2013年【藤澤】 14 極道をびびらせる小学生
7
迂闊にも眠ってしまっていた。
車内の運転席で目覚めた藤澤は、口から流れ落ちていたヨダレをぬぐう。
倒していたシートをルームミラーの見やすい位置まで直す。
胸のあたりに置いてあった求人誌が、朝勃ちしたチンコに引っかかっていたのを見て、一人でニヤリと笑う。
そういえば、小便がしたい。
だが、そんな時間の余裕が果たしてあるのか。
小学校の西門からは、ランドセルを背負った子供たちが元気よく飛び出している。コンビニのトイレを借りに行ってる間に、沖田総一郎のご息女がやって来るかもしれない。
運転手の任に就いた初日に、体たらくは見せられない。
となれば、残された道は立ちションだ。我慢するという発想はなかった。
急いで車から降りて、人がいなさそうな茂みに向かう。すぐに、生活用水が流れるドブ川にたどり着く。
チャックを下ろし、放尿。
ドブ川の横幅は、大人が助走をつければ飛び越えれそうなものだ。さすがに勢いよく飛び出した小便といえども、向こう岸には辿りつけない。
落下した小便は、じょぼじょぼと音を立てる。思いのほか溜まっていたのか、まだまだ出続けそうだ。向こう岸に小学生男子がやって来ても、途中では止められない。
「おい、見てんじゃねぇよ!」
状況が状況なだけに、いくら怒鳴っても男子をビビらせることはできなかったようだ。それどころか、そのガキは立ち止まる。
「てめ、なめてんのか。あっちいけよ!」
ことごとく、ガキは藤澤の命令を無視する。
あろうことか、立ち止まったままズボンを下ろしてきた。剥けていないだけでなく、毛も生えていないチンコをさらしてくる。そこから、ガキも立ちションを始める。
男たちの小便が交差する。
なんだ、この状況は。
素直にコンビニに行っておけば良かった。そんな反省ができるぐらいに、体感時間は長い。
先に小便を出し尽くしたのは藤澤だった。チャックを閉めるよりも、逃げるのが最優先。
車までの道のりを全力で走る。決して振り返らなかった。後ろを向けば『UMA小便小僧』が追いかけてきているかもしれない。
極道をびびらせる小学生とは、なかなかだ。
毛の生えてないチンコでも侮れない。
車まで戻ってきたとき、藤澤は後ろを振り返る。『小便小僧』の姿はない。
チンコばかりに意識をとられていたが、冷静になったらいまのガキを知っているかもしれないと思った。
近藤旭日にカレーをおごってもらった喫茶店で、浅倉弾丸の息子の隼人という子供を見かけた。あいつに似ている。
色々あって、隼人は幼なじみのスカートの中に頭を突っ込んでいたっけか。
「あたしの体操服、返してよ」
女の子の嫌がる声が聞こえた。小学生が笑いながら西門から走ってくる。
男子は三人、デブ、ノッポ、坊主。三人とも無邪気に笑っている。
大人と違って複雑な悩みもないのか、羨ましい笑顔だ。純粋だから、人生が楽しいかもしれない。
それら三人に続いて、一人の女子が必死な形相で追いかけてくる。どこかで見たことのある顔だと藤澤は思った。
隼人にスカートの中に入ってこられていた女の子に似ている。
久我遥か?
「いっつも、いっつも。なんなのよ、あんたたちは」
男子たちは大きな一本の木の下で立ち止まり、女子を待ち受ける。
「うるせぇな」
と、ノッポが反論する。身長は中学生よりも高そうなのに、声変わりがまだでアンバランスな印象を受ける。
「黙れ、黙れ」
と、デブも続いて口を開く。ちょっと喋っただけで腹が減ったのか、給食で出たと思われるパンを、おもむろに取り出してデブは食べ始めた。
「そうだ、久我。いつも言ってるだろ。嘘つきは喋るなって」
坊主頭の口から飛び出した名前を聞いて、女子が久我遥だと確信する。
こんな偶然の遭遇があるとは、さすが田舎だ。さっきの小便小僧が隼人かもしれないという予想も、あながち間違ってはいないかもしれない。
「お前は喋ることのほとんどが嘘なんだから、くさい口は閉じてろよな」
えげつない坊主頭の言い草に、取り巻きのノッポとデブが笑う。
小学生は純粋だ。ただ真っ直ぐに、人を傷つける。遥が泣けば男子たちの反応も変わるかもしれない。
だが、彼女は怒りをあらわにするだけで、涙を流さない。
取り巻きとちがい、坊主頭は面白くなさそうだ。
女の子が持ちそうな体操服袋の紐を握り、それを膝で蹴っていく。
リズムよく右膝、左膝と交互に蹴っていた坊主頭がミスをする。藤澤と目が合ったのが原因かもしれない。
別に、なにも見ていませんよ。
口笛を吹いてとぼけながら、藤澤はようやく車に乗り込む。エンジンをかけて窓を開けると、すぐにエンジンを切った。
「だいたい、嘘つき、嘘つきってうるさいのよ。あたしは別に嘘なんかついてないもん。見たんだからね。山のほうに飛んでいく大きな鳥を」
遥の声がしっかり聞こえてきた。他の連中の声も車にいても届くだろう。
「だから、それが浅倉のいうところのUMAだとしても、証拠がねぇだろ。見たっていうんだったら、なんでそのときに写真撮らなかったんだよ。写真あったら信じてやるのによ」
「そーだ。そーだ」「しょうこ、こしょう」
取り巻きの知能レベルは低そうだ。
「しょうがないでしょ。そのときは、カメラなんて持ってなかったんだから」
「だったら、嘘って言われても仕方ないだろ」
「なんで、そうなるのよ」
「なぁ、久我。知らないんなら教えてやるよ。嘘つきは犯罪のはじまりなんだぞ。ああ、そうか、そうか。だから、父ちゃんがいない訳か。嘘つきだから捨てられたんだな」
うつむいて押し黙る遥を見て、坊主頭はさらに続ける。
「そんな顔するなよ。わかったって、嘘つきじゃないよな」
良心の呵責に苛まれたのか、坊主頭がいきなり掌を返した。遥から奪ったと思われる体操服袋を戻して一件落着に――残念ながら、なりはしない。
体操服袋は、真上に投げ捨てられた。
「久我は嘘つきじゃない。そして、おれも嘘つきじゃないからな。おれはお前から、なんも盗んでない。しかも、お前と違って盗んでないって証拠もあるしな。ほら、いま持ってないだろ。さっきまでは、どうだったか、よく覚えてないけど、まぁいいか」
投げ捨てられた体操服袋は落ちてこない。大きな木の枝に引っかかっているようだ。
「さっすが、有沢さん。野球部のコントロールっすね」
ノッポが頭の上に手をあげて拍手をする。ダイナミックなフォームの割には、パチパチの音は小さい。
「しかし、汚いもん触ってましたね。手ふきますか」
パンのカスがついてそうな手で、デブがポケットから雑巾みたいなハンカチを取り出す。
男子たちが楽しそうに笑っている。
それを見て、藤澤は背の高い順に殴っていってやろうかと思った。あんな小学生相手ならば、束でかかってこられても、ものの数ではない。
だが、藤澤が車の扉を開けるよりも先に、男子たちは走ってその場から消えていく。
やはり、子供は純粋だ。
純粋に嫌なことをする。
あんな残酷な目に、自分の子供があったらどうしよう。まだ子供もいないのに、不安がよぎるには十分だ。
残された遥の身長では、木の上に届きそうにない。
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