面影
「
あれから少しして皆んなが部屋に入ってきた。天は心配のあまり泣き疲れて寝ているらしくこの場にはいない。後で無事を伝えに行こう。
「全く、ちゃんと自分の限界くらい分かれよな!お貴族様がのぼせて倒れるなんて初めて聞いたぞ‼︎」
「心配かけてごめんなさい」
「次からはちゃんと無理なら無理って言うんだぞ!」
「はい……」
子供のように叱られる私を見て、凛はにこにこ笑っている。こうしている今も凛はあの人のことで頭がいっぱいなんだろうか。不意に目が合いお互い逸らしてしまう。
正直マーサの時以上に気まずい。
そうして視線を彷徨わせると、入り口のあたりで遠慮がちに立っている
「桜綾、あなたも心配してきてくれたのね、ありがとう」
微笑みかけると桜綾は深刻そうな顔で私の元へ歩み寄ると膝を折って頭を下げる。拳を床につけるこの礼法は張国の中でもかなり深い意味を持ち、王族がする事はまず無い。だからこそ、私は慌てる。
「どうしちゃったの?顔を上げて桜綾」
「客人を、友人を危険な目に遭わせてしまったんだ、これくらいでは足りん!」
「私と貴方の仲だもの気にしてなんかいないわ。そもそも私の不注意だもの。だからお願い、顔を上げてちょうだい」
ゆっくりと顔を上げるも、桜綾は俯いたまま。そう言えば、昔もこんなことがあった。私がお父様に頂いた鞠を桜綾が池の中に落としてしまい、私がお父様に怒られた後のこと。私の部屋に来てずぶ濡れの体で泣きながら汚れた鞠を差し出し謝っていた。
人一倍責任感の強い彼女はこうして何もかも気を負いすぎてしまうところがある。気にしていないと言っても一度その思考に囚われると彼女は相手を見られなくなってしまうのだ。
だからこそ、私は彼女の頬に両手を添えて視線を合わせる。
「本当に、私は大丈夫だから。心配かけてごめんなさい。そして、ありがとう」
「雷麗……本当にすまなかった‼︎」
「あっ!」
桜綾に抱きしめられて体制を崩す。ふと音が聞こえてそちらを見ると驚いた様子の凛と目が合った。凛はそのまま部屋を出て行く。一体どうしてしまったのだろう。凛の方に気を取られていると、上から茶化すような声が降ってきた。
「なんだか、こうして見ると雷麗も張の王様も俺たちと変わらないんだな」
そんな梓雨の言葉に、我に帰った桜綾はみるみる顔を赤くして私から離れると咳払いを一つ。
「話は変わるが雷麗に伝言じゃ」
居住まいを正して真剣な顔をする桜綾に梓雨は少し不躾な視線を向けていた。けれども桜綾が何も言わないところを見るといつの間にか打ち解けていたのだろう。
「丁のやつがな、お主が倒れたことを聞いて張に会いに来る事にしたそうじゃ」
「え?でもそれでは公式的な意味が……」
「追い出されたことも、知らない男と結婚したことも、その相手が李家であることも、今回の事も。もう我慢の限界だー!と手紙をよこしてきたぞ」
「そうなの……ってどうして倒れたことまで知ってるのよ?!」
「丁家は元々諜報部隊が起源だぞ」
それはつまり私達を監視していたと言うことだろうか?想像してゾッとした。恐ろしすぎる。一体何をどこまで把握されているのだろう。
「安心しろ、女性につけるのは女性だ」
「そう言う問題かしら?」
それにしても丁が来るのは予想外だ。日程を組み直さなくては。
楊のところに行くまでまだ時間もあるし、予定がめちゃくちゃだわ。
「雷麗の調子が戻ったのなら今日中に我が城へ案内したいのだが」
「私はもう大丈夫よ」
「それではもう少し休んでから出るとしよう」
桜綾はそのまま部屋を出て行き、ここには私と梓雨だけになった。
少しの沈黙の後、梓雨が口を開く。
「雷麗、俺さ凛様が怖い」
躊躇うように、言葉を選ぶように。梓雨は私の目を見て言った。
「それは、どうして?」
突然の言葉に変に圧をかけないよう努めて穏やかに尋ねる。
「なんて言うか生きてる感じがしないんだよ」
それを皮切りに梓雨は胸の内に溜まっていた凛への不信感を吐露した。
「笑顔だけど笑ってないって言うのかな。最初はかっこいいと思ってたけど、王宮についてからは雷麗ともよそよそしくて……違和感あるし。大体あのマーサって女もおかしいんだよ、凛様の事を麗って呼ぶんだぜ?何で凛様はあんな————」
「え?」
衝撃的な事実に後に続く言葉が頭に入ってこなかった。マーサは凛の事を麗と呼んでいたの?
どうして?だって凛は私を麗と呼んだのよ?
「あ、ごめん。そりゃ雷麗からしたら夫だもんな。こんなこと言われても……」
「そうじゃないの。……変だわ、どうしてマーサが麗を知っているの?それにどうして凛をそう呼ぶのかしら」
彼を知っていると言う事は、マーサも第四世界と関わりがあるのだろうか。もしかして、マーサにとって彼は大切な存在なのかもしれない。だからこそ彼を閉じ込めている、と思われる私を目の敵に……いや、そうだとしたらマーサが凛を麗と呼ぶはずがない。
麗は凛と自分を別の存在だと認識していた。そして、私を凛だと勘違いした時、怯えるような悲しむような素振りを見せた。けれど私が凛では無いと知ると心の底からの喜びを浮かべて私を見つめていた。つまり、凛と麗は別の存在で、麗は私とよく似ている。だからこそ凛は私を……。もう訳がわからない。
麗とは一体何者なのだろう。
「……麗って誰だ?」
黙り込む私と梓雨の問いが重なった。落ちていた視線を上げて梓雨を見ると彼はずっとそうしていたように私を見つめている。
「……わからないわ。もしかしたら、凛が何かを知っているかもしれないけど」
彼は私が思い出すのを待っていた。思い出せば私と麗の繋がりが見えてくるのかもしれない。けれど教えるつもりはないのだろう。いつからか私が思い出す事を恐れているようだった。
「聞いても答えてくれない、か」
「ええ」
「俺さ、弱いしガキだし礼儀なんて全く知らないけどさ。絶対に雷麗の味方だからな!だから、辛くなったら言ってくれ。俺がいつだって連れ出してやるから!」
「ありがとう」
「でも、今は宙の事を考えましょう。私は大丈夫だから」
これは私たちの問題だから。
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