張桜綾
「ちょっと待って!」
慌てる
そもそもなぜ凛がここにいるの?いつからいたの?考えても無駄だ。この男はこう言う突拍子もない事をするのが好きなんだ。
「残念ながら僕もそう長くはいられない。けれど、
「そうですか、てっきり凛はもうマーサの事しか興味がないと思っていました」
皮肉たっぷりに意地悪く言ってみた。けれども凛からの反応がなくて、気になって視線を向ければ凛は少し怒ったように私を見据えていた。
「僕が大切に思っているのは雷麗だよ。君は勘違いをしてるね。……その原因は僕にあるけど、どうか信じて欲しい」
「……でしたら、行動で示してください」
沈黙が流れる。私達の空気に耐えきれなかった梓雨の咳払いで、ここにいるのが二人だけではない事を思い出して頬に熱が広がった。
「ほんっとーにお熱い事で」
呆れたように笑う梓雨に私は顔を上げられなかった。
馬車に揺られてどれだけ経ったか、次第に扉の隙間から冷気が入り込み、
目の前に座る薄着の二人は慌てて先ほど渡した上着を羽織り、その暖かさにはしゃいだ。
「君の旧友は本当に君を大切に思っているんだろうな」
凛の言葉の意味を理解するより先に馬車が止まった。次いで外が騒がしくなり、現れたのは張からの使者。
「この度は遠いところを遥々お越しいただきありがとうございます。日も暮れこれより先は危険ですのでこちらで用意させていただいた宮にご宿泊ください」
赤毛を肩のあたりで一本に結え前髪はふんわりと眉にかかっている。微笑んでいるから目は細いが、綺麗な二重の……男性?
「貴方、もしかして
「お久しぶりです、雷麗様。さあ行きましょう、姉も貴方がくるのを心待ちにしていましたよ」
驚いた。まさか第二王子が直々に案内役をするなんて。それに、最後に会った時はまだあどけなさの残る少年だったのに。今は立派な王子の顔つきだ。
「私も、
案内された宿屋は広く、随所に寒さ対策が見られた。
入り口を入ってすぐ、中から現れたのは赤毛の小柄な少女。一見幼く見られる彼女はその内から滲み出る気品から圧倒させるものを持っていた。
「桜綾……‼︎」
まさか、出迎えてくれるなんて。久しぶりに会う旧友と抱擁を交わす。釣り上がった目元からキツい印象を持たれがちな彼女は、実際はとても温かく優しい人だ。私の背に手を回し、今まで会えなかった分を埋めるように力を込める。
「よく来た。外は寒かったろう?お茶の用意をしてある」
身体を離した彼女の顔はよく見れば最後に会った時より大人びていて、急に時間の流れを感じる。思えば、私が李族の村で暮らすようになってから久しぶりに会う友人だ、胸の底に寂しさが灯る。
「ありがとう」
「……元気がないな」
桜綾はそう呟くと、私の隣に座る凛を見た。その視線は決して柔らかいものでは無い。
一方の凛は出された茶を啜り、いつもの通り感情の読めない微笑を浮かべる。
「貴殿が新たな龐の王か」
その声色は落ち着いているが、王族としての圧を幾分含んでいる。私や凛のように、幼い頃からそう言った場で鍛えられている人間であればそれを受け流せるだけの物もあるが、梓雨は完全に身体が強張ってしまった。天は、流石楊の王子なだけあって桜綾を真っ直ぐに見据えていた。
「いかにも。僕が龐の王にして、雷麗の夫だよ」
細められた瞳に桜綾はゴクリと喉を鳴らした。しばらく見つめあっていた二人だが、桜綾がふっと息を漏らしたのをきっかけに、緊張の糸が切れた。
「大した男だな。以前の腑抜けとは大違いだ」
「腑抜け?」
「雷麗の元婚約者の事だ。貴殿がその首を取ったのだろう?」
「ああ、あれか。……うん、元が付いても婚約者と聞くのは不愉快だね」
ふわりと漂う冷気は凛の術によるものか、それとも彼の感情からくる気迫に震え錯覚したのか、どちらにせよ、失言だったと桜綾は謝罪した。
「ところで、今回は雷麗とそこの二人が来ることは聞いていたが、まさか龐の王自ら来るとは聞いていなかった。一体どう言う経緯で?」
桜綾が顔を上げると、先ほどまで下がっていた眉はキリリと上がり強気な面持ちで凛を見る。凛の方は、あっけらかんとした様子で「雷麗が心配だっただけだよ」と一口菓子を口に放りこんだ。
「それにしては、随分と急だったが」
「雷麗には行くなと説得していたからね」
凛は茶を啜ると視線だけ桜綾に向ける。目的は何にせよ、凛の行動に非がある事を認めさせたい桜綾と、彼女を挑発する凛。どんどんと居心地が悪くなり、肩をすくめる。
何より話の中心に私がいる事で更に居た堪れない。
耐えきれず、私は頭を下げ、その前で両手を重ねた。
「張桜綾、突然の訪問であった事は私から謝罪します」
両国間の亀裂など誰も望んではいないはず。ここは私が凛の代わりに頭を下げよう。
「いや、雷麗が頭を下げる必要は無い」
私の謝罪に桜綾は思いの外すぐに身を引いた。それどころか揶揄うような笑みも溢す。意図が読めずに首を傾げれば、凛が声を上げて笑った。
「あーおっかしい!雷麗ってば本当に真面目だよね」
「昔から変わらんな」
要するに二人に図られたと言うことか。少し頬を膨らませれば、二人は一層笑った。
「すまんかった、すまんかった。やや、もうこんな時間か。今日のところはゆっくり休んでくれ」
桜綾が手を叩くと一人の男がどこからともなく現れる。歳は私の父親よりも上に見える。額や目尻の皺が深いことからそれほど高圧的な雰囲気は無く、温厚な人柄が滲み出ていた。長い黒髪を三つ編みにして束ね胸の前に垂らしているところから、張国の中でも武術に秀でた清州の出身だろう。男は私達に頭を下げ、軽く自身について説明する。
「私はここ清州の領主であり、秀英様の側近を務めさせていただいております、
「長旅で疲れただろう。宮の裏手に温泉が湧いている、癒すと良い」
「ありがとう、桜綾」
「なに、友人として何も出来なかったのだ、このくらいはな」
桜綾の見送りを背に私達は胡の後に続いた。
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