生き苦しい

のゆみ

第1話 精神的向上心のないものは馬鹿だ

 多分こんな感じだった気がする。

 精神的向上心のないものは馬鹿だ、って「こころ」って小説に書いてた気がする。夏目漱石だったか、太宰治だったか忘れたけれど、そこら辺の有名な人が書いたやつ。


 しかし、この言葉は、ただしいのだろうか。まぁ、正しいかどうかは私にはわからないけれど、個人的には否定したいね。

 なんというか、馬鹿というのは、なにかと比較しなくては、それを馬鹿なのかというのは、判断ができない。例えば、一人でいるとき、世界に自分一人なら、自分が馬鹿なのかどうかなど考えないだろう。自分が間違っているのではないかと思うのかもしれないが、比較対象がないのだから、馬鹿だとは思わないと思う。


 つまり、馬鹿や、天才といった、優劣をつけるものは、相対的なものでしかないのだ。私は、絶対的に見るのが好きだ。だから、馬鹿という言葉も好きじゃない。

 馬鹿な人も、絶対的に見れば、ただの個性しかない。見ている時点で、完全な絶対性は得られてない気はするけれど。


 全ての、劣等性も、優越性も、絶対的に見れば、ただの個性でしかない。個性がない人にも、個性がないという個性がある。こういう風に見ることができれば、すべてはよいものに見える。世界が美しくなる。はず。


 はずとつけるのは、私が勝手に考えてるだけというのもあるけれど、私がそれを実践できていないからだ。

 私は、すぐ誰かと比べてしまう。誰かと比べて、誰かよりはましだという優越感を探さずにはいられない。自分より上のものを見返そうとは思わない。勝てないから。つまり、負けるのが怖いのだ。負けて、私の自尊心が崩れるのが怖いのだ。


 だから、勝負ごとにこだわらない。何かに固執しない。そういうことに固執している。

 私は、この性格は嫌いだ。誰かを見下すなんて、愚の骨頂だと思ってる。何かにこだわって、それだけは譲れないものを作りたい。でも、怖い。

 私の性格や、心は、私が私を守るために構築したものだと思ってる。私が傷つかないように、周りから遮断するように。


 正直、心地よい。心地よいこともある。傷つきたくないから。

 でも、でもさ。なんか、ちがうじゃん。壁を作らなくても、傷つかない世界がよいよ。全員が、石ころでいればいい。全員が石ころで、ただ、全員そこにいればいい。ただ、全員がなにもしなくても、自分で自分を認められる。自分で自分を絶対視できるように、なればいいのになぁ。


 なんなら、人類補完計画のように、すべての人を統一してしまえばいいのか。


 この性格がうんちのことか、周りの人の行動や、それらが、誰かより上に立ちたいという気持ちの表れだと気づいたとき、私はとても、生き苦しい。この世界から逃げたくなる。醜い世界から逃げたくなる。もっときれいな世界に生まれたかった。

 そして、自分も同じような行動をしているんじゃないかと思って、消えたくなる。もっと、きれいにうまれたかった。きれいに生きていきたかった。


 いきぐるしい

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