が木登りはじめたら、下からパンツ見るからな。ああ、そうだよ。むしろ、見たいから登ってくれよ」
「変態、バカ」
「それが嫌なんだったら、遥はおれを信じて待ってろ」
言ってることは、カッコいい。チンコが剥けていなくても、毛が生えていなくても、こいつは男だ。
だが、言うだけなら誰でもできる。男の真価が問われるのは、ここからだ。
また木に登りはじめたが、隼人はすぐに落ちる。えげつない音がした。痛そうだ。
さぁ、どうするクソガキ。
このまま諦めたら、口先だけでカッコ悪くなるぞ。何でも中途半端で投げ出す大人の仲間入りをするのか、どうなんだ。
倒れても、隼人は立ち上がる。
だが、怪我でもしたのか、すぐによろついていた。
「無理だって。誰か呼んでこようよ」
「大丈夫。なんかよ、いけそうな気がするんだ」
「その自信はどこからくるのよ?」
それは、藤澤も思うところだ。そんな風に疑わずに自らを信じられるのは、簡単そうでいて、何よりも難しいことなのだから。
「おれはいつも言ってるだろ。将来、遥が見たっていうUMAを捕まえるって」
「それが、何の関係があるのよ?」
「こんな木ぐらい、今日中に登れるようになんねーと、UMAを捕まえるのなんて無理だ。無理ってことは、お前が嘘つきじゃないって、馬鹿な連中に証明できないってことだ。そんなのは、嫌なんだよ」
セクハラされても、遥が隼人から離れないのに、藤澤は納得がいった。
こんな風にそばで頑張ってくれていれば、嫌いにはなれないだろう。
また登り始めた隼人を見ながら、遥は嬉しそうに微笑んだ。
「ばーか」
いまの遥の言葉には、ネガティブな意味は微塵も入っていないと感じた。
その後も、隼人は何度も落ちる。そのたびに、立ち上がる。そして、ボロボロになりながらも、少しずつ確実に上へ登っていく。
おそらく体力的には、さっきの男子たちのほうが隼人よりも秀でているのだろう。
もしかしたら、女子のウケもさっきの坊主頭たちのほうがいいのかもしれない。
でも、それがどうした。隼人のほうが、ダサいけど、カッコいいぞ。
しかしながら、あくまでこの感想は藤澤の主観によるものでしかないのかもしれない。
小学校の西門から、金髪のポニーテールの女子が歩いてきた。
彼女は隼人の奮闘ぶりに対して、すれ違いざまにチラ見するだけだ。特に何の感情も持っていないようだった。
あるいは、特別に彼女がクールなだけかもしれない。
沖田総江――沖田総一郎の娘では、並みの男気では眉一つ動かないよう育っていてもおかしくない。
小学五年生という年齢よりも総江は大人びている。
そんなクールさは、藤澤と目が合う瞬間に崩れた。驚いた様子で口をあけたまま、ナンバープレートや車種を見て、いつもの車と同じだというのを確認する。
総江の警戒心を解いてやらねばと、藤澤は車から降りる。
「お初にお目にかかります、総江嬢。自分は藤澤と申します」
頭を下げて挨拶をする。地面を見ている最中に、「山本は?」と、短い質問がくる。
藤澤は顔を上げる。嘘を許されないような表情で、総江はこちらを見つめている。
「山本は別の仕事につきました。そこで、しばらくは俺が運転手を担当することになりました」
「そうですか。お父様は、そこまで身勝手になりましたか」
「身勝手って、違いますよ。親父殿は、俺のために安全な仕事を用意してくれただけで」
「安全? 果たしてそうですかね」
落下音。
今までで一番大きかった。耳がいいと藤澤は自負しているので、随分と上のほうから隼人が落ちたのだとわかる。視線を隼人に向けたいが、あくまでも総江を優先させなければ。
総江は黙ったまま車を見つめている。隼人のことが気にならないのだろう。
これでは、藤澤が視線をそらせるはずもない。
「申し訳ありませんが、車に乗ってもよろしいですかね?」
「あ、失礼しました。すぐにドアを開けますので」
急いで藤澤は後部座席のドアを開ける。乗り込もうとする総江のランドセルを預かる。扉を閉めると、慌てて運転席に乗り込む。
ランドセルを助手席に置き、さらにはシートベルトをしめて固定する。
まずは窓を閉めて、エアコンをかける。このまま急発進して、人をひき殺さないように、周囲を確認する。
右よし、左よし、後方よし、前方に傷だらけの隼人あり。
ギアをドライブに入れたものの、ブレーキペダルから足を外せない。
頭から血が出ているが、隼人はまだ諦めない。遥も見守るだけで、決して止めようとはしない。
もしかしたら、止めたところで隼人は突き進むと遥は知っているのかもしれない。自分ができることは、そばにいることだけ。
だから、その役目を全うしようとしているのではないか。
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