第2話 ただいつだって

 ただいつだって統一された、安心した、安定した、安らかな思考の中で生きていたかった。私にとっては、すべての世界が、複雑で、ばらばらで、安心できず、不安定で、いやな、苦しい思考で、包まれている気がする。


 何というか、私は、どこにいるのかというのが難しい。私には、行き場所がない。第一、居場所というのがどのような場所を指すのか、私にはわからない。


 少し、昔の話をしたいと思う。私は子供の頃、小学生の頃だろうか。誰かといることが多かった。なんだかんだで孤独、クラスの中で誰とも話せないみたいな状態になることはほとんどなかったように思える。


 意外にも、私の周りには誰かがいた。特段、わたしから何かアクションを起こしてはいない。起こしてないつもりだ。しかし、私の周りにはたくさんの人がいた。


 でも、私は彼らのことを知らない。名前、行動などは知っていても、今彼らが何をしているかなんてことは知らないし、その当時も誕生日も、家がどこなのか、何が好きなのか、そういいことを知らずにいた気がする。そして知る気もなかった。


 つまり、学校には居場所があったのだろうか?私がいることが何か意味が理由があったのだろうか?私とは言うなれば、各々の連結ポイント、ただの中継点にしかすぎなかったのではないだろうか。

 いつからか構築された関係が、私を連結部分にして、連結していたからこそ、私のところには人が多かったのではないだろうか。

 最初は私は必要なのかもしれないが、時期に必要ではなくなるだろう。私の存在意義はいずれ薄れ、ただの集合場所と成り下がるだろう。そのような感じが多かった気がする。


 しかし、そのような状態は私の他に2人いなければならない。私は3人というものがいつからか苦手になっていた。2人でいる時は、私のうざったい話も、自分語りも、全てが聞いてくれているような気がして、2人を好んでいる。


 でも、2人というのは、怖いものだ。その相手にだけ嫌われたら、その世界は終末する。私は敵意や、悪意というものが嫌いで苦手で見たくないものだ。そういうものが、私に直接飛んでくる。

 その状態を知らない時の私は2人が好きだったのだろう。


 しかし、私はその居場所が消えることを知った。2人でいる時も、相手にとっては私は誰かの一人でしかないということだろうか。

 私の存在を許容し受け入れてくれる場所を居場所と呼ぶなら、今までそのような場所はなかった。これからもあるとは思えない。


 しかし2人だろうが、何人だろうが、私は人の顔を見ない。多分これは、小学生の時の記憶が関係しているのだと思っている。


 正直、思い出したくもないが、忘れてしまいたいが、そんな記憶がある。

 ただの言葉の記憶だ。


「食べながら喋るのグロい」「なんか変な匂いしない?」


 この2つが私が人の顔を見れない原因だと思う。私は多分、私にコンプレックスがあるんだと思う。相手に気持ち悪いと思われたくないと思っているのだろう。


 相手の顔を見ないということは、相手がどんな顔をしているか確認しないことだ。

 ただ、私が単純にシンプルにいつも通りにしていることが、周りから見れば奇怪で気持ちの悪いものに見える。それがトラウマになってしまっているのだと思う。


 けれど、こうやって分析したところで治せるとは思えない。

 ただ、生まれ変わりたい。ただいつだって、私の居場所を探している。

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