王妃

 目を覚ますと、窓の外は暗く、空には月が浮かんでいた。けれども、その中に浮かび上がる景色はよく知ったもので、もう間も無く宮に着くと分かる。


「起こしてしまった?」


「いえ……え?」


 起き上がり、肩を貸してくれた礼を言おうと顔を上げると、そこには見慣れない青年がいた。

 私に負けず劣らずの黒い髪は肩の辺りで切り揃えられ、前髪も眉にかかるくらいで同じく切り揃えられている。瞳は凛と同じ黄金色だが、その肌は私よりも白く透き通っている。


「誰?」


 絞り出された声に、相手は苦笑する。その笑い方は、まさしく凛だった。


「凛なの?」


 頬に触れると、彼は嬉しそうに頬擦りをした。


「驚かせちゃったね。でも、この姿の方が都合が良くて」


「都合?」


「うん、みんながみんな雷麗みたいに僕の姿を受け入れてくれるわけじゃないから」


 彼の言う“姿”とは外海人のもつ“色”の事だろうか。確かに、凛がそうするように私も敢えて気にしないようにはしていたが、街を歩くたびに周りからは不躾な視線が飛んできた。

 けど、そんなの気にする必要なんて無いのに。胸の内にもやがかかり、消化できずに燻る。


「人は自分と違うことを恐れる生き物だからね。下手に刺激しないことが必要な時もある」


「……」


「さ、着いたみたいだ」


 馬車から降りると、そこには見慣れた建物が、変わらぬ姿で建っていた。朱色の柱、空を背景に堂々と建つ何代も前の王が建てた宮。

 何百と言う時の中でこうしてこの国を見守ってきたこの場所は、あれほど帰りたいと思っていたはずなのに、胸にこみ上げるものは何も無い。

 私がここを離れてから数年。どこか空気が違っていた。


「おかえりなさいませ、凛様」


 私達を出迎えてくれたのは、青い着物に身を包んだ男達。その顔は知らない人々ばかりで、私は戸惑う。


「ただいま、彼女が僕の妻である雷麗だ、よろしく頼むよ」


「は‼︎」


 統率の取れた動きで膝をつき、頭を下げる。それは見事なものだった。


「彼らはマネの家の者たちだ」


 その言葉に私が先頭に立つ男の顔を見ると、確かにマネの面影があった。


「彼はマネのお兄さんのラウだ。ここにいる間は彼が雷麗専属の騎士と言ったとこかな?」


「キシ?」


「君を守ってくれる存在ってことさ」


「……凛はいろんな言葉を知っているのね」


 騎士も馬車も、この国にはそんな言葉はない。そもそもそれを指すためのものが存在しない。多分、外海の言葉だ。感心すると同時に、どこか距離を感じてしまう。そんな不安を察してか、凛は頭を撫でてくれた。

 ……はぐらかされてるような気もするけれど。


「ラウ……ですね。これからよろしくお願いします」


「雷麗様、いつも妹のマネがお世話になっております。雷麗様の事は、我ら蒼家の者が責任を持ってお守りさせていただきます」


「ありがとう」


 私の言葉を聞くと、彼らは立ち上がり宮への道を作る。


「さ、行こう」


 凛に手を引かれ進む。一歩踏み出す度に、引きずられた痛みを思い出す。

 強く掴まれた腕の痛み、

 家族の名を呼ぶ叫び、

 突きつけられる絶望、

 胸の内で燻る屈辱、

 ————全部、過去の事だ。

 手を引く凛の無邪気な顔に心の痛みが滲んで消えていくのを感じる。


 私はもうあの頃の私では無い。これからはこの国の王妃として生きるのだ。

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