2013年【藤澤】 09 いつも帰り道に考えてしまう

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 愛車ロードスターの鍵を手の中でジャラジャラさせながら、藤澤は事務所を出て駐車場を目指す。


 沖田組内で下っ端の藤澤が車を駐車しているのは、仲間内で『第二』と呼んでいる駐車場だ。

 幹部連中が使う『第一』が事務所に隣接しているのに対し、『第二』は事務所から徒歩三分の距離にある。


 夕陽が沈むまで動かし続けた藤澤の体は、汗くさい。

 肌着を新しいものに着替えても嫌なにおいが消えなかった。

 はやくシャワーを浴びて、さっぱりしたい。事務所にも風呂場があるのだが、ほとんど使えないので、あってないようなものだ。


「里菜専用の風呂場じゃないってのに、まったく」


 毒づきながらも、今日も拝ませてもらった里菜の全裸を思い出す。

 屋上の時点で全裸になった里菜に対して、先にシャワーを使わせてくれとは言いづらい。

 こうなってしまっては潔く家に帰るべきだと、この十日間で学んでいた。あいつの長風呂を待っていたら、家のベッドで眠りにつくのが遅くなる。

 重い足取りが、部活帰りの学生時代を振り返るキッカケになる。こんなふうに、学校の駐輪場までクタクタの体で移動したっけか。


 不意に蘇った記憶だが、藤澤は部活をすぐに辞めたクチだ。

 いつも手を抜くことばかりを考えていた部活動。それを見透かされたのか、先輩や指導者には嫌われていた。

 漫画に影響されて始めたスポーツだった。だから、可愛いマネージャーに彼氏がいるのを知った日に、退部の決意を固めた。


『勉強が疎かになってきたので、辞めさせてもらいます』


 藤澤の部活動は、嘘をついて終わりを迎える。

 そんな折、ただひとりだけ退部を引きとめようとしてくれたのが、西野だった。

 西野が入部した理由も、同じ漫画を読んだのがきっかけだったはずだ。

 考えてもみれば、先輩連中は後輩に対しては誰に対しても等しくクズだった。それなのに、西野は部活動を辞めなかった。


 結果、あいつは一年生のうちにレギュラーを勝ち取り、いつの間にか可愛いマネージャーとも付き合っていた。

 それだけでなく、部活を辞めても定期テストの順位が下降の一途を辿った藤澤とちがい、西野はテストの度に学年で一桁台の順位を維持し続ける。

 文武両道。

 くわえて顔だってまずくない。さらに言えば、実家は地元では有名なリフォーム会社で、社長の息子という肩書きだってある。


 立派な人物。将来は安泰。

 素晴らしい二代目――だったのに、どうしたよ。色々と考えた末、いまみたいな道を選ぶなよ。


 殺人の容疑を受けたいま、手のひらを返した奴がいたならば、弱そうならぶん殴ってやる。

 任せろ、西野。

 なんでもいいから力になりたいと思っているんだ。


 いつも帰り道に考えてしまう。

 親友の西野のために出来ることが、いまの藤澤にはいくつもない。

 上手に人を殺せるようになるのが、西野の事件が起きる前だったならば。

 そんなことを考えて、藤澤は首を横に振る。


 仮に、それで西野の役に立っていたら、いまから帰る家に彼女はいないぞ。

 帰宅中。

 と、彼女へのメールを作る。

 送信ボタンを押す頃には、第二駐車場に到着だ。


 携帯電話から顔をあげて、違和感を覚える。

 ロードスターの横に、見慣れないシビックが駐車している。

 運転席側が見える位置に移動すると、車内がジッポの火で照らされる。

 運転席に座ってタバコを吸う男は見知った顔だ。藤澤は反射的に頭を下げる。

 伊達組の組員で、名前と顔が一致する数少ない人物の一人だ。


 近藤旭日。キヨさん。


 川島疾風に一時期、運び屋として仕事を斡旋していたのも彼だ。

 優しいが、どこかいい加減なところのあるお兄さん。

 藤澤が頭を上げると、運転席側のウインドウが開いていった。


「お疲れ様です、キヨさん。沖田組の駐車場にいるなんて、珍しいですね?」


「お前を待ってたんだよ。とにかく、堅苦しい挨拶はいいから、乗れ」


 汗臭いのを理由に断れたかもしれない。そんな風に考えたのは、助手席の柔らかいシートに腰かけたあとだった。


「俺を待つにしても、こんなところじゃなくて、事務所に入ってたら良かったんじゃないですか?」


「そうしたいのは山々なんだけどな。沖田組の事務所、いま組員以外は立入禁止になってるぞ」


「あれ? そうなんですか。でも、キヨさんは同じ巖田屋会系列じゃないですか。多少は融通きかせることもできたでしょうに」


 タバコの煙を窓から外に吐き出しながら、近藤は困ったように笑う。


「融通きかせるって、思いのほか目立つ行為なんだぜ。岩城の伯父貴が危険な状況で、そーいうのはゴメンだ。だからこそ、お前らが心配なんだ。沖田組がいま変に不透明なのもよくねぇぞ」


「どういう意味ですか?」


「ん? ここ十日間ぐらい、前回の会談を滅茶苦茶にした中谷勇次と守田裕を総力あげて探そうってことになってるだろ――って、その顔。もしかして、そこから初耳かよ?」


「ええ。探してるなんて知らなかったですね」


 だって、居場所なら知っていますから。

 中谷勇次は、沖田組事務所の屋上で寝泊りしている。

 守田裕は、シャイニー組のヤガ・チャンに身柄を拘束されている。


 無論、そのことは沖田や弾丸も知るところだ。

 にも関わらず、近藤が所属する伊達組に伝えていないのには意味があるはずだ。藤澤は沖田組の一員として、勇次の居場所は知らぬ存ぜぬを貫き通すと決めた。


「沖田さんのことだから考えがあるんだろうけど。それでも、客観的に考えてまずいぞ。十日かかっても、連中を見つけられていない現状だからな。誰かがかくまってるって妙な噂が流れてるぐらいだ。そんな中で、沖田組は事務所の出入りを身内だけに限定してる。ほれ、不透明すぎて真っ黒に見えるだろ?」


「怪しいと思われても仕方ないですね」


「そう思ってくれるなら、フジからも沖田さんに注意をうながしておいてくれよ」


「ええ。そうします。でも、なんでそこまで必死になって探してるんですか?」


「もしかして、岩城の伯父貴の状態も詳しく知らないのか? おいおい大丈夫なのかよ、沖田組。ウチにも小泉さんっていうクソみたいなホウレンソウ人間もいるけど、そっちも大概なんだな」


「もしかして、そんなに岩城会長ってやばいんですか?」


 まだ吸えそうなのに、近藤はタバコを車内の灰皿に捨てる。

 窓を完全に閉めてから、口を開く。

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