交わり

 真っ暗な闇の中、私はと思った。どこまでも続く闇の中で、自分の体だけは鮮明で、もう一人の登場人物を待つ。


「君は誰?」


 穏やかな声色。その声が聞こえた時、私は花園にいた。足下には薄い黄色と桃色の小さな花が咲き乱れる花畑。頭上には、果てしなく続く青空。それらがあまりにも歪に思えて、目の前の人物に恐怖さえ感じる。


「……誰でも良いか。そうだ、僕を閉じ込めているのは君かな?」


 閉じ込めている?


「貴方は?」


「僕?うーん、名乗らない相手に名乗るのもまた一興……か。うん、僕はね***……あれ?ふむ、変だな」


 目の前の男性は話の途中で突然無言になると、考え込むように手を顎に当てた。


「変?」


「うん、シス**に異常が……ああ、そうか。君はどこの世界の住人?」


「世界?私は龐の国の***李雷麗……え?」


 自分の声に複雑に、音と呼ぶにはあまりにも不快で混じり気のない、形容し難い何かが重なって……いや、引かれたのか、私の名前は声にならなかった。

 もしかしたら、先程の彼も同じ状況だったのかもしれない。


「えっとね、そうじゃなくて、第一世界とか第四世界とかさ、そう言う世界のことだよ」


 何だか前にもこんな会話をした気がする。けれど何の意味があるのだろう。ただの御伽噺なのに。


「それならば、第一世界・第二世界にまたがる五龍ウーロン大陸の者です。貴方は見たところ同じ国の出かと存じますが……」


「そうか、君は五龍の……残念ながら僕は同郷の民では無いよ。僕は第四世界に生きているから」


「第四……?そんな!あれは空想の話で……!」


「そう思っているのは君たちだけじゃないかなぁ。少なくとも、第四からは他の第一から第三まで干渉可能だしね」


 そんな事があるのだろうか。ただの御伽噺おとぎばなしの世界なのに。分断された楽園。それが存在するなんて。


「……待てよ、君の顔……もしかして!」


「え?」


「君はリンなのか?!」


 悲痛な表情で男は言った。肩を掴む力が強くて私は思わず足を後ろに引く。


「私が……凛?あり得ません!私は**雷麗……ああ!」


 なぜ私の名前が言えないの?凛の名前は出せるのに。どうして?————しかし、私の返答に目の前の男は微笑んでいた。清々しい表情で、愛おしそうに私を見つめる。ふと、その表情が凛に重なって見えた。けれど、それは恋人へ向けるものというよりも……。


「そうか、君と凛の関係はわからないけれど……うん。良かった。これで僕の仮説は証明されたんだ」


 一人で納得する彼に私は眉をひそめる。けれど、それについて問う前に朝が私を呼び起こしてしまった。


「知ってしまった?」

「キャッ」


 目を覚ました時、私に覆い被さるように凛がいた。そして、作り物めいた瞳で私を見下ろしていた。


「答えて、レイ


「凛?どうしたの?」


 恐る恐る尋ねると、凛は弾かれたように私から距離を取り、伺うように首を傾げた後「もう、大丈夫?」と口角を上げた。徐々に凛から不気味さは消えていつも通りになるのを空気で感じる。


「大丈夫そうで良かった、もう心配かけないでね」


「心配……って?」


「覚えてないの?温泉で倒れたんだよ?!」


 ああ、そうだったのか。夢の内容が衝撃的すぎてすっかり忘れていた。特に痛みも無いけれど……。


「凛、力を使った?」


「……少しだけ、ね。でもすぐに治ったから」


「……私なら大丈夫だから無理はしないで」


「その身体は大事なんだ‼︎……あぁ、いやその……ごめん」


 突然の大声に驚く私と、そんな私を見て罰が悪そうに視線を逸らす凛。


「……でも雷麗レイリーも自分を大事にして、それじゃあ」


「どこへ行くの?」


「梓雨や張の王にこの事を伝えてこないと……でしょ?」


 本当は気まずいからだろうけど、私も今は一人になりたくて、そのまま凛を見送った。

 第四世界に閉じ込められた彼。以前も夢に出てきた彼は一瞬凛に見えたけれど違う。知っている顔だけどすぐには思い付かない顔だった。

 ——それは、私。

 そう思った瞬間全身に鳥肌が立ち恐ろしいものに触れてしまったように冷たい汗が額を伝う。

 凛が言った麗と言う名はもしかすると彼の名前だったのかもしれない。私より中性的な雰囲気を持つ彼は麗人と呼ぶに相応しかった。


「凛が探していたのは……あの人だったのかしら」


 第四世界に閉じ込められた彼こそが凛の想い人。私は単にあの人を見つけ出すための鍵に過ぎないのだろうか。

 その事実に気づいた時私はどうしようもなく悲しくなった。年頃の娘のように涙が溢れて止まらない。


もし私があの人に似ていなかったら?


もし私があの人となんの関係も無かったら?


もし私が、私が……。


 一度吸ってしまった蜜の味は余りにも甘く、渇いた大地で生きるこれからを思うと心を余計に干上がらせた。


 凛に心から愛されたい。


 いつから私はこんなわがままを願うようになってしまったのだろう。



 …



 部屋から出てもしばらく動けなかった。確実に麗に近づいてきている。もうすぐ麗と再会できる喜びと、その時雷麗がどこへ行ってしまうのかと言う恐怖が僕の心を支配していく。

 座り込んで、頭を抱えた。

 僕はいつから彼女に対してこんな感情を抱くようになってしまったのだろう。

 突然の大声に怯えた様子の雷麗の顔が頭から離れない。

 僕たちの……僕の計画のために、あの子は不要なはずなのに。僕は最低だ。


“凛に心から愛されたい”


 悲痛な胸の内が心を揺さぶる。


「僕だって、君を選べたらどんなに楽だろう」


 あまりにも身勝手な呟きは僕自身を嘲るようだった。

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