一日の終わり

 執務室に戻ると、すぐに楊家についての書を読む。過去の交易についてや王家との関係など、役立ちそうな情報を求めて読み進める。それは、早く宙を迎えに行きたいから……だけでは無い。頭から離れないマネの言葉とマーサのせいだ。何かに集中していないと、凛の手を引いて行くマーサを思い出して苦しくなるから。

——私は最低だ。

——いや、今はそんなことを考える時じゃ無い。

——けれどこんな気持ちで向き合うなんて宙や天、梓雨に申し訳ない。

——それなら早く楊家について調べなければ。

————こんな考えが一息つく度に頭の中を駆け巡るものだから、日が暮れる頃にはすっかり疲れてしまった。


「随分熱心だったみたいだね」


 最後の一冊と決めていた本を閉じたとき、またも背後には凛がいた。気を利かせてくれたのか、先ほどまで後ろで書を整理してくれていた侍女たちはいない。


「ごめんね、雷麗。今日は遅くなりそうだから先に休んでいて欲しいんだ」


「……ぇ」


「用件が済みましたら行きましょう凛様」


 凛の言葉に上手く声が出せない。出せなかった声でさえ、これまた凛の後ろから現れたマーサの言葉に掻き消される。


「本当にごめん。王様って忙しいね。朝までには戻るから明日は一緒にご飯食べよう。じゃあ」


「あ、頑張ってくださ……い……はぁ」


 マーサに急かされるように凛は出て行ってしまった。凛は私のことを想ってくれていても、マーサはどうなのだろう。彼女はまだ凛の事を好きなのだろうか。けれど以前、リーチェは婚約者の四人は誰も凛の事を好きなわけでは無いと言っていたのに。

 黙っていてはまた考えてしまう。私は侍女に最近の楊家との交流について書かれた書を部屋へ持ってくるように伝えて部屋に戻った。

 凛が帰ってこられないのなら私も無理に寝る必要はないだろう。


「それはいけませんわ」


「あら、どうして?」


 徹夜を決めて温かい飲み物を頼んだ私に、得意げな顔のリーチェが言う。驚いて目を丸くする私にリーチェは小脇に抱えた何かを見たあと、咳払いしてこう言った。


「王妃たるもの教養だけでなくその美しさも磨かなくてはなりませんもの。夜更かしは美容の大敵です」


「で、でも一晩くらいたいした事ないわ。それに王宮には……」


「いいえ、ダメです!その油断が危険なのです。美容とは毎日丁寧に……」


 だんだんと興奮していくリーチェの手からするりと何かが落ち、音を立てる。


「それは何かしら」


 私が拾い上げようとすれば、リーチェは慌てて拾い貼り付けたような笑みを浮かべた。それはもう圧を感じるような恐ろしい笑顔。


「雷麗様は何もご覧になっていません」


「……え、ええ」


 リーチェはその笑みを浮かべたまま「おほほほほ」と今まで聞いたことのない笑い方で私に背を向けることなくするすると部屋から出ていった。後に残された私はその衝撃に一瞬ではあるが気持ちが晴れる心地で、今日は彼女の言う通り休もうと布団に入った。


 ……


 その日の晩、夜遅くに戻ってきた凛は既に寝てしまった雷麗の隣に腰掛けてその手に口付けをする。


「ごめんね、どうやら事情が変わってしまったようだ。まだ、君は眠っていてね」

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