2013年【藤澤】 13 彼女と話し合った未来だから

「したり顔のところ悪いが、私が使った憚ると、憎まれっ子うんぬんの憚るでは意味がちがうぞ」


「そうなんですか?」


「憎まれっ子のほうは、はびこると発音が似ているせいで誤用されたものだ。憚るの本来の意味は、ためらう。遠慮する。といったものだからな」


「葛藤って、相反する感情の前で迷うことですよね。それをためらう。遠慮する。ん? どういうことですか?」


「もっと、簡単に考えろ。欅が教えてくれただろ。葛藤とは、抗争のことだと」


「つまり、抗争をためらう岩田屋ってことですか。確かに、そのまんまの現状ですね」


「それよりも、そろそろ本題に入ろうか。そんな入口にいないで、座れ」


 和室には、座布団が用意されていない。

 なので、絶妙な距離をあけて藤澤は沖田の正面に座る。


「私に呼び出された理由はわかるか?」


「えーと、その」


「里菜が怒っていたぞ。山本は、いつもどおりだが、なにか思うところはあるみたいだ」


 その二人だけが知ってることに、今日の呼び出し理由がある。とはいえ、その条件に合うものは、たくさんある。


「できれば、お前の口から切り出してほしかった。噂話として耳にしたくはなかった」


 言われなくても、沖田に伝えねばならない話がある。

 彼女と話し合った末に、上司に伝えると約束したことだ。


「これからなんだ、フジ。無理にでも引き止めたいとうのが、私の本音だ。改めて訊ねよう。藤澤、カタギに戻りたいという決意は固いのだな?」


 ここまでお膳立てされれば、藤澤でも自ら口を開けそうだ。


「はい。彼女と話し合った末の結論ですので」


 いまの言葉だけで、全ての力を使い果たした。

 視線を一つどころに定められない。あちらこちらと目が泳いでいたが、飾られている鎧兜のところで視線がとまる。

 鎧兜と共に飾られている日本刀。鞘と刀が別々に飾られいる。

 どの程度の切れ味かと想像するぐらいには、藤澤も刃物使いとして調教されている。


「なにも後ろめたいことじゃないんだ。胸を張っていいんだぞ。結婚を理由に辞めていくというのは、別に珍しいことではない。私だって、それが悪いことだとも思っていない」


 沖田の優しさが痛い。

 ああ、自分はなんてバカだったのか。

 どうして、自分の口から切り出せなかったのだと後悔した。

 心の中で藤澤は嘆くだけだ。やはり何も言えない。


「だが、高校生のアルバイトじゃないんだ。すぐに、組を抜ける許しは出せんぞ。諸々の引き継ぎを終わらせてからになる。いいか?」


 弱い藤澤でも喋ることができるように、沖田は導いてくれる。


「そこらへんは、わかってるつもりです。後腐れのないように、盃かえしのときにでも足を洗わせてもらいますね」


「それは随分と悠長な考えだな。こちらとしては、ありがたい限りだが」


「どういうことですか?」


「だから、盃かえしの前に、抗争が始まる可能性だってあるんだぞ」


「え?」


 自らの認識の甘さを痛感する。そこまで差し迫っているとは考えていなかった。というか、本当は何も考えていないのだ。バカだから。


「だったら、最短でいつ位に辞められるんですか?」


「すでに『計算』を終えている。いまから訊ねることで、違うことがあるなら、遠慮せずに違うと答えろ」


「わかりました」


「次の仕事は決まっていないな? これからハローワークに通うつもりだな?」


 否定する必要もないので構わないのだが、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。


「退職金はあるほうがいいだろ? だが、用意するほどの功績も残していないのはわかっているな? 金銭面でも苦しくなるが、貯金を切り崩してやっていくつもりか?」


 さすが直属の上司だ。性格や人間性を熟知されている。

 肯定ばかりの質問は続いていく。


「結婚するならば、一気に金が飛ぶのも知っているな? 結婚祝いに幾らか包んではやろうと思っているが、それをアテにしているのか?」


 過度な期待はやめたほうがいいようだ。常識内の金額での祝儀らしい。

 末端の組員でなければ、夢がある金額だったのだろう。功績がないと言われた。そもそも、いまのままでは抗争が始まったら死ぬだろうと考えられて鍛えられていた身だ。わかっていたことではないか。

 なのに、悔しいと思ってしまう。


「そこで、ひとつ提案をきいてくれ」


「提案?」


「次の仕事が決まるまでは、うちの組員として働いてくれないか?」


 沖田に言われるまでもなく、目先の収入に関して不安はあった。

 学歴もろくにない藤澤では、再就職が難しいのはわかりきっている。


「確認ですけど、転職先が決まったら、本当にすぐにでも辞められるんですね?」


「ああ。ただ、引継ぎには一日程度の時間がほしい。なので最短でも明日だ。もし明日、仕事がみつかれば、すぐにでも足を洗うのを許可してやろう」


「願ったり叶ったりの条件ですね。でも、問題点がないわけでもないんですが」

 言わずもがな、わかっていたのだろう。沖田は、深く頷いた。


「この仕事をしてたら、職安に行ってる暇がないということだろ。安心しろ、今後、お前にしてもらう仕事は、朝夕だけの簡単で安全なものだ」


「それって?」


「無論、仕事量に応じて収入は減ることになるが」


「そうじゃなくて、仕事内容がなんなのかと思いまして」


「藤澤も『計算』してみろ。お前の後釜として、弾丸に誰を鍛えてもらうかを」


「ああ、なるほど。山本の仕事の代役ってことですね」


 でも、困ったぞ。

 あの仕事を引き継ぐとなると、朝の通学時間から働かねばならない。彼女との約束を破らなければならないのか。


「不安そうな顔をするな。朝はもう間に合わないから、仕事は昼からになるだろう。これで、今朝も彼女を職場に送っていけるだろ? 車も近くに停めているなら、帰る前に朝飯を買う時間もあるだろ?」


「どこまで、こっちの事情をわかっているんですか?」


「大事な部下のことだからな」

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