書庫の前で

 久しぶりの書庫の空気はあの頃と何も変わらない。様々な本を読み漁っていたけれど、外交的な書物は官吏達が見せてはくれなかった。

 けれど今、その男達もこの世にはいない。凛は役についていた男達は全員処刑したらしい。その処理もあって、私達を連れてくるのが遅かったのだろう。夢で見た血に染まる宮は、影も形も無かった。

 私は早速楊国についての記述がある書を片っ端から手に取り、女達に私の執務室へと運ばせた。私の執務室と言うのは、以前ここへ遊びにきていた時、父が使っていた部屋の事。もういない人間の部屋だ。私が使っても誰も文句は言うまい。

 最後の一山を抱え、私も部屋へ移ろうとした時、入口にはラウが立っていた。


「王妃様に力仕事は向いていませんよ」


 そう言うと彼は、私の手から書の束を受け取り、私の後について執務室へと向かう。彼はいったいいつからいたのだろうか。全く気づかなかった。


「護衛ですから、寝室の外でずっと待機しておりました」


 後ろから聞こえた声に思わず立ち止まって振り返る。ニコニコ微笑む彼に、私は言葉にしていたのかと顔を顰めた。


「いいえ、ただそんな気がしただけです」


 そう微笑む彼の表情は見覚えがあった。マネの家の男衆とはあまり面識はないが、彼らは皆んなこうも凛に似ているのだろうか。


「さあ、行きましょう」


 いや、そもそも支えている相手に、それも出会ってまだ一日程度の相手にこんな態度を取るとは思えない。


「凛、ここで何をしているのです?」


 相手に合わせて微笑めば、ラウの姿をした凛は固まった。


「いや、何を言ってるんですか?僕はラウですよ?」


「もし貴方が本当にラウだと言うのなら、罰が必要だわ。主人に対しての言葉遣いや態度は見過ごせないもの」


「……ごめん、僕です」


 ふわりと霧がはらわれるように元の凛の姿に戻った。元のと言っても、それは李族の彼ではなく、この国の人間に寄せた彼だけど。


「今日は夜まで会えないかと思っていました」


「雷麗の顔が見たくなってね。抜け出して来ちゃった」


「それでは、気分転換にお茶をしますか?」


「うん……」


「凛様‼︎ここに居られたのですね?さあ戻りましょう!」


 突然現れたマーサは今まで聞いたこともない様な快活な声でやって来ると、そのまま凛の腕を掴む。そして、私を一瞬見ると、そのまま凛の腕を引いて歩き出した。


「あ、ごめん雷麗!書は届けておくからまた夜に会おうね!」


 凛の姿が小さくなるまで見つめていたが、何だか胸の内にもやが溜まるのを感じた。そして同時に、夜に会えるだろうかと言う不安も襲う。それは勘とでも言うべきか。リーチェやマネ、そしてフェウと違い、マーサとはほとんど会話らしい会話をした記憶がない。それ故に、彼女と言う人間を図りかねていた。三人とは違い、マーサとの距離感はもう少し踏み込んでいるように見える。


「雷麗様?」


 私が来ないことを不審に思ったマネが迎えに来た。


「マネ……ごめんなさい、今行くわ」


「……雷麗様、マーサに何か言われましたか?」


「いえ?……」


 マネがマーサについて話すことが珍しくて、つい訝しげにマネの顔を見る。マネは、少し遠慮がちにこう切り出した。


「マーサは、凛様にとって特別なのです」


 それは私の心をぎゅっと握り潰すような言葉だった。

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