第22集
【211】
「戦争に正義も悪も存在しない。結果として正義と悪に分かれるだけ。」
対立する者のどちらかに加担するならば、もう一方が悪に思えるでしょう。
しかし、それは加担する側を変え、見方を変えれば反転してしまいます。
揺るがぬ悪や絶対的な善という存在は現実にはそう存在し得ないものなのです。
そして、最終的な結果が出た際には一方が悪として認定されますが、それもまた簡単に反転してしまうものなのです。
互いに善を翳して相手を悪として排除しようとするからこそ、戦争はややこしくて難しくなるのだと思います。
劇画の様な絶対的な「悪役」がいれば単純なのですがね…
【212】
「受験に失敗しても死ぬということはない。
今感じている重圧や緊張感を受け入れて、いっそ楽しんでしまうことだ。人生においてその感覚を味わえる機会はそう多くはない。」
私は受験勉強どころかまともに勉強した記憶がありません。テキトーに聞き流せば出来ていました。なので残念なことに受験勉強などによる重圧や緊張感は味わえませんでした。
しかし、それらを味わえるということはある種の経験の機会であると感じます。
だからこそ、落ちたら終わりと考えずに結果は後で出るだけと開き直って挑戦して欲しいと思います。
【213】
「川があったとき、迂回する人、泳いで渡る人、舟で渡る人、橋をかける人、手段は違えど目的地は変わらない。焦らなくて良い、目的地を見失うな。」
目的地があれば悩む必要はないです。
自分が正しいと思う手段でそこへと進むだけなのですから。
大切なのは目的地へと進むことなのです。
【214】
「旅は好きな人と共にするものではない。」
この言葉が指す旅がどんな意味を持つのか…
私はこう思います。
旅とは未知を指している、と。
未知を目指すならば好きな人とは行ってはならない。何故ならば好きな人という存在が枷となるからです。
好きな人を出発点に残して旅立ち、そして帰る為の糧とするべきだと言っているのではないでしょうか?
【215】
「人間は他者の幸せを見たときよりも他者の不幸を見たときに幸せを感じる生き物だ。しかし、本当に幸せになるためにはその逆の人間にならなくては幸せにはなれない。」
スポーツなどのイベントでは他人の結果に一喜一憂して馬鹿騒ぎするのにも拘わらず、なぜ日常では他人を祝福することが出来ないのでしょうか?
それが出来るか否か、それはその人の本質に関わるのでしょうね。
【216】
「言葉とは、時として裸を晒すことよりも自分自身を晒している。」
つまり、私は既に読者の皆さんに全裸を晒しているのでしょうね。
別に恥ずかしくありません。
【217】
「とにかく人は喋りすぎる。人が草や木のように静かならば今より少しは平穏だっただろう。」
言葉は武器にも薬にもなりますが、時として何も言わないことも大切だと思います。
【218】
「ほんの僅かでも、心のほんの片隅にでも、生まれてこなければ良かったなんてことだけは思わせたくない。」
親ってそういうもんじゃないでしょうか?
残念ながら子を殺す親は永遠にいなくならないでしょうが、子を育てる親にとって一番望むべきなのは子の幸せではないですか?
生まれてきた事を後悔させたくないのが親心なのではないですか?
【219】
「大人は子供に嘘をつくなと言うが、大人はすぐ嘘をつくものだ。」
大人が嘘をつく以上、子供も嘘をつきます。
何故ならば多くの子供は大人を手本にしているからです。
少しでもいい手本となる様な姿を見せたいですね。
【220】
「どうしても食べたくて知恵の実を食べたのではない。絶対に食べてはならぬと禁じられたから食べたのだ。」
アメリカの小説家の言葉です。
食べてはならぬと禁じられたからこそ食べてしまったという皮肉にも似た解釈ですね。
この言葉の元ネタには触れませんが、人には禁じられるとやりたくなる性質があるという事についての検証は、様々な機関によって繰り返し行われています。
多くの場合、この言葉の通りに禁じられるとやりたくなり、
さて、あなたはどちらでしょうか?
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