第4話 無駄と無駄と無駄
ただ、すべてを無駄にして生きている。そういう実感があって、それで、そうあれないことにつらさを感じてる。私は無駄にすることが嫌で、苦しいことだと思ってる。
けれど、私は全部無駄にしてる。無駄にしていたいのかもしれない。全部が無駄であれば、なんなんだ。
今これを書いていることも、多分逃げてるんだ。多分じゃない。逃げてるんだ。いやなことばかりだから、目の前の苦しみから逃げてるんだ。いやなことが嫌で、いやだから、耐えれないから、逃げ出してしまう。
なにもしたくない。いやなことから、逃げたい。ただ、苦しいことが多すぎる。ただ、しかし、こうやって無駄にするしないということを考えている時点で、私は、時間をある程度大切にしていて、しかも時間に縛られているのだといえよう。
時間は、私たちの世界を小さくし、縛り付ける安全装置だ。時間があるから、寿命で死ぬし、遠くの星には行けないし、不可能なことがある。時間とは変化だから、それ自体で、苦しみを生み、喜びも、絶望も、幸福も生み出す。
しかし、時間がなければどうなるか。時間がなければ、私は永遠に存在し、その思考や記憶が変わることはなく、無限の可能性を秘めれるようになるだろう。
だが、それは、終着点もある。変化の終着点。そこにたどり着いたとき、終わらない私は、存在できるのか?
変化の終着点というものがあるかどうかは不明でしかないが、それがあるかどうか知れた時点で、その者に時間はなく、そこが終着点ということになる。
終わらなければ、どこが終わりなのかもわからないのだから。
時間に縛られる私だが、私には暇があるらしい。寄生獣でミギーが言っていた。
「人間ってのは暇がある生物なんだぜ」
たしかに、私は、これを書いてる時間や、勉強や、ゲームなども、全部暇な時間というわけだ。本来はやる必要はないものであり、それが趣味でしかないなら、優劣をつけようとするのはどうかと思う。
この世界は何かと、順列を決め、上だとか下だとか、でワーワー言ってるイメージがある。すべてが均等かつ、平等ではいけないのか?
時間に縛られさえなければ、ストレスは感じないのだろうか。終わりを考えさえしなければ、時間というものは、邪魔でしかない。しかし終わりがあるからこそ、時間にとらわれてしまうのであり、終わりというものの存在意義はあるのか?
でも、すべてが、終わらないのはそれはそれで苦しいのかもしれない。
しかし、どうすれば楽になれるんだろう。いやなことばかり。楽しいことがない。つまらない。面白いことがない。なんで、こんなにも、私は、なんで、これ、どこが本当かわからない。どこまで、思考をして、どこで止めれば、本当の私なのかわからない。すべてが私だとするなら、ちぐはぐすぎる。
まるで、生物のように、ぐちゃぐちゃで汚い。私の思考は、この世界の法則から生まれたもののはずなのだが、まったくきれいではない。この世界の法則は、汚いのだろうか。矛盾する法則が、同時に存在してしまうのだろうか。そんな法則があるか?それはもう、法則ではない。そうは思わないか?まぁ、ただ単に、欲が、嫉妬が、恨みが、憎しみが、怒りが、不必要に、過剰にあふれ出ているだけで、私はそれを認めたくないから、私は私がどこにいるかわからなくしたんだろう。多分そんな感じだろう。
いつからだろうか。私の感情がわからなくなったのは。私は、内を思っているのだろうか。私が私でなくなっていくという感じなのだろうか。ただ、わからない。不明が私の心にはたくさんある。それすら不明だがな。
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