第10話 山里 梓 1

 夢を見たところで、現実生活に影響など及ぼさないし、そもそも夢なんか見ない体質だと思っていた。

 山里 梓は鏡台の前に座り、入念に化粧を施した顔を左右に振った後で、最近のお気に入りのピアスを耳に付けた。大ぶりの輪っかの下がっているごうじゃすなピアスだ。

 昨日行ったばかりのネイルが程よく光り、新しくした口紅をひきたてた。

 相変わらず女ぶりがいい。と満足げに立ち上がる。


―俺、あんたのことなんかなんとも思ってないよ―


 梓は座り直し、もう一度鏡に向かい、―私はきれいよーと確認して立ち上がった。


 部屋から出ると、玄関から出て行く音がした。夫が出て行ったようだ。ゆっくりと階段を降りると、家政婦が見送りから戻ってきて梓を見上げた。

「先ほど旦那様お仕事へ行かれました」

「あ、そう」

 冷めた夫婦関係なのは結婚当初からだ。

 家政婦は―家政婦も何人も変わっているので、名前すらすぐに出てこない―が掃除をしますと台所へと向かった。

 に置かれたブラックコーヒーからは湯気はない。猫舌なので湯気の出ているものは嫌いなのだ。朝食は朝の光が差し込む窓のそば。この空間が好きでこの家を買ったのだ。毎朝ここで朝食を誰かと摂りたいと思ったから。

 梓は椅子に座り、わずらわしげに前髪を掻き揚げる。そしてコーヒーを飲もうとして側の新聞に目が行く。新聞などここ何年も目にしたことはないのに、手に取ると懐かしい顔に思わずそれを撫でた。

「中村 達樹君」

 甘酸っぱいものが胸いっぱいに広がった。

 新聞には、東京からのUターンで、県内の企業に入って都市開発を請け負い活躍しているという記事で、未来のリーダー。というコーナーの記事だった。

「帰ってきてるなら連絡してくれればいいのに」

 梓は口をとがらせながら、優雅にいるのは―達樹かれはいずれやって来る―と自負があるからだ。


 中学の頃にあまりいい想いではない。それもこれも、津野 明美あのおんなのせいで、まったくもって面白くなかった。あの女は梓をひがみ、妬み陥れようとした。

 クラス委員の投票時にも邪魔をし、生徒会長に立候補した梓を差し置いて当選した。学校初のクラス委員長と、生徒会長歴任をしたと誇らしげにいた。

 顔などそれほどいいわけじゃなかった。運動部だとかでニキビ面の、日焼けして、皮がボロボロで、それなのに、勝手に梓に張り合ってきて、梓の足を邪魔した。

 勉強ができるわけがないのだ。あの家は母子家庭だったし、塾にさえ行っていなかったのだから。なのに、梓が行こうとしていた第一志望校に合格しておきながら、別の学校へ行ったのだ。


―なんで私があんたに謝らなきゃいけないわけ?―


 梓は思わずコップをガラス窓に叩きつけた。

 強化ガラスだったから窓は割れなかったが、コップは見事に割れた。

「虫が居て驚いたの、片付けといて」

 梓はそういって部屋に上がっていく。


(まったく、夢見が悪いったりゃありゃしない。夢を見てこんなにも不愉快になるものだなんて)

 梓はもう一度鏡を見て、

「そうよ、探す手間を省いてあげましょうっと」

 そういうと、お気に入りのはでな黄色いブランド服を身にまとった。

「あら、でも、この服に、ネイルが合わないわねぇ。あのネイリスト、頭悪すぎだわ」

 イライラしながら、黄色を辞めてオレンジ色の服に変えた。

「まぁ、まだましだわ。あのネイリスト、次行ったらクビにしてもらわなきゃ」

 梓はそういってクローゼットをしめ、鞄を掴んだ。

 ダブルベッドで夫婦で寝ることはない。このベッドで夫が寝たのは初夜だけだ。次の日から部屋は別だ。それを知っているはずの姑から、


「奥様、大奥様からです」

 梓がむっとしながら家政婦が持ってきた子機を手にする。

「おはようございます。お様」

「梓さん、孫はまだ? あなたちゃんと妊活してる?」

「そうですね」

 愛も、情けもない相手とどうして子供が作れると信じているのだろうか? それでも離婚しないのは世間体を気にしているからだ。夫も、そしてこの姑も。そのおかげで梓はこの家から与えられている金を自由に使える。だから、毎朝の日課のように電話を掛けてくる姑の相手くらい我慢できる。

「ほんっと、あなたがしっかりしてないから」

 梓は不意に意識を戻し、「あら嫌だ、唯志ただしさんが戻ってきたようですわ。忘れ物かしら、切りますね」と言って切った。

 いつもは一方的にしゃべらせて、いつの間にか切れているのだが、今日に限っては先に斬ってしまった。だが、切ったことをくよくよ考える梓ではない。


 梓は家を出ると、自分用に買った真っ赤なスポーツタイプの車に乗り込んだ。


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