28.2

「なーにが感謝だァ! ギリギリ過ぎンだよ!!」

 突風に煽られながら威勢良く吠えた怜路の声は、それでも安堵にまみれていた。広瀬が由紀子を受け止める様子をチラリと見下ろし、美郷も軽く息を吐く。

(よかった……司箭が間に合わなければどうなってたか。高宮さんの転落を予測できてなかった、おれのミスだ)

 安堵と自責が胸の中でせめぎ合う。だが、あまり暢気に反省してもいられない。由紀子を突き落とした鬼女面が、まだ美郷らの正面に浮かんでいる。その面の裏から溢れ出した幾つもの触手が、周囲に広がりのたうち回っていた。

それがしとて、守山狐から報せを受けてすぐに飛んで来たのだ、文句を言うでないわ。我らの他に、パトカーとキュウキュウシャとやらを連れて守山狐が迎えに来ておる。下の者どもはそれに任せればよかろう」

 怜路から連絡を受けた守山が手を打ってくれたらしい。上空から報告をくれる司箭に頷き、美郷はようやく出番のやって来た神刀を構えた。

「ありがとうございます。――怜路、怨鬼の触手はおれが。捕縛縄を頼む」

 りょーかい、と軽い応えが返る。鬼女面を捕えるための捕縛具は、五色の紐を編んだ縄だ。その先端には分銅が付いており、投擲して巻き付けることで相手を捕えられる。怜路は五色縄の先端を、ひゅんひゅんと軽快に回しながら構えを取った。

 宙に浮いた鬼女面は、不自然な角度に傾いたまま小刻みに震えて見える。その周囲では面から溢れ出た触手が縦横に蠢き、のたうち回っている。それは、由紀子の拒絶に酷くダメージを受けた様子にも、耐え難い怒りや屈辱に震えている様子にも見えた。

(アレを少しでも減らさないと、捕縛縄が弾かれるだろうな……コッチに敵意を向けてこないのは――そんな余裕がない、からか? まあいい、やることはひとつだ)

 神刀を構え、美郷は瓦を蹴る。気付いた怨鬼の触手が、美郷を迎え撃とうと五指を開いた手を幾つも伸ばす。端からそれを斬り捨て、美郷は触手の数を削ることに集中した。

 集中した――のだが。

 ――うっ……ううっ…………。

 頭の中に、苦痛に呻く悲しげな声が響く。今にも泣き出しそうなのを、どうにか耐えて嗚咽を殺しているような、悲しく辛い声だった。

 ――うぅ、不味い……まずいぃ……!!

 神刀が触れる触手の、あまりの不味さに呻く白蛇の嗚咽だった。

(白太さん、もう少し、もう少し耐えてくれ……!)

 祈るように念じる。左上から襲い掛かってきた触手を袈裟懸けに、左手を離して返す刀で右横合いからの触手を斬り上げ、更に頭上のものを撫で斬りにして、正面の一本を突く。

 神刀を賜ってから、多少は勘を取り戻そうと時間を見付けて刀を振り、時には怜路に相手をしてもらってきた。加えて幸い怨鬼の触手は、神刀相手に抵抗するほどの力を持たないらしい。鍛錬の甲斐も合わさって、斬るだけならばほとんど無抵抗に斬れるのだが、いかんせん数が多く――そして、不味い。

(うっ、おれまで気持ち悪くなってきたな……)

 白蛇が泣くのも無理はない。だが、次回は方策を考えるとして、今は耐えるより他にないのだ。気をしっかり持て、と美郷は己に念じた。しかし。

 ――いや、不味い、白太さん……もう、

 体内の白蛇が、苦痛に震えているのが分かる。蹲り、ぶるぶると震えるような、ただならぬ感触に嫌な予感が迸った。

 神刀がカッと熱を持つ。美郷は思わず動きを止めて半身の名を呼んだ。

「白太さん!?」

 ――もう、イヤ――――――ッッッッ!!

 どん、と神刀を中心に力が爆発した。

「おわーッ!! 何だソレお前!?」

 常人の目には映らぬ光に灼かれ、驚いた怜路が叫ぶ。白い光の爆発に、周囲の触手は全て灼き尽くされて消滅した。

「怜路! 今だ――!」

 説明は後だ。必死の形相で振り返った美郷に、一瞬で状況を把握した怜路が頷いて前に躍り出た。縄の端に括り付けられた分銅が、狙い違わず鬼女面の横を掠める。続く五色の縄が角度を変えて面に触れた瞬間、遠心力で分銅が回転しぐるぐると縄を鬼女面に巻き付けた。

 ガアァァァ!! と、声ならぬ咆哮が響く。

「――ッシャ! 成功!」

 力を封じられ、ただの物体と化した鬼女面が、がらんと音を立てて屋根の上に落ちた。すかさず美郷は鬼女面に駆け寄り、刀を傍らに置いて、専用の封じ符を取り出し鬼女面に貼り付ける。

「除災与楽、心中善願、決定けつじょう成就、決定円満!」

 符が発動し、怨鬼の力を完全に鬼女面内部に封じ込めた。それを確認し、ほっと息を吐いて美郷は面を拾い上げる。

「成功か。やれやれ――んで、さっきなァ一体何だ、刀爆発したかと思ったぜ」

 背後から覗き込んだ怜路が、呆れと心配の入り交じった声音で問う。それに苦笑いを返し、美郷は刀も拾って立ち上がった。

「白太さんの起こした爆発だよ。刀は無事、だけど――」

 鬼女面を怜路に渡し、美郷は襟を寛げた。背中から、ヨレヨレと萎えた白蛇が出てくる。その口に刀を納め、美郷は大きく溜息を吐いた。

「怨鬼の触手があんまりに不味くて、白太さんがヒス起こしちゃった。見てよ、このヨレっぷり。この世の終わりみたいな顔してない?」

 そう言って白蛇の頭を持ち上げ、怜路の顔へと向けさせる。事情を把握し、気遣わしげな表情で白蛇を覗き込んだ怜路が、片腕に錫杖と鬼女面を抱えて空いた手を白蛇に伸ばす。

「おお、メッチャしょぼくれてンな。よしよし、白太さん頑張ったなあ!」

 ――怜路ー!!

 いつでも全力で白蛇を甘やかす大家の声に、堪えきれなかった様子で白蛇が美郷から飛び出した。びよ、と空を舞った白蛇が、怜路の肩に着地して巻き付く。

 まるっきり、保護者に泣き付く幼子だ。怜路はといえば、おーよしよし、と満更でもなさそうに白蛇を慰めている。

「とりあえず下に降りよう。全員無傷、とは言えないけど。全員で帰還できてよかった」

 そう言って地上に降りた美郷らを、無灯火でやって来ていたパトカーと救急車、守山と栗栖が出迎えた。

 ――なお、美郷の白蛇はしばらく怜路の肩に蹲って震えており、あまりの哀れっぽさに、遠巻きながら広瀬が心配そうな視線を向けていた。

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