確執

 朝、隣を見てもそこには誰もいなかった。昨晩凛が居た気がしたのに、夢だったみたいに温もりさえ残っていない。


「一緒に食べると言ったじゃない」


 唇を尖らせて、布団の中に潜り込む。今まで朝起きて凛がいないなんてよくある事だった。朝早く彼は狩に出ていたもの。それでも落ち着かないのは、今凛が一緒にいるのが多分マーサだから。私とは違う種類だけれど近い距離感に、何となく疎外感を感じた。


「凛は私のよ」


 自分の心を守るように蹲る。息苦しくなって顔を出すと、入り口に控えていた侍女と目が合い、私は慌てて起き上がった。


「失礼します」


 ぞろぞろと入ってくる侍女、これまでは当たり前すぎて一人一人に目を向けるなんてしたこともなかったけれど、私は目の前で着物の襟を合わせている娘がどうにも気になって声をかけた。


「貴方、姉がいるでしょう」


 それまで淡々とこなしていた彼女は、固まってしまった。けれどもすぐに「はい」と上擦った声で短く答える。


「私は随分と酷い主人だったのに、よく貴方を働かせたわね」


 私の声に感情は無い。何て事ない会話のように淡々と続ければ、彼女の表情は歪んだ。……けれども彼女も伊達に宮中で働いてはいない。その怒りを納めて見せた。彼女は私よりずっとよく出来た人間だ。


「嫌な言い方をしたわ。私はただ謝りたかったの。最低な主人で申し訳なかったと」


 彼女は思わず顔を上げた。視線が交差して、彼女の怒りや屈辱、動揺と言った感情が伝わってくる。

 すっかり支度の済んだ私は彼女の横を通り過ぎ、部屋の入り口へと向かった。


「今更謝ったところで、許されるとは思わないけど、悔いている事だけは伝えておきたかったのよ」


 振り返って微笑む。彼女の姉が、私のせいで心を病みそれが原因で田舎へ帰ったと聞いた。今も彼女が肩身の狭い思いをしているだろう事は想像に難くない。私の時よりは周りの目が厳しくないと思うが、それでもその数が彼女の方が圧倒的に多かっただろう。

 何も言わない彼女を置いて、執務室へと向かう。そして、途中の廊下で思いがけない人物に声をかけられた。


「おはようございます、雷麗様」


 リーチェやマネが呼ぶのとは違う、皮肉を込めた呼び方だ。


「おはよう、マーサ」


 なぜ彼女がここにいるのだろう。てっきり凛と共にいるとばかり思っていた。


「本日凛様は治安維持について蒼家の者と話し合われる予定です。そこで、彼らの具体的な地位についても言及される事でしょう」


「そうなのね……」


 心を見透かしたような的確な言葉に、私は返事をするので精一杯だった。一体何の目的で私に近づいてきたのかわからないが、何も読めない瞳に見つめられ口の中が渇くのを感じる。


「貴方が何をしようと、私は貴方に凛様を譲るつもりはありません。……私は貴方だけは絶対に認めない」


 彼女の気迫に圧倒されたが、最後の一言で、心臓が熱く脈打つのを感じる。それまでの渇きが完全に癒えたわけではないが、自然と肩の力が抜けて頬も緩む。けれど、胸の内の感情はそんな生易しいものでは無い。


「……マーサ、貴方何か勘違いしているわ」


 この場所で、挑発的な態度を取られると、どうしても昔の悪い癖が出てしまう。思わぬ反撃に面食らったようにマーサは目を丸くする。その顔が滑稽で、さらに私の笑みは深くなった。


「私が凛に縋っているのではなく、凛が私に縋っているのよ。私に何を言ったところで無駄だわ。凛は必ず私の元へ帰ってくるもの」


 そうだと信じたい。いや、信じる。私が弱気になってどうする。私はもう何も出来ずに死を待つだけの貴族のお嬢さんではない。凛と出会い、結ばれ、日は浅いが今では王妃だ。山奥から出た事のない娘に負けているようでは宙の事だって到底取り返せるわけがない。


「話がそれだけなら失礼するわ」


 あくまでも、余裕を持って接しなければ。隠そうともしない不服そうに歪められた顔に、私は思わず笑みを漏らす。より一層深くなる眉間のシワに、揶揄うのも飽きて、私は執務室へと再び歩き出した。

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