番外編 リーチェとマネ
私は、紅の家に生まれたリーチェ。紅の家特有の橙色の髪に同色の瞳。両親は私に凛様の妻になるようにと教育した。それは、お母様が果たせなかったお仕事。私自身は、何を考えているのかわからない凛様が怖かったけれど、お父様もお母様も今は家を出てしまったお兄様も凛様を崇拝している。
だから私には拒否権なんて存在しなかった。
うんざりしながら凛様の家の戸を叩けば、笑みを貼り付けた凛様が家へと招き入れる。
「またか、熱心だね紅の家は」
「そう思うのなら、凛様からこの話を断ってください」
「とっくにしてるんだけどね」
ただ、他人として接するにはこの人はそこまで怖くはないのに……。
私だって、いつもニコニコしていて、村のために動き回る凛様のことは尊敬していた。けれど、いざこの人の婚約者と言う立場を与えられた時、突然この方が何か得体の知れない怪物に見えてしまった。
「リーチェ?」
戸が開き、今度はマネがやってきた。蒼家も、男衆がいつも紅家と張り合っている。そのためだろう。
「僕は奥にいるから二人で遊ぶといい」
凛様はそう言うと、家の奥の方に行ってしまわれた。不安そうなマネに微笑みかける。
「大丈夫よ、凛様は私達が気を遣わないようにするために、席を外してくださったのだわ」
「……うん」
「……そうだ、ちょっと待ってて」
浮かない顔のマネを元気付けたくて、以前持ってきたお手玉を取ってくる。
「これで遊びましょう」
「……うん!」
やっと笑ってくれた……。無邪気に遊ぶマネの姿に安堵する。彼女の場合、凛様に怯えるのも無理はない。
——彼女は純粋な李族ではなかった。
母親はこの国の出身で、父親が攫ってきた娘。それでも愛はあったと言うが、蒼家はこの小さな村の中でも名家の一つ。その一人息子が連れてきたのが外の人間と言う事実は迫害を生んだ。
やがて夫婦仲は悪化し、蒼家の当主はなかなか帰らなくなった。マネに関しても村人は冷たく当たるし、そんな彼女のために、凛様は誰もなにも言えない立場である、自身の婚約者に指名した。
初めて凛様が指名した娘とあって、村人たちもそれ以上は何も言えず、二人は虐げられる生活から腫れ物に触れるような生活へと変化していった。
「マネ、貴方はこの村好き?」
答えなど分かり切っている。それでも、続く言葉への前置きとして尋ねた。マネは思いの外答えに時間を要した。そして、
「リーチェがいるから好き」
なんて、屈託のない笑顔で言うのだ。
私は反射的に彼女を抱きしめた。
「マネ……ありがとう、私も私も貴方と過ごせて幸せよ」
「どうしたの?リーチェ?」
「ねえ、私達が大きくなったら、この村を出ましょう?」
こんなところに居たって、幸せになんかなれない。それならいっそこの村を飛び出してしまおう。
「でも、どこへ……」
「どこだっていいわ。あなたがいれば」
きっと、もう私自身が限界だったんだと思う。家族からの重圧も、村の人々からの羨望も妬みも何もかも。純粋な好意だけを向けてくれるマネと二人でいられたらどれほど幸せなことか。私はただ彼女といたい。
「僕もね、もう少ししたらこの窮屈な村を捨てようと思うんだ」
その声に青ざめる。いつからそこにいたのか、声の主人は浮ついた声で言う。
「“彼女”にこの村は似合わないからね!」
飛び跳ねて喜ぶあの人を見て、きっと以前言っていた探し人を見つけたのだと思った。何十年何百年と探し続けていた女は本当にこんな場所に現れたのか。
「それでは、私達はもう凛様の婚約者ではないと言うことですか?」
私の問いかけに、凛様はマネを見た。マネはその視線に萎縮してしまう。
「んー……いや、まだだめかな」
凛様はマネの頭を優しく撫でると、行ってしまわれた。その背中を見て、羨ましく思う。もし私が——いや、そんな事考えるだけ無駄なのだ。
「マネ?」
静かなマネが気になって声をかけると、マネは体を震わせていた。何かに怯えるように……。
「どうしたの?」
「あ……貴方はあの人が怖くないの?」
「え?」
「あの人……おかしいわ……とても冷たくて、息が詰まるの……あれは何?なんなの……私、私一生あんな人と一緒にいなくちゃいけないの?いや、嫌よ……嫌……」
取り乱すマネの様子があまりにもおかしくて、私はただ隣でその手を握ることしかできない。
凛様が怪物?確かに、あの人は時々血の通わない目をしているけれど、……それでも、こんなに怯えるほどじゃない。一体なぜ……?
突然、私の中で暴れていた体は力をなくしたようにもたれかかってきた。マネは気を失ってしまったらしい。
「リーチェ、ちょっと良いかな」
奥から現れた凛様は私を呼ぶ。マネのそばから離れようとしない私に、彼は淡々と「来なさい」と呼んだ。少し躊躇ったが、凛様に逆らうことなどできず、私は奥へとついていく。
「君には昔この国の人間が李族に何をしたのか話していなかったね」
「……恐ろしいことをしたと聞いています」
詳しくは何も知らない。私がまだ幼いからと口を噤んでいるのは分かっていた。だから私から聞くこともない。
「そう。……その時、僕は彼らにある種を埋め込んだんだ。僕達に二度と手を出さないように」
「種?」
「そう。……それは目に見えるものじゃない。ただ、僕と言う人間が彼らにとって一番恐ろしいものに見える呪いをかけたんだ」
そう言って笑った凛様に喉の奥で嫌な音が鳴った。この人は誰?耳の奥で警鐘がなる。逃げろと言う信号がうまく足に伝わらない。
「ああ、ごめんね怯えさせたいわけじゃないんだ。難しいね……」
「……つまり」
「ん?」
「つまり、そのせいでマネは怯えているのですか?でも、マネには蒼の血が流れています」
そう、彼女は半分は李族の血が流れているのだ。……血の量は関係ないなら話は別だけど。
「そうだね、僕もこんな事は初めてだからわからないけど、成長したら良くなるかもしれない……それまでは、君があの子を見てあげて」
「……わかりました」
そう言い残して行ってしまわれた凛様はとても寂しそうに見えて、小さな脳が混乱する。あの人の中には一体何が入っているのか、慈しむ様な目で見守る顔と、時折この世のものとは思えないようなひどく冷めた顔をする。
「あの人も手がかかるわね」
小さく呟いて、気を失ったマネの頬をつついた。
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