31.2

 一方、稲田神社の境内では、美郷や怜路、広瀬、そして守山を始めとした安芸鷹田市の特殊文化財担当チームが、会場準備の仕上げをしていた。白い和紙を切って作られ、舞場から軒へと放射状に細くたなびく千道ちみちや、五色の切り紙で飾られて舞場の上を覆う天蓋、舞場と楽屋を仕切る神楽幕、四方を結界する斎竹いみだけが設置された。

 奥の祭壇には供物の準備が進み、楽人たちの座る場所、観客席なども仕度されている。といって、狭い拝殿のほとんどは舞殿や楽屋として使われるため、拝殿の中――すなわち屋内に座れるのは関係者だけだ。一般客は拝殿の外から観てもらうしかないため、拝殿手前側の戸は全て外される予定である。

 草地の境内には観客席として収穫コンテナや一升瓶ケースが並べられ、あちこちに焚き火の準備がされた。また、ゲスト神楽団が準備・待機するためのテントも拝殿の隣に建てられ、境内の端にはバザー用のテントも準備されている。

 いよいよ、明日だ。

 すっかり暮れた宵空の下、照明確認中の拝殿を見上げて美郷は深呼吸する。ふわりと白い息が、拝殿の明かりを反射した。作業着の上に真冬用のジャンパーを着込んでいるが、立ち止まっていると足下からしんしんと冷える。ここは緑里町の奥里、巴や安芸鷹田市街地よりもかなり気温が低い。風が出ていないのだけは幸いだった。

 明日のこの時間には、既に大祭が始まっている。手前に大きく「献燈」と書かれた提灯が光り、五色の切り紙で彩られた天蓋がライトの明かりを弾く様を美郷は眺めた。

「緊張しておいでですか?」

 そう背後から明るい声を掛けてきたのは、暗色のチェスターコートにマフラー姿の木元だった。県も今回の神楽大祭を後援しているとはいえ、木元自身が直接準備に参加しているわけではない。たまにこうして現場を覗きに来ては、声を掛けて去って行くだけだ。――だが、彼の「立場」を使ってもらえたことが、どれだけ今回の事件に役立ったかは計り知れない。その本意がどこにあるのか謎であったとしても、丁重に扱っておく必要があった。

「木元さん、お疲れ様です。……多少の緊張はありますね、やっぱり」

 振り返って美郷は頭を下げた。それに「宮澤さんなら大丈夫ですよ」と、やはり底抜けに調子の良い励ましが返る。彼が美郷を執拗に「鳴神」と呼んだのは、初対面の日だけであった。一体あれに何の意味があったのだろうか、そうチラリと考えた時だ。

「――明日、も招かれるんでしょう? 楽しみにしておいででしょうねえ、お兄さんの晴れ姿!」

 藪から棒に言われ、美郷は表情筋を総動員して取り澄ました顔を繕った。言われたとおり、明日の大祭には弟の克樹を呼んでいる。恐らく関係者席の名簿を見たのだろう。やはり鳴神家へのコネクションとして、美郷を見ている様子だ。克樹を紹介して欲しいという遠回しな要求であろうか。

「ええ――まだ学生ですから、あくまで見学に来るだけですが」

 にっこり笑ってそう返す。意訳は「てめぇに紹介なんざしねェからな(怜路風)」だ。

「あっはは、そう警戒なさらないでくださいよォ。弟さんが勉学に専念しておられるのはお聞きしております。何てったって、鉄壁のガードマンが全部シャットアウトしておいでですからねぇ」

 嫌味なくケラケラと笑って、木元は美郷の腕を軽く叩いた。やたらと馴れ馴れしい。が、現状はキッチリ把握しているようだ。

 現在美郷の弟、鳴神家の跡継ぎである鳴神克樹は広島県内の大学に通っている。出雲から東広島市に居を移している克樹の元には、鳴神一門の門人――鳴神家が経営する法人・ナルカミコンサルタントの社員がひとり、「連絡係」として付き従っていた。連絡係は名を築城つきしろというが、彼は克樹の付き人、鳴神本家との連絡係、あるいは東広島市での暮らしにおける克樹の保護者のような立場だ。

「県内の特殊自然災害事案について、出雲と築城さんを介して多少お手伝いしているらしいですね。対外交渉は全て築城さんがしておいででしょうから、木元さんと克樹は面識がありませんでしたか」

 笑みを作ったまま、美郷は小首を傾げて見せた。克樹の腕を鈍らせないため、ナルカミコンサルタントが請けた仕事のうちで、広島県内のものを克樹に回しているらしい。県内自治体に特殊自然災害もののけトラブル担当課があるからと言って、民間業者が仕事を請けていけない道理はないのだ。

 ただ、広島県は県内の現状把握を目的として、民間業者にも解決した特自災害を届け出るよう推奨している。自称「しがない場末の拝み屋」である怜路はその届け出をサボっていたらしいが(現在は巴市が彼と情報共有をしている)、鳴神ほどの組織であれば真面目に届け出ているようだった。その際、鳴神家と広島県の接触機会はあるのだろうが、全て築城がこなしているため克樹と面識を得られない、といったところだろうか。

「ええまあ、それは別に気にしちゃ居りませんよ。良い側近をお持ちだなァと感心するばかりで。――何か勘違いしておいでのようですね、。私が宜しくお付き合いしたいと思っているのは、克樹様じゃなく貴方だ。私は役に立ちましたでしょう?」

 嘘臭くも明るかった声音が、とろりと艶を帯びて低められた。ひくりと反応しかかる頬を気合いでとどめ、美郷も作り笑いを止めて目を細める。

「おれなんかに取り入って、一体何の得があると? 何度も申しておりますが、鳴神とは縁を切った身です」

 伸ばされていた腕をそっと退けて言えば、「分かってないなァ~!」と大仰に天を仰がれた。ムッとしたので、美郷も腕を組んで少し背を反らせる。

「――そもそも、もし本気でおれと仲良くしたいなら、一体何だって出会い頭から地雷を踏み付けに来ておいでで?」

「あっはっは、それは申し訳ありませんでした。まさか本当に一切出雲と連絡しておいででないとは思わず! だってそうでしょう、こんなに近場まで帰っておいでで、弟さんとは一緒にお仕事までされたのにィ」

 なるほどアレか。と美郷は頭の中だけで呟いた。この秋、巴と東広島の市境辺りで起きた特自災害案件を、たまたま克樹が請けた。克樹は処理する前に巴に一報を入れ、処理に同行することになった美郷に初めて築城を会わせたのだ。その時の事件がまあまあ大事になったおかげで、報告書の類から木元に美郷の存在を掴まれたのであろう。

「貴方が『鳴神家とは無関係』だなんて、もう今更押し通すのは不可能ですよ。本当は分かっておいでのはずだ――だからこそ、弟御をこのたび招待された。良い落とし所と思いますよ。立地としても規模としても、この大祭に鳴神を招かないなんてあり得ない。だけどまだ弟御の立場が盤石でない以上、貴方が大々的に出雲と復縁するのも上手くない。ですがこれなら建前上、次期当主を招いたことになるワケですからねえ」

 ニヤリ、と悦に入った木元の笑みが癪に障る。盛大に舌打ちしたい気持ちをどうにか堪えた。――こちらの事情を把握されている。

 安芸鷹田市、特に緑里町は島根に隣接している。中でも静櫛は県境に最も近い集落だ。自治体が特自災害に対応している広島県と異なり、島根においては全て鳴神一門が案件を処理している。今回の事件は怨鬼の強力さも、対して行う祭祀の規模も、鳴神のの目と鼻の先で素知らぬ振りなどできぬものだった。――だが、今回の件を鳴神に共有しようとすれば、美郷の存在を隠すことはできない。

(せめて克樹が卒業して、出雲に帰るまでは……っていうのも把握済みか)

 以前怜路にもチラリと話したが、まだ家の中が一枚岩でない可能性がある。美郷が余計な火種になるリスクは、低ければ低いほど良いのだ。ゆくゆくは父親の顔くらい見に帰るとしても、現状はまだ、美郷の存在を出雲に把握されない方が都合が良い。――克樹や築城を介して、恐らく当主ちちおやは把握しているであろうが、当主の側近や分家の連中にまで知らせてやる必要はないと思っていた。

「そんな怖いお顔をなさらないでくださいよォ。美人でらっしゃる分、恐ろしいんですから~。私は感心しておりましたんですよ、を見付けられたなあって! ――大変失礼ながら、鳴神家の中に貴方の居場所はなかった。それは傍から見ていても分かりました。貴方の存在は大きすぎて、慣例に従おうとする連中の秩序を乱してしまう。ですけど『この距離』なら問題ない! 隣県の、公務員! 文句ナシじゃあないですか。鳴神としても隣県の自治体とパイプが出来るし、当方も天下の鳴神一門とパイプが出来る。貴方が頭角を現し出世するのを、ご実家も大手を振って応援できるというワケです」

 そこまで先々のことを考えて、巴にやって来たわけではない。単純に、今後ひとりで生きていく上で「公務員」という職が魅力的で、かつ、己の磨いてきた技能を活かせる募集が巴にあっただけだ。多少実家と近すぎるのは懸念点だったが、早々に克樹が飛んで来てしまったことなど完全に計算外だった。

「――本当に、弟御想いでいらっしゃる。一門のお歴々が、貴方に期待を掛けておられたのも頷けます」

(そんな御大層な計算なんて、あるワケないだろ! ――って喚いて、何の得があるでもないか)

 勝手に誤解されているが、今のところ美郷の損になる誤解でもなさそうだ。そう妙に冷えた脳内で算盤を弾く。若竹同様、勝手に美郷を買い被るタイプなのだろう。ふう、と美郷は溜息を吐いた。白い息が流れる。早くこのやり取りを切り上げたいところだ。

「確かに……この度はとても助けて頂きました。木元さんのご助力あればこそ、ここまで漕ぎ着けられたと思っています。ですがお察しの通り、私はまだ、今日明日にでも出雲へ連絡できるような立場ではありません。パイプ役を期待して頂いても、お役に立てるかどうか」

 もう一度、曖昧に笑って見せる。買い被ってくれるのは勝手だが、過度な期待を持たれるのは迷惑だ。それに木元は、ぱむ、と手袋をはめた両手を叩いて「モチロン理解しておりますとも!」と明るい笑顔を返す。しみじみと、何を考えているのか分からない男だ。手袋が無駄に高級そうな所も嫌らしい。こちとら作業中ゆえ、着けているのは薄汚れた軍手である。

「これは先行投資ですよ、宮澤さん。ゆくゆく、次期当主が出雲に帰られて、貴方が出雲と親しく行き来できるようになった時に対しての。それに――でしょう? 個々の市町で対応するには限度がある、今回、そう痛感されませんでしたか?」

 話の風向きが変わった、と美郷は感じた。それまでの「駆け引き」的な雰囲気が、木元の口調から消えたのだ。美郷は目を瞬いて、真顔に戻る。裏にある真意を咄嗟に計れないが、それは実際、美郷が痛感したことだった。思わず指先を顎に触れ、目を伏せた。冷え切った指先を己の吐息が温める。

「そう、ですね。今回は事件の深刻度が違いましたし――安芸鷹田は、巴と勝手が違いすぎました。何より県警との協力を取り付けて頂けたことが有り難かったです」

「そうでしょう、そうでしょう。巴は警察署との連携も深く、部署自体の規模も大きい。ですが他の市町はそうは行かない……このままでは、また別の市町が巴にご負担を掛けるでしょうねえ。どの自治体も人口減少で業務は増えて、しかし人手は足らないし予算も取れない。――宮澤さん。我々は、を模索すべきだ、というのが私の考えです」

 そう言った木元の目は、本気の光を宿していた。これが彼の真の目的なのだ。だが、一体どういった形で、と美郷は想像を巡らせる。何か言葉を返す前に、木元は続けた。

「組織形態は追々考えますが、やはり民間の資本や人材も取り込める形がベストだと思うワケですよ。狩野さん、彼もとても優秀な呪術者だ。それに毎度毎度、議会を通りそうな予算の名目を捻り出す手間も、少しはマシにしたい。――それこそ、今日明日に叶う話ではありません。ですから、が来たら是非、貴方の協力を仰ぎたい。鳴神家ご長男のお力添えを、ね」

 ですからその時までに、是非とも出雲とは復縁を。そして「組織」を立ち上げられた暁には、貴方には組織の主軸になって頂きたい。そう囁くように告げた木元は、満足げに一礼して去って行く。と、数歩進んでから、思い出したように振り返って言った。

「お噂通りの、冷静で聡明な方だ。申し訳ありませんね、煽って試すような真似を致しました。目下の私情より大局を重視される方と分かり安心いたしました。どうぞ今後ともよしなに。それでは! 明日はよいカメラを連れて参りますね~」

「お褒めに与り光栄です。こちらこそ、今後ともどうぞよしなに」

 ニッコリ笑って美郷はひらりと手を振った。来んでいい、とっとと帰れ。そんな怜路の罵声が脳内再生されていた。

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