凛 ※凛視点

 雷麗レイリー桜綾ヨウリンの頬に手を添えた。その光景を僕は知っている。レイもいつもそうしていたから。彼奴に……リグリスに。

 長い廊下を抜けた先、その見事な雪景色に、吐き出した息は白く濁って、熱を持った頭を冷やすみたいだ。


 マーサが己をリグと名乗った時彼奴もついてきたのだと思った。いつもいつも忌々しく麗の周りをうろちょろしていたから。しかし、彼は僕たちに一歩及ばなかったらしく無理矢理植え付けた思考はただ麗を守ることだけしか方向を示さなかった。

 だからこそ、安心しきっていた。

 雷麗あの子を村に連れて帰った時、これほどリーチェと仲良くなると思わなかった。

 そして桜綾。あの女がこんなに雷麗と近いとも思わなかった。

 雷麗は一人っきりの孤独な世界で誰にも汚されることなく閉じ込められた哀れな器になるはずだったのに。目論見が外れこの展開の速さに僕はバグの根源を必死になって考える。


「これは復讐だから」


 だから、ここで終わるわけにはいかないんだ。脳裏に過った失敗の二文字に途端に苦しくなって胸の辺りを掴む。

 本当に全ては環境のせいなんだろうか?

 ——もし、もしも僕が……それも僕自身も気づかない内に変化していたとしたなら或いは——……。やめよう。考えたところで答えなど遠ざかるだけだ。


 そっと力を抜いて少し白くなった手を見つめる。雷麗と共に過ごした夜、僕は一度も彼女に触れられなかった。その寝顔を見るだけでも心の奥底が満たされるようで、たまらなくなってしまった。


「この計画はどこへ向かっていくのだろうか」


 希くば、今度こそ温かな世界で生きたいと、そう思わずにはいられない。


「凛殿、貴殿に話があるのだが」


 いつの間にか背後に立っていた桜綾に、びくりと心臓が跳ねる。どうやら警戒を怠っていたらしいと、僕は入念に笑顔を貼り付けて振り返った。


「なんだい?」


「雷麗を不安にさせないでやって欲しい」


 桜綾に嫌いなあいつが重なって胃の奥から不快感がせり上がってくる。それでも僕は笑みを崩さずに口を開いた。


「不安?僕は雷麗を大事にしているけれど……」


「貴方は知らないだろうが、私たちの幼馴染である丁家の王子は諜報活動が得意でな、雷麗の事情は大体此方も把握しているのだ。……つまり、貴方が一介の侍女に入れ上げていることも聞いている」


マーサの事か。別にあいつはそんなんじゃないのに。でもまあ誤解してくれてるなら好都合。そうして雷麗もマーサを嫌って避ければ奪われることもないのだから。


「心配そうな顔だね……」


暗い顔に虫唾が走る。マーサよりも厄介なのはむしろコイツだ。リグリスの顔がチラついて仕方がない。


「?」


「いや、なんでもないよ」


 ——それにしても丁か、厄介な奴だ。これ以上計画が狂うなんて考えただけでうんざりする。消すか?いや、それだと雷麗の精神に不調を来す恐れがある。それに、あの子は今僕を疑い始めている。彼女には僕に心酔していて貰わなきゃいけないのに。——嗚呼、本当に厄介だ!


「入れ上げていると言うよりも、雷麗の負担を減らしたくて、仕事のできる彼女に任せていただけなんだ。雷麗は身体が弱いからさ」


 これもある意味では事実だった。厄介な奴らをある程度は排除したけれど、やはり雷麗に恨みを持つ者はそれなりに多い。危険に晒すくらいなら、いっそ障害を無くすまでは休んでいてもらおうと思ったのだ。ほとんど副産物的な物ではあるけれども。


「でも、これからは少しずつ任せていくし、心配しないで」


「私が言っているのは……!」


「雷麗には僕だけだから」


 ——僕が手放すわけがないだろう?


 桜綾は納得したのかそのまま黙ってしまった。そして重たい沈黙を残し、彼女を呼びに来た侍従と共に城へと帰って行った。

 そろそろ雷麗達の元に戻ろう。そう思い踵を返すと、そこには雷麗がいた。呼びにきたのだろうか。僕と目が合うとハッとしたように笑顔を作った。


「ここにいたのね」


「……君は幸せ?」


 つい、口をついて出た言葉。雷麗の顔から一瞬笑みが消えた。それでも、またふわりと笑って「当たり前じゃない」なんて答えるんだ。


「ごめんね」


 君は何も悪くないのに。全ては彼奴等が悪いのに。こんな身勝手な僕に雷麗は触れた。細く白い指が、僕の頬を撫でる。その手を掴んで、そっと口付けをして、僕は雷麗の手を離した。

 雷麗を見ると顔が強張っていて、その奥に麗が一瞬見えてしまった。


 望んでいたはずのその時が遠ざかってしまえと思うなんて、身勝手な僕を赦して欲しい。

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