29.2
一方、怨鬼を封じるホールから少し離れた場所にある小会議室では、引き続き今後の打ち合わせが行われていた。広瀬もその末席に座ってはいるものの、特に自身から報告できることは持ち合わせていない。昨晩の件は既に警察官らや守山に全て報告し、今後の方針も共有した後だ。それでも以前のような居心地の悪さはない。むしろ、己が知りたいと思う諸々を教えてもらえる有り難い場のように感じていた。
(由紀子さんのことも、神楽のことも……俺にできることも色々あるだろうし、由紀子さんに訊かれた時、答えられるようにしたいもんな)
由紀子は昨晩未明に近くの総合病院へ収容されて以降、建前上は医師の指示により一切の面会――すなわち、両親が見舞いにくることも禁止されている。これは怨鬼の件をどう説明するかの方針が定まるまでの処置で、広瀬や西野は午前に由紀子と面談していた。その時に、怨鬼の存在から全て説明した方が良いであろうことは、本人にも伝えてある。会議後に病室を訪ね、改めて由紀子の同意が取れればすぐにでも高宮夫妻をこの施設に案内する手筈になっていた。
「ふむ、一通り報告は終わったな。では某が、先に怜路から預かっておった質問について答えるとしよう。あやつの問いは大きく三つ、一つ目は『某や御龍姫が怨鬼を滅することは叶わぬのか』というもの、二つ目は『なぜ神楽であれば怨鬼を滅せられるのか』というものだ。三つ目は『毎年奉納されておった櫛名田姫の舞はどのように機能しておったのか』だな。それでは一つ目から行くとしよう」
議長の座に納まり、泰然と会議机の上で手を組む大男が言った。名を宍倉司箭といい、数百年を生きる大天狗だという。もはや何が出ても驚かないつもりで居たが、それでも自己紹介の折、大きな背から巨大な鳶の翼が生えた時には声を上げてしまった。
怜路が司箭に託したという質問内容は、どれも広瀬も気になる有り難いものだ。漫然と「こうすれば怨鬼を倒せる」と司箭らに指示されて従っているが、どういった理屈なのか理解はできていない。
「まず、某や御龍姫に怨鬼が倒せるかと問われれば、それは無理だ。理由はアレが『あまりに多くの人間の
そう司箭が始めた説明は、概ね以下のようなものになる。
生き物が宿す「
そしてその「魂」は本来、肉体との舫いが切れればすぐに常世へ飛び去ってしまうものらしい。一般的に亡霊と呼ばれたり、怪異を引き起こす素となるのは魂魄のうち
「然るに、先ず以て怨鬼の内より囚われた魂魄を引き摺り出し、中を空にすることがミソとなる。そのための神楽――これが、二つ目の問いの答えだ。神楽で降ろす『静櫛の姫神』は当地の地主神――その土地の地霊に、当地に暮らし、そこで土に還った者どもの
そうして怨鬼の溜め込んだ動力を取り上げ、逆にこちらは姫神の力を借りて怨鬼を制圧するという算段らしい。靖の主導で組み立てた式次第に則り、静櫛の姫神を神楽の舞台に降ろす。そのために場を浄めたり、姫神の
広瀬の知る「神楽」よりも相当に呪術的、宗教的な要素の強い神楽がこれから準備され、催行される。人間ともののけが入り交じって舞台を調え、広瀬の友人たちがその上で「舞う」ことで神の力をその身に降ろし、怨鬼を断つのだ。それを想像すると単純にワクワクもする。
(けど、問題は「姫荒平」を舞える舞手探し、か……)
姫荒平の演目は、広瀬の友人たちが怨鬼斬りを舞う直前、式次第の最終盤に舞われる、最も重要な能舞となるらしい。その内容は、現在「櫛名田姫」として残っている演目の古式の姿で、荒ぶる神だった姫神が鎮め浄められ、善神となって静櫛の地を祝福する姿を描くという。
姫神の御霊を振り起こすための仕上げの舞であり、その舞を以て目覚めた姫神の神威が降臨する。その様が一体どんなものになるのか広瀬には想像も付かないが、鬼神役の舞手が三十分ちかく、ほとんど一人で口上を述べて舞う大変な演目とのことだ。能舞で用いられる神楽衣装は豪華で、その分重い。場合によっては二、三十キロにもなるという衣装を身に着けて舞える者は限られているだろう。
「して、三つ目の問いであったな……今まで毎年奉納されてきた『櫛名田姫』の機能か。櫛名田姫を舞うための鬼女面は、うぬらも知っておる通り怨鬼に奪われておる。鬼女面と、そこに宿る姫神の力を奪った怨鬼はその当時、それはそれは猛威を振るったそうだ。――まあ、ここからは某も、守山狐の調べてきた広島藩の
そう一旦言葉を切り、司箭は手元に配られていた緑茶ペットボトルの蓋を開けた。いい加減、喋りすぎて喉が渇いたらしい。その様子は本当に、当たり前の人間のようだ。
空調の要らない季節、加えて広い施設内には広瀬ら以外誰も居ない。ゆえに、誰かの喋る声が止めば穏やかな静寂が場を満たした。少し遠く、辺りの植え込みや草むらで鳴いているらしい虫の音が聞こえる。
「当時怨鬼鎮めのために静櫛に招かれた
あれが「あまり被害が出ていない」状態なのかと、広瀬はぞっとする思いで司箭の言葉を聞いた。その広瀬の視界の端、斜め向かい辺りに座っている靖が、ふと首を傾げる。
「アレっ、そう言えばなんスけど――そんだけ当時大被害が出たんなら、なんで全然記録が残ってないんスかね? たしか何か嘘っぽい伝承以外、なんも怨鬼の関する記録がないって……」
それに答えたのは守山だった。
「記録が残っておらんので憶測になるんじゃあありますが、怨鬼を封じた太夫の指示でわざに記録も口伝も消したんじゃろうと私も司箭殿も考えとります。村人のうちに怨鬼への恐怖が残れば、それが怨鬼に力を与えることもありますけえな。櫛名田姫の演目を大事に守って、怨鬼のことは無かったことにする。実態とは異なる伝承をこしらえてそれで怨鬼のことを上書きする。そうやって『土地の記憶から抹殺する』ことでも、怨鬼の力を削ごう思うたんでしょう。それも一種の
広瀬も今までいくらか職場で耳にしてきたが、「折々に思い出して唱えること」や「人が何かしらの強い感情を向けること」も、その対象に力を持たせる作用があるらしい。ならば逆も然りということだ。全て無かったことにして忘れ去ることで、怨鬼の弱体化を狙ったのだろう。
「――遭った被害や、奪われた人も含めて全部、っすか……シビアっすね」
沈んだ口調で靖が返す。村人の中には、大切な相手を奪われた者も多くあっただろう。
「それほど、静櫛の者どもにとってあれは難敵であったということだな。その無理矢理忘れた無念ごと、今のうぬらであれば晴らしてやることもできよう」
司箭の言葉に、場の空気の色が変わる。
(俺たちなら……)
広瀬もまた高揚する胸の内を自覚しながら、そっと拳を握り締めた。
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神楽の手順や機能、地主神・荒神などについては、あくまで「現代ファンタジーの設定としてそれらしく理屈が通る」ようにネリネリしてあるモンなので…フィクションということでよろしくお願いいたします~。(それなりに現実を参考にはしておりますが、「正しいこと」を書いてるわけでもないので…!)
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