2013年【藤澤】 03 一線を退いても
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藤澤の手持ちのタバコは吸殻に姿を変えて、ガラス製の灰皿に押し込まれている。
のぼりはじめた太陽の光が、灰皿に反射して壁際に虹を作っていた。
事務所の窓に切り取られた日の出を眺めながら、藤澤は大きな欠伸をする。
「朝か」
向かいのソファーで横になっている山本が呟いた。
「なんだよ。起きてたのか、お前?」
「いや、いま目ぇ覚めたとこや。ほんで、電話は鳴ったんか?」
テーブルの上に、電話が四台。事務所の固定電話がひとつ、藤澤、山本、里菜のそれぞれの携帯電話が一台ずつ並んでいる。
「いまのところ、連絡はないな」
「ほなら、まだ岩城会長は死んでないんやな?」
「もし死んだら、沖田組長が教えてくれるはずだ。俺らのおやっさんは、報告・連絡・相談をしっかりしてくれるし」
「うちとちごうて、伊達組のところは、ホウレンソウがずさんらしいな。下が意見を出しても無視するし、必要なことを下のものに周知させへんとかをきいたで」
「あれだろ? 大事なことを教えてないくせに、知らなかったら殴られるんだろ?」
「まぁ、あくまで噂やけどな」
「けどよ。岩城会長が死んだら、色々とゴタゴタして、連絡が遅れるってことも考えられるよな?」
「それが、どないかしたか?」
「あくまで仮定だけど、俺たちのところに情報がおりてくるのが遅れて、マスコミがトップニュースで取り上げるなんてこともあるんじゃないかって考えてさ」
「なんやそれ。フジは寝てないと、クソしょうもないことしか言わんようになるな」
興味なさそうな口ぶりのくせして、山本はおもむろにテレビをつける。
ザッピングしてニュース番組にチャンネルを合わせてから、リモコンをガラス製のテーブルに置く。
「せや、最悪の場合、盃かえしがあるやろ。そうなったら、フジはどないするんや?」
盃かえしというのは、極道が代替わりに行う儀式のことだ。
極道の世界では、組長が代わる際に、組員が一新されることがままある。
いまから四年前の抗争で戦死した巖田屋会の前会長に代わり、その当時、巖田屋会の若頭を務めていた岩城が盃かえしを行い、巖田屋会の会長となった。
若頭時代の岩城は、巖田屋会の傘下、岩城組の組長でもあった。
巖田屋会の会長の座についたことで、岩城組の構成員は、そのほとんどが巖田屋会の直参の組員に格上げとなった。
前会長についていた巖田屋会の構成員は、幹部の組員となり、彼らもまた格上げした形となっている。
「そっか。岩城会長が死んだら、若頭である沖田組長が巖田屋会を率いることになるのか。ん? でも、それで『どないする?』ってのは、どういうことだ?」
「盃かえしってのは、後腐れなく極道から足を洗うにはええチャンスやろ? ナンパしたカタギの女とも順調みたいやし、それも悪い選択肢ではないんちゃうか?」
藤澤が付き合っている女性は、年上ということもあり、結婚を焦っている節がある。極道という職業に対しても不満しかないらしく、「もうちょっと待って」も言えない空気が、ここ最近は続いている。
山本に話せている彼女とのあれこれは、これぐらいだろうか。
安定期に入るまでは、黙っていてほしいと、彼女に釘をさされていることも、はやく教えたいのに。
「まぁ、カタギに戻るってのは、魅力的な道ではあるな。でもよ。抗争が始まるかもしれないタイミングで組を抜けるって、どうなんだよ」
「そんなこと言うてる間に、愛想つかされて逃げられても知らんで。ちょっと前までは、会えん日は夜中に彼女から電話かかってきよったのに、今日は朝まで一度も連絡きてないんやろ?」
「最近は夜ふかしをやめて、早寝早起きに徹しているだけだから。それに、ちょうどいいじゃんか。いまは、女にうつつを抜かしてる暇はないんだし」
「女にうつつを抜かすって使うとき、フジはいっつも疾風さんを意識しとるよな?」
「別にそんなことはない」
「それが、あるねんて、何年来の付き合いやと思ってんねん」
お互いのことを認識したのは、幼稚園のときだ。仲良くなったのは、小学校の修学旅行で同じ班になってからだった。
「フジは疾風さんに峠でちぎられたんが、よっぽど悔しかったんやな?」
そのとおりすぎると、藤澤はなにも言えなくなる。
情熱乃風を川島疾風が解散させて以降も、藤澤は愛車のロードスターで走り屋の真似事を続けてきた。コツコツと努力を続けていれば、疾風との差は埋まるはずだと信じていた。
助手席に乗せていた彼女には「疾風よりも俺のほうが速い」と自慢していたのに、現実はどうだ。
彼女の前で、恥をかかされた。
思い出しただけで、腹が立つ。
「別に、俺が遅い訳じゃないんだよ。単純に、あの人の走りがやばすぎるだけだ。なんなんだよ、あれは。一線を退いて、安全を求めて、腑抜けたはずだろ? なのに、あの領域でコーナーに突っ込むんだぞ! 極道やって度胸がついたはずの俺が、ビビっちまうぐらいの突っ込みっておかしいだろうが!」
「一線を退いても、別に腑抜けた訳やなかったってことちゃうんか? 情熱乃風を解散させた疾風さんに、もろ影響をうけとる勇次ってガキを思い出せや。腑抜けた男の傍におって、信念貫くガキが育つと思っとんか?」
頭に浮かびかけた中谷勇次の姿を、藤澤は欠伸をしてかき消す。
「お前の話はねむてぇよ」
ソファから立ち上がると、足元がふらついた。
冷蔵庫を開けて、スタミナドリンクを探す。疲れが吹っ飛ぶ怪しい薬はみつかったが、市販のスタミナドリンクはみあたらない。二時間前に藤澤が飲んだ一本で最後だった。
こうなれば、冷たいシャワーを浴びて気分転換をしたい。
しかし、里菜の長風呂のせいで、すぐには無理だ。
ソファに戻ってくると、テレビで星占いが流れていた。
付き合っている彼女の星座は六位で、可もなく不可もなく。細かい内容をきいておいて、教えてやろうと思ったが、音量を上げた頃には次の順位のラッキーカラーが発表されていた。
やがてテレビの画面は切り替わり、ニュースキャスターが頭を下げて挨拶をする。
トップニュースは、県外で起こった未解決事件の容疑者が逮捕されたとのこと。殺人事件らしい。
知らない事件だったが、容疑者のことは、よく知っている。
西野ナツキ、二三歳。
力が抜けていく。
握りっぱなしのテレビのリモコンを藤澤は落としてしまう。
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