力量

「それで、お話というのは?」


 お茶を一口飲んでから口ごもる。ばちりと合う視線にいたたまれずに視線を外した。やはり迷惑ではないか、自分には荷が重いのではないか、出直した方が――そんな考えが浮かんで止まらない。このままでは何も変わらないと分かっていてもいざ一歩を踏み出すというのはとても難しい。そもそも思い立ってからここまで長すぎた。すっかり落ち着いた心は頭の中を白く染めてしまう。


「私に役割を与えてほしいんです」


 なんとか絞り出した言葉に、マネは「役割?」と反芻する。正常な頭であれば、それが意味を掴み損ねているのだと分かるが、今の私には不快感を示しているようにしか聞こえなかった。胸の内がざわざわと毛羽立ち体が強張る。


「役割とはなんでしょう?雷麗レイリー様はリン様の妻となるお方です。それが役割だと思いますが」


 私の様子に気を使ってくれたのだろう。困ったように微笑むとマネは優しい声で言った。その声に、言葉選びに、スーッと心が落ち着いていく。


「えっとですね……私は今なにもできていないのです。私を受け入れてくださった皆さんに何も恩を返せていないのです。だから、何かできることをしたくて……」


 この一週間の不安を吐露する。そんな私の言葉を終始穏やかな表情で聞いてくれていた。相談しに来たのがマネでよかった。

一通り聴き終えたマネは小さく息を吐くと、にっこりと微笑む。


「そうですね、凛様からは都での生活が長かったことだし、こちらでの生活に慣れるまでは待つように、と言われていたのですが、雷麗様がお望みなら今日からでも手伝っていただけますか?」


 知らなかった。凛が私のためにそんな風に考えてくれていたなんて。ここへ来てからはあまり会話をする機会もなかった彼。そもそもそれまでだってほとんどはじめましての状態で連れて来られた私は、まだ凛という人物を全く知らない。彼は忙しくて私は家で一人きり。もしや愛想を尽かされたのだろうか、ここまで来ても私は結局独りなのかと思っていた。


「ぜひやらせてください!」


 ――そう意気込んだのが一時間ほど前。あれから洗濯や掃除、夕食の支度など張りきってみたがすべて空回りした。洗濯では衣服を一枚ダメにしたところで真っ青な顔のマネに止められ、掃除では絞りがあまくて水浸しになったところにマネの母親が怒鳴り込んできた。最後に夕食のためにお皿を用意したときに——今思えばやめておけばいいのに、何枚も重ねって持って落としてしまった。幸い木製の器は割れるには至らなかったが洗い直しになってしまい、仕事を増やしただけだ。


「ごめんなさい‼」


 支度が済んだところで頭を下げる私にみんなは複雑そうな表情で顔を見合わせていた。マネは「わざとではありませんから」と言うが、それにしたって限度があると自分でも理解している。自分がここまで何もできないとは思わなかった。思いたくなかった。隣では自分よりずっと若い子供たちが役割を全うしているのに、自分にはそれができない。これまで自分が必死に行ってきた事はここでの生活においては全て無駄だった。


 ――やっぱり私、何もしない方がいいんだわ


 度重なる自分の落ち度にすっかり沈んでしまった心が重たい。これから凛が帰ってくるというのに、笑顔で出迎える自信もない。「私、今日は遠慮するわ」マネにそう伝えて家に戻る。布団の中で一日のことをぐるぐる考えているのは、あのやしきにいた頃と何も変われていない。違うのは見える景色が竹林から棚に変わったことだけ。

 やがて外が騒がしくなり凛達が帰ってきたことが分かる。彼らが帰宅すると、荷物や道具を片付けてすぐにみんな食堂へ向かう。だから、食事が終わるまでもうしばらく一人でいられそうだと、後ろ向きな安堵をした。


 そういえば昔、今みたいに何もできなくて怒られたことがあった。怒ってきたのは両親ではなく世話係の老女。父でさえ強く出られなかった彼女は言葉こそきつかったが私を見てくれていたような気もする。当時からそれほど若くなかった彼女は私が都を出るよりずっと前に亡くなっているが、思い出すと会いたくてたまらない。

 起き上がって賑やかな外の音に耳を澄ませる。薄い壁一枚の隔たりは自分と自分以外の世界を分断しているようで寂しくてたまらないのに心は穏やかだった。


「私はもともと向いていなかったんだわ」


 誰かと暮らすなんて――自虐的な笑みを漏らす。すっかり日も落ちて薄暗くなった部屋で冷たい土壁にもたれた。落ち着いたらもう一度マネと迷惑をかけてしまった人々に謝らなきゃ。なんとなく方針を胸に、油に火を灯した。

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