二十九.準備
29.1
翌日、午後三時頃。怜路は安芸鷹田市内の、つい数年前に廃止されたばかりの公共施設に来ていた。警察署から目と鼻の先と言っていい場所にあるそこは、鬼女面の「とりあえずの安置場所」として先日整備し終えた所だ。運用開始はもう少し先の心づもりであったが、怨鬼が由紀子の元へ現れたことで怨鬼捕獲の予定が繰り上がり、昨晩未明に怨鬼はここへ収容されている。
場所の選定理由は緊急時――つまり万一再び怨鬼が脱走した際の「職員が駆けつけ易い近さ」と「周囲を巻き込む可能性の低さ」の兼ね合いだった。この廃施設の立地は旧市街地の「街中」と表現して差し支えないが、施設そのものが相応に広く、更に出入りする部外者がいない。よって遠慮無く封じの結界を幾重にも張ることができ、それを荒らす者の心配もなかった。警察署から、全力疾走すれば三十秒程度の距離という利点も大きい。
「――とは言え、こりゃアレだな。三ヶ月も置いときゃ、近所のクソガキが侵入して荒らしちまって、封印破れるヤツ」
街中の廃施設に封印された怨鬼。字面が駄目だな、と洩らした怜路に、隣の広瀬が止めろ縁起でもない、と小言を言う。
「ホラー映画の冒頭かよ。フラグ立てるな、フラグを」
「その場合、おれたちってどういう役回りなんだろうねえ……」
解決する側かな、それとも怒られる側かな、などとノンビリ美郷が碌でもない話題に乗った。広瀬は午前中、最寄りの病院に一旦入院となった由紀子の様子も確認し、十時頃には出勤したらしい。なかなかどうして体力がある。
無駄話をする若手三人の前で、施設の鍵を開けていた守山が振り返って冗談めかして言った。
「映画のように他所から高名な術者がやって来て、一刀両断してくれたらラクじゃあありますなあ」
「無茶を申すな守山狐。鳴神家の直系の陰陽師と葦穂山綜玄坊の養い子、この組み合わせを超えられるような相手など、そうそう居るわけもないぞ」
呆れたように返すのは、守山の傍らに立ったラフな格好の大男――天狗面を外し、装束を着替えた宍倉司箭である。「いや本物の大狐と大天狗も大概ですよ」と小さくツッコミを入れる美郷に、広瀬が「まさに人外魔境」と呟いた。
大概、広瀬もこの「人外魔境」に慣れてしまっているが、怜路らの更に後ろではまだ特殊自然災害慣れしていない警察官組が顔を強張らせている。結局怨鬼の件をそのまま担当することになったらしい西野と栗栖だ。更にその傍らには、こちらは興味津々といった風情の森山
「そいなら、中へ入ってみましょう」
守山にそう誘われ、一行は正面玄関のガラス戸をくぐる。対応に金を出し渋っていて勝てる敵とも思えないため、廃施設は一時的に電気契約を再開してあった。勝手知ったる守山が照明のスイッチを入れ、皆を施設で最も大きなホールへと案内する。処分しきれていない備品を隅に寄せられた、モダンなタイル柄の床を張られた大広間だ。正面には舞台もあるので、往時には講演会なども催されたことだろう。
そのがらんどうの大広間の真ん中、長机の上に置かれた木箱こそが怨鬼の宿る櫛名田姫の鬼女面だ。木箱は厳重に封じ符を貼られ、五色の縄で縛められて、箱の上には不動明王像が置かれている。更には長机の四方――北東・南東・南西・北東に忌竹を立てて四手を垂らした注連縄が張られ、竹には霊符が内側へ向けて吊られていた。そして駄目押しとして、注連縄の外側には東西南北それぞれの面の真ん中にボードが立てられ、密教で四方に配置される明王の姿を描いた仏画が中央の鬼女面を睨んでいる。
「うっわ、これマジなヤツだ。絶対ホラー映画の最初に、忍び込んだ馬鹿がふざけて壊すやつ」
「いやマジも大マジだからね、広瀬。ホントに壊されたら、おれも怜路も冷静じゃいられないヤツだから」
思わず、といった風情で声を上げた広瀬に、すかさず美郷が突っ込んだ。それに怜路もうんうんと頷く。本当にそんな真似をされた日には、怨鬼を封じるよりも先にその馬鹿共を殴りに行きたくなること請け合いだ。ちなみに、怨鬼の脱走や侵入者のイタズラ対策としてウェブカメラも常時稼働し、この場所に異変がないか見張っている。
「おお~、なんか密教神道陰陽道のフルコースって感じっスねえ」
そう感嘆したのは靖で、「そうなのですか!」と興味深そうな相槌を打ったのは栗栖だ。――なかなか、総勢八名の団体行動は騒がしい。
「うむ。まあ持てる限りの手を尽くして抑え込んでおるようだな。と言っても、外縁の結界は万が一の時の保険のようなものであろう。では、手筈通りに行くとするか」
そう言って目配せした司箭に、美郷が頷いた。この場を仕切っている大男と、警察官二名や靖は今日が初対面だ。相手が一体何者か把握しきれぬまま、ひとまず美郷や守山に倣って話を聞いている様子だった。
「僕が怨鬼の封印を確認してきます。この場所に封じていま半日ほどですが……たったこれだけの時間でもし変化があるようなら、封印の方法やメンテナンスの頻度を考えないとですし」
そう皆に告げて、美郷が注連縄を潜る。怜路は黙ってそれに続いた。司箭の言った「手筈」とは、怜路と美郷が昼前に御龍山を訪ね、司箭に守山も交えて打ち合わせた内容である。怨鬼封じに関わる現場の人員を所属問わず全員この場に集め、実際に怨鬼の様子を確かめた後、別室で今後についてのミーティングを行う予定だ。怨鬼の封じに問題がなければ美郷と怜路もミーティングに参加できるのだが――。
「……司箭殿、守山さん。先に別室へ皆さんをご案内ください。おれと怜路はここでやることが」
幾分固い声で美郷がそう告げ、聞いた守山も毛足の長い眉を曇らせながら頷いた。その守山が、怜路ら二人以外を別室へ移動するよう促す。
「あー、じゃあ司箭、『俺からの質問』も頼んだ。あと広瀬、昨日みたくスピーカーで通話入れといてくれ。コッチは……イヤフォン持って来りゃ良かったな。誰か持ってねえか、イヤフォン」
流石にないだろう――あって欲しくない、と思っていた「もしも」に遭遇してしまい、準備不足を露呈した怜路に手を差し伸べたのは靖だった。
「あ、自分、有線のヤツなら持ってるッス。イヤフォンジャックあるスマホ?」
その問いにああ、と頷けば、靖は何が入っているのやら大きく膨らんだ、アウトドアブランドのリュックサックのポケットを漁り始めた。取り出されたイヤフォンを礼と共に借り受け、通話履歴から広瀬の番号をコールする。守山に先導された一行はホールを出て行き、片耳にイヤフォンを突っ込んだ怜路と、怨鬼を封じる木箱を睨んで何やら考え込んでいる美郷だけがその場に残された。
「ったく、不死身かクソッタレ」
思わず呟いた悪態に、イヤフォンを突っ込んだ右耳から笑い声が返る。
『そう気落ちするでない。かつてソレが出した被害に比すれば相当に大人しいものだし、うぬらはよくソレを御しておる』
「くそ、知ってンぞ、てめえら脳筋ジジイが人を褒める時なんざ、相手を慰める時だけっつーことくらい!」
司箭の宥める声に噛み付けば、「嘘は言うておらぬぞ」と更に笑い声が響いた。なお「脳筋ジジイ」とは、司箭や怜路の養父であった綜玄坊をはじめとした大天狗らのことだ。
『死人の数もあるうちに入らぬ。封じられておった百数十年の間に、相当弱っておるようだ。――さて、皆席に着いたな。ではまず各々名乗るところから始めようではないか』
仕切り屋らしき司箭が、どうにも守山の役割を奪って場を回しているらしい。まずは己から、と司箭の自己紹介が始まった。空けている左耳にも遠くその野太い声が聞こえる。怜路らの居るホールから、彼らの集う小会議室はあまり離れていないのだ。
大天狗、大狐、とトンデモ自己紹介が続き、感嘆や呻きなどのざわつきを広瀬のスマートフォンが拾って怜路の耳に届ける。どうやら守山は、
怜路はこの場に残ってはいるが、実際にやることはほとんどない。封印や結界といった細かい作業は美郷の担当だからである。それでも残っているのは、危険な相手である怨鬼を前に単独行動はしない――必ず二人一組で作業に当たると申し合わせているからだ。
『ではまず、それぞれの報告から始めるとするか。某の話は長くなるゆえ、他から頼むとしよう』
どっしりと落ち着いた司会進行に促され、まず西野の声で警察側からの報告が始まる。昨晩の事件を警察としてどう処理したかや、怨鬼に憑かれた被害者でありながら、場合によっては刑事責任を負うことになりかねない高宮由紀子の処遇、そして彼女の現在の状況の説明だ。罪を問われると言って、結局由紀子が行ったのはコミュニティセンターへの不法侵入と軽微な器物損壊程度、器物損壊――建物への侵入や屋根に出るため錠前を破壊したことに関しては、科学的に見て彼女が為し得る方法でないと断言できるため問わずに済むだろうとのことだ。不法侵入もどうにか罪に問わない方向で調整するようだった。
最大の難問は刑事責任云々よりも、彼女がなぜ突然家を飛び出したのか――怨鬼のことを抜きに、家族の理解を得られる説明が難しいことの様子だ。由紀子本人は多少の火傷や足の怪我がある程度で体に問題はないそうだが、方針が定まるまでは、昨晩救急車で搬送された先である、ここからほど近い総合病院に入院してもらうらしい。
『高宮さんに関しましては、はァ怨鬼のことをなしに説明するのは無理でしょう。お父さんの高宮先生はいっぺん怨鬼を見とってですし、みな言うてしもうた方が高宮さんにもエエんじゃあないでしょうかねえ』
そう言ったのは守山だ。ぽつりぽつりと賛同の声が上がった。
『でしたら、その説明は市役所さんにお願いしてもエエでしょうか』
西野がそう問い、守山と広瀬が了承して話題が次に移る。
『鬼女面が吐き出しておった、動く遺体の件ですが――ウチの霊安室に収容されておった全てが、昨晩のうちにこと切れたようです。一般的な遺体と変わらん死後変化が観察され、動き出す気配もないそうなので……まあ「出土品」ではないんですが、近世以前の遺体いう扱いで文化財保護法に則った手続きを進めます。この遺体に関しては県庁の木元さんが引き受けてくださってましたので、このままお任せできればエエかと』
あの木元某という、怜路にしてみれば気に入らない男は、それでも何かと有用らしい。動く遺体の収容や、怨鬼の存在なしに説明し難い一連の事件など、田舎の下っ端公務員ばかりでは対処しきれない事案に「責任者」として判を捺してくれる有り難い存在のようだ。
(美郷にすり寄って来る狙いが見えねえ、っつーのがなァ……)
ただ鳴神のネームバリューに飛びついて、ゴマを擦りにきただけのボンクラかと思いきや、存外使える男のようだ。となると尚更、その思惑が気になる。
『――じゃあ、次は私からっスね。姫荒平事次第の解読については、全解読はまだ先っすけど、大体の要点の抜き出しと、別地域に現存する神楽の式次第との突き合せを進めてマス。協力をお願いしてる神楽太夫さんも広島県内の方なんで、近々にその方と私と、市役所の皆さん、それから地元の静櫛神楽団の団長さんで打ち合わせができればと思ってて。具体的な準備期間はその時にでも目算が立てられればオーケーかな~って感じなんスけど、もしリミットとかあれば先に教えといて貰えたら有り難いっすね』
飄々とした口調の靖の問いに、応答したのは守山だった。
『なるほど。しかし私らもとんと想像ができんでアレなんですが、逆に「最低限このくらいはかかる」いうんはありますか? なんぼ何でもヤレ来週に~とは行かんのんでしょう?』
逆に問われ、靖が「うーん」と唸る。
『そっすねえ……今からやるコトとして、式次第の確定、奉納場所の準備――コレは他所だと一年掛けて舞殿を建てるとこからやったり、
いつの間にやら美郷が「サン」付け、怜路は「君」付けになっている。目くじらを立てるほどのことでもないが、やはり身に纏う雰囲気の違いであろうか。なお、天蓋や千道というのは、簡単に言ってしまえば神楽を奉納する舞台の上や周辺に垂らす、和紙を切って作られた呪術的な飾りのことだ。陰陽道の影響を色濃く残すもので、怜路の目にも興味深い代物だった。
『新しゅうに舞と楽を、ですか……なんぼくらい演目があってんです?』
そう問うたのは西野だ。「そっすねえ……」と靖がそれに思案する。
『本式の大神楽ってなると、現存する他地域のヤツでも丸ひと晩、姫荒平の事次第を見ても、どうも丸二晩くらいは続くんで、演目の量もハンパなくて。どの程度まで端折っても機能するのか、そーいうのはウチらじゃ分かんないから、うーん、まずその辺を宮澤サンに確認しないとなんスけど……。とりあえず、何人か協力してくれる太夫さんを招いて、儀式舞とかの一部はお願いする予定っす。能舞の部分は、いくつかは静櫛さんのレパートリーからプログラム組めばイイかなと思ってますけど、「姫荒平」の演目とか、他にも外さない方がよさげな演目があれば事次第から拾って再現して、あとはラストの「怨鬼斬り」を色々参考にしながら組み立てて……あ~、その辺の「演目創り」に掛かる時間がまだ読めないっすねえ……うーん、ひと月……ふた月……年内? 年は跨ぎたくないッスよねえ……』
中国地方一円で行われる神楽は概ね、「儀式舞」と「能舞」という二種類の舞で構成されるという。儀式舞とは、鈴や榊などの
各々には「場を浄め、神を迎える舞」と「迎えた神をもてなす舞」という役割があるとされるが、芸北(広島県北西部)で親しまれている「娯楽性の高い神楽」というのは後者の能舞が、エンターテイメント方面へ発達したものだそうだ。無論、どの神楽団も儀式舞は伝えているらしいが、保持している演目の数は、儀式舞を重視する地域ほど多くないらしい。ちなみに、怜路が美郷と舞うことになる、最終盤の舞――仮に「怨鬼斬り」と呼ばれている舞は、はおのおの破魔の武器を持っての儀式舞になる予定だった。
『いかにも。あまり長丁場になっては不測の事態を招くやもしれぬ。年を跨ぐことは避けた方が良いであろうな……ここはひとつ、一陽来復を願って冬至の晩に日を定めるのはどうだ』
司箭の提案に、「おぉ」と感嘆の声がいくつか上がる。一陽来復とは年の瀬、陰の気が極まり、初めて次の陽気が生じる冬至の夜のこと、 転じて、悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうことも指す。タイミングとしても験担ぎとしても申し分ないだろう。現在から数えてまる二ヶ月もない計算になるが、致し方ない。
『了解ッス。じゃあ――二ヶ月弱でカタチになる、かつ、ちゃんと機能する祭礼を組み立てれるよう、大急ぎで調整します』
『まあ最重要演目となる怨鬼斬りは、若く舞の心得もある術者二人に任せられる。そう心配はなかろう。他は「姫荒平」を
その場に居ないのをいいことに、雑に持ち上げられて背負わされた気配だ。ツッコミを入れるため懐のスマホに手を伸ばしかけた怜路を、美郷が振り返って呼ばわった。
「ごめん、ちょっと手伝って欲しいんだけど」
そう頼まれ、片手を上げて了承を返す。そのまま懐からスマホを取り出して告げた。
「勝手に俺らの期待値上げてンじゃねーよ、司箭。広瀬、コッチは今から作業すっからガシャガシャ言うぜ。そっちの音量下げといてくれ」
広瀬から了解が返るのを確認し、再びスマホを仕舞った怜路は美郷の背へと近付く。イヤフォンの向こうでは、司箭の指摘に靖が「確かに」と唸った。
『神楽団の皆さんはみんな本業は別にお持ちの社会人スからね……仕事が終わった後や休みの日に、集まって練習されるんでしょうし――ゼロから覚える系の演目で、しかも終盤の重要な舞……次が怨鬼斬りになるでしょうから、宮澤サンか怜路君に頼むのも厳しいっしょーし。わっかりました、考えときマス』
一方の怜路は、美郷の後ろから手元を覗き込んで問いを投げる。
「どうした」
それに美郷が、開けられた木箱の中を指した。
「鬼女面に直接貼ってた封じ符が破れかけてるから、面を木箱から出して直接の封じを強化したいんだ。やっぱ五色縄で面を直接縛っといた方が安心できそうだからね……。箱から出して封じ直す隙に暴れられたら困るから、アシスト頼んでいいかな」
箱の中に目を凝らすと、鬼女面に貼り付けてある封じ符のいくつかが黒く焦げたようになり、破れかけている。司箭は「これで相当弱っている」と言ったが、だとすれば全盛期には一体どうやって抑え込んだのだろうと背筋が寒くなった。
「おう、もっぺんギッチギチに縛り上げてやろうぜ。――つーて、封じ符破れ掛けのモンを素手で掴んで平気か?」
「はは、白太さんの『大嫌いフラッシュ』が効いたらしくて、あんまりおれにちょっかい掛けてきそうな気配はないね……」
美郷の苦笑に「そいつは何より」と軽く笑い、怜路は木箱に巻いてあった五色縄を解いて片手にまとめる。美郷が慎重に木箱から面を取り出し、怜路は美郷の指示通りに鬼女面を五色縄で縛り始めた。
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お客様の中に神楽団員様並びに関係者様など、お詳しい方がおいででしたら、もし「それはない」って箇所はソッとお教え頂ければ幸いです~~~。ちょっと…練習期間などは、作劇上の都合を優先しました……。
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