2013年【藤澤】 11 筋を通すため、呼び出しに応じる

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『事務所についたら、すぐ私のところに来い』


 沖田からのメールに藤澤が気づいたのは、午前五時。彼女が借りているマンションのトイレの中だった。

 巖田屋会における自らの役割を放棄してからも、山本や里菜は藤澤を気にかけてくれていた。

 彼女との約束で、事務所に顔を出さなくなった理由を告げていないにも関わらず、同僚は優しい。


 とはいえ組長が相手では、なにも語らないという訳にはいかないだろう。

 なんの用事があったとしても、いまは極道をしている場合ではないのに。

 トイレの中には、99.9%以上の確率で妊娠結果がわかるものに、二本の線が表示されている。

 めでたすぎて、捨てずに保管しているのだ。

 その下に、置き手紙を残す。


『今日も職場に送っていくからね』


 彼女が眠る寝室に寄らず、玄関に向かう。顔を見て挨拶をしたら、沖田の呼び出しに応じようという決意が鈍ってしまう。

 大丈夫だと、自分に言い聞かせる。筋を通し終えれば、彼女が職場へ向かう前に帰ってこれるだろう。

 二時間後の午前七時には、買ってきた朝食をリビングで彼女と一緒に食べるのだ。


 そうと決めたら、藤澤は速い。

 早朝で点滅信号になっている道を走り、最速で事務所にやって来る。

 時間を少しでも無駄にはしたくないので、思い切る。初めて、事務所に隣接している駐車場を勝手に使う。


 愛車のロードスターから降りる。いつもの癖で、タバコを咥えたのだが、火を点ける前に五階建てのビルを見上げた。

 これだけ事務所が近くては、到着までにタバコを一本吸うこともできない。

 タバコを箱に戻しながら、これも何かの縁のように思えた。よし、いい機会だ。

 禁煙を本格的にはじめよう。


 沖田組の事務所は、エレベーター付きの良物件だ。ビルの図面は沖田が書いたらしい。彼が最もこだわったのは内装ではなくて、どこに建てるかという部分だったそうだ。

 事務所のビルを中心に、第二駐車場までの直線距離を半径として、沖田組に無関係な建物はひとつとして無い条件にこだわった。


 はじめから、これだけ好条件の場所があるはずもなかった。だからこそ、シノギの関係で手に入れたラブホテルを別のところに移転し、余った土地を利用してビルを建築したそうだ。

 ビルの正面玄関を抜けると、一階に掲げられた『浅倉組』の看板がひときわ目立つ。


 浅倉組が極道の事務所というのは名目だけだ。

 実際は弾丸のプライベート空間、いうなればセカンドハウスだ。最近では、ここで寝泊りもしている。実家では子供が二人待っているという噂だが、決して家には帰らない。

 育児放棄。弾丸を尊敬しているが、子供ができたら、そういう親にはなりたくないと藤澤は思っている。


 一階の入口を横目にしながら、藤澤は階段を上がる。

 二階の入口には『沖田組事務所』の看板。事務所のドアは鍵がかかっていない。いつものことだ。こんな無用心でいられるのも、浅倉弾丸のおかげ。『報復の浅倉』は存在だけで牽制力として成り立つのだ。

 敵対組織が、よほど追い詰められていない限り、弾丸がいるときは殴り込みをかけてこないだろう。

 もう一度携帯電話を取り出して、沖田からのメールを見た。


『事務所についたら、すぐ私のところに来い』


 寝ぼけていて、ありもしないメールを見たわけではないらしい。

 いまごろになってびびってきた。腹をくくるしかないのに、遠回りをする。エレベーターを使わずに、非常階段に出てゆっくり登っていく。

 階段を登ることで、低い位置からでは見えなかった日の出を拝めた。


 壮大な眺めに、頭の中が空っぽになる。

 こういう風景を漢字で二文字や三文字でまとめられれば、子供の名前として使えそうだ。

 アイデアを形に出来ぬまま階段を登り続ける。藤澤はバカなので、名前を思いつかないだけでなく、屋上に繋がる扉の前まで歩いてきていた。


 登りすぎた。

 今度は階段を下りていき、五階の非常口の扉を開ける。

 右手側のエレベーターを通り越すと、タタキと呼ばれる靴を脱ぐ場所がある。五階だけは土足厳禁。和風な内装なのだ。

 板間の廊下を靴下で移動する。歩く度に板を鳴らしながら、一番奥の広い部屋の前にたどり着く。

 荒くなる呼吸を抑えつつ、廊下に膝をつき、そのまま正座をする。


 障子越しに、人影が二人分見える。

「へ?」


 一人は座禅を組んでいるように、座っている。

 もう一人は立っていて、棒状のものの先端を座っているものの喉元に突きつけている。

 関係者以外立入禁止の状況で、これはしゃれにならないぞ。


「沖田組長!」


 叫びながら障子を開ける。

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