1.3

 広瀬と宮澤は、おなじ私学高校のクラスメートだった。

 進学コースも同じ文系で受ける授業が一緒だったため、三年間つるんで過ごした相手である。

 当時の宮澤は当然というべきか、校則に従い髪を襟足に触れない長さで切り、霊力だの呪術だのはおくびにも出さず生活していた。本人が入念に隠していたらしいそれに根がお気楽者の広瀬が気付くはずもなく、彼が特別な人間だと知ったのは一年前、市役所の入庁日に四年ぶりの再会を果たした時だった。

 再会当初はその変わりようと、大きな隠し事をされていたのに大層ショックを受けてヘソを曲げたものである。その公務員としてはありえない髪型の理由は呪術のためだそうだが、実際使われるところを広瀬はまだ見たことがない。

「しかし、たった一年で俺も仲間入りなんてなぁ……霊感のレの字もない俺に出来ることなんてなんもないと思ってたのに、気付けばかなりコキ使われてる気がする……」

 市役所生活二年目、特自災害に入って半年が過ぎた秋の昼下がり。抱えていた大量のチューブファイルを己の事務机に降ろして広瀬は嘆いた。

「あはは、みんな『平均年齢が若返った!』って喜んでるからね。おれは下っ端仲間ができて嬉しいよ……」

 同じくデスクの上にファイルの山をこしらえた宮澤が、しみじみと言った。特自災害は広瀬の思っていたよりも、遥かに肉体労働の多い部署だった。それも、漫画や小説から想像するような異能バトルではなく、聞き取り調査や市内の祠堂の維持管理、祭祀の手伝いといった地味な仕事がほとんどだ。

 毎日のようにあちらこちらに荷物を運んだり、どこか山の中に分け入ったり川の周りを点検したりと外勤で動き回っている。そして合間合間に市民からの相談(もちろん、オカルト対策係なので心霊相談の類であるが、七、八割は病院か警察を案内する事案だ)を受けたり、受けた相談の書類をまとめたり、対応に行った案件の報告書をまとめて決裁に回したり、予算や決算の資料をまとめたりするのである。

 広瀬は一般事務職員なので、本来は後半の書類をまとめたりまとめたりまとめたりするのが仕事だ。だが何故か、はっと気付けば神主の真似事をしている時がある。正直に言って、時間がどれだけあっても足らない。

「明らかに人数足りてないだろこの部署。今年とかかなり新規採用増やしてるし、ここももっと人増やせればいいのにな」

 ぼやきながら、新館に切り取られて狭い秋空を窓から覗く。淡い色の空高く、うろこ雲が流れている。今はちょうど、秋の例大祭……いわゆる秋祭りが市内各地の神社で行われる真っ盛りの時期だ。特自災害という部署は、この秋祭りの手伝いもして回る。一体なぜ秋祭り、と最初は広瀬も首を捻ったが、市内にある神社の神々をきちんと「おまつり」しておくことは、この部署の大切な防災活動だという。この世界に勘のない広瀬は「そうなのか」と丸呑みするしかない。

「ウチは難しいと思うよ。専門職集めるのは大変だし、それに――」

 特自災害の専門職員に必要とされるのは、「呪術」や「霊能力」といわれる類の技能だ。当然のように幽鬼狐狸妖魔の類が視えなければならないし、それらと渡り合うための術を会得していなければならない。「自称」の詐欺師紛いの連中は世の中に掃いて捨てるほどいるが、特自災害が欲しいと思えるレベルの術者はなかなか見つからないのだという。

「それになにより、予算がつかないから……」

 ふう、と物憂げな溜息と共に、宮澤が世知辛い現実を吐き出した。長い髪の美青年が目を伏せる耽美な絵面と、言っている内容のギャップが酷い。

「予算か。予算なあ……」

 それは確かに、と決算報告書類の手伝いをしていた広瀬も深々と溜息を吐いた。この部署の経費は物凄く怪しいのだ。断じて誰も不透明な使い方はしていない。だが、議会で突っ込まれれば間違いなく説明は難しい。――市内に出没した妖怪を封じるために使った呪符の紙代など、どうやって報告すれば良いか分からない。あるいは、とある山の天狗を懐柔するために購入した酒代など。

 無論、市長や副市長、この街に古くから根付いた市議らは特自災害のことを知っているし、重要性も理解している。だが、マスコミに見付かれば十中八九アウトだ。よって、気配を消しておく必要がある。

「まあ、辛気臭い話しててもしょうがないな。宮澤、ファイルここに置いたまんまでいいか? 半から係長に呼ばれてたよな俺ら」

 言って、広瀬は事務室の壁掛け時計をちらりと見遣る。時計の長針は二十五分を指そうとしていた。

「うん、大丈夫。ありがとう。何だろうね、話って」

 にこにこと礼を述べた宮澤が、事務室内に上司の姿を探す。しかしファイルを抱えた広瀬と宮澤が書庫から事務室に帰って来た時から、既に係長である芳田の姿は見えない。

「そう言えば今日、昼過ぎに怜路りょうじも係長に呼ばれてるって言ってたけど――」

 ふと思い出した風情で宮澤が言ったとほぼ同時に、ガラリと派手な音を立ててオンボロな事務室の引き戸が開く。次いで、元気というよりうるさい若い男の声が、高らかと挨拶した。

「ちわーっす! 拝み屋りょうちゃん参上っ。係長に呼ばれたンだけどいるー!?」




「相変わらずテンション高いなお前……」

 広瀬のげんなりした声に出迎えられて、ノリノリの声と共に大股に事務室に入って来たのは、高い背を丸めた金髪グラサンのチンピラだった。ひとつ年上のその人物は、美郷にとっては「大家兼同居人兼友人」である。

 チンピラ大家の名は狩野怜路かりのりょうじ、普段は市役所から一本向こうの通りにある小さな鉄板居酒屋でヘラを繰るアルバイト店員だ。派手に色を抜いた金髪をワックスで固めてツンツンと立て、目元は薄めの色のサングラス、耳にはいくつもシルバーピアス、服装はルーズなシルエットのストリートファッションと、大変近寄り難い身なりをしている。

 歩くたび、ベルトからさがったゴツいウォレットチェーンがじゃらじゃら鳴るのに、広瀬が蛮族を見るような視線を送る。美郷はもう慣れたが、付き合いの浅い広瀬は気になるようだ。広瀬、怜路とも美郷に比べれば外向的・社交的なタイプだが、野球部員だったり生徒会役員だったりした広瀬と、見るからにドロップアウト組――実際、じつは小学校すらマトモに卒業していないぶっとんだ経歴の持ち主である怜路は、互いのような人種と接点がなかったのだろう。面識を得ておおよそ一年。共通の友人となる美郷を挟んで微妙な距離の探り合いをしている。

「ンだよ広瀬、今日もシケたツラしてんなァ」

 市街地より少し離れた山里に大きな古民家を所有する怜路は、離れに美郷を住まわせ、ほぼ同居のような生活をしている。彼もまた自称の通り「拝み屋」で普段は個人営業をしているのだが、たまにこうして特自災害に呼び出されていた。要件は勿論、「特殊自然災害」の解決だ。

「お前が来るってことは厄介事だと思ってな。俺も一緒に呼ばれてる」

 その怜路と同時に呼び出されたとなれば待っているのは厄介な事件だろう、と思い切り渋面を作る広瀬に、怜路がケラケラと笑った。怜路は見た目通り、力技で怪異を黙らせるタイプの武闘派だ。広瀬の見立ては間違っていないはずだと、美郷も内心同意する。

「マジか。じゃあなに、広瀬っちもとうとう本格的に特自災害デビューかァ。ま、一緒に頑張ろぜ! ――ってンな嫌そうにしなくてもいいだろうが」

 正面から広瀬の肩に左手をぽんと置き、親指を立ててバッチリ決めたチンピラが、心底嫌そうな広瀬の顔を見て鼻白む。その左手を撤去しながら広瀬が深々と溜息を吐いた。

「まずその呼び方やめろ」

「えー、ケチ!」

 ファッションセンスに反して人懐こい男なのだが、広瀬はそのノリに付いて行けないようだ。

「つーか、お前ホントに考えてること顔に出るよなァ。そっこまでデカデカ顔に書かなくてもよくね? なあ美郷ォ」

 美郷や広瀬よりも目線ひとつ分背の高い怜路が、傍でファイル整理をしていた美郷に突然話を振る。いつものじゃれあいと大して聞いていなかった美郷は、「何か言った?」とそちらを振り向いた。

「コイツお役人に向かなさそーだなって話」

 広瀬は考えていることがすぐ顔に出る男だ。確かに、窓口業務をさせると危なっかしいかもしれない。だが裏表がないぶん、慣れれば付き合い易い男だし、その反応の良さを怜路もお気に召している様子だ。

「ああ、それはまあ……分かりやすくて良いと思うよ」

「宮澤、それフォローになってないぞ」

 言葉を選んだつもりでヘラリと笑った美郷に、広瀬が肩を落として突っ込んだ。


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