第6話 山内 南 2

 南はこのところの不調がどうしても抜けずにいた。何もすることができず、何にも反応しない自分が異常だと解っていたが、たぶん、季節の変わり目のせいだとか、生理前症候群だとか、それこそ、更年期なのだろうと諦めていた。

(こんなこと相談しても、幸せな悩みよね。とからかわれるだけだもの)

 と思っていた。


 南は苦笑いを浮かべる。

 突然やってきた姑。孫に会いに来たというが、まだ、11時だ。平日の今頃孫がいるわけないじゃないか。

 べつに嫁いびりをする人ではなかったが、自由すぎて南はだった。

「南さんはまじめなのよ」

 そういって机の上に置いていた手紙を手にしていった。

「子供の行事なんてね、適当にしていればいいのよ。だって、もう、親が来てほしいなんて年じゃないでしょ? 過保護すぎるわよ」

 南はむっとしながらも、「そうですね」と返事をする。

 (過保護のどこが悪いのだ? 自分の大事な子供を親が守らないでどうする? まだまだ子供なのに)

「それにね、あんまり子供にばかり目が向いていると、居なくなった時、大変よ」

 (そんな先の話しされても解らないわよ。それに、あなたの息子は、30過ぎまで実家にいたじゃない。その世話をしていたじゃない。マザコンがよく言うわよ)

 南は「そうですね」と返事をする。

「ほどほどにしなさい。体壊すわよ」

 姑は帰っていった。


 南はむしゃくしゃしていた。どうしようもなくて、外に飛び出した。

 近所を歩き回るのには近所の目があるから、少し遠くまで行こう。あの橋の向こうはもう地区が違う。あの、自動車屋さんのわき道を入れば、知り合いには会わないはず。という思いだけで歩く。どこをどう歩いたか全くわからないけれど、歩くだけで少しは気が晴れた。

(運動不足だったのよ。運動って大事ね)

 と少し気分良く帰ってくると、夫が家に居た。

「どこに行ってた?」

「え? 何? どうしたの?」

「電話してもつながらないし、まったく、飲み会が急に入って金が要るっていうのに、」

「飲み会? お金……」

 夫は南から飲み会代を受け取るとさっさと出て行った。

 (どこへ行ってた? と聞いても、心配はしてないんだ。たぶん、買い物の最中に、立ち話して帰ってきた。ぐらいしか思っていないのよね。手ぶらで帰ってきているのに、汗かいて帰ってきているのに、私のことは、見えないんだね)


 夫は飲み会からまだ帰らない。待つのはもうだいぶ前から辞めているが、今日はなんだか寝付けなかった。

 ベッドに腰かけ、本を読む。

 2時。夫が帰ってきて、起きている南に驚いた。

「なんだよ、待ってるのかよ」

 少々不機嫌そうな声をしていたが、それに腹を立てる気もなく、南は「ただ眠れなくて」というが、夫はそれを遮るように服を脱ぎ、いそいそとベッドに入ってすぐいびきをかく。南はベッドから出て、夫が脱いだスーツをハンガーにかけ、シャツと靴下を洗濯機へ入れる。

 洗面所の明かりが眩しい。

 洗面所に映る自分の姿が無様だと解っている。ぼさぼさの髪、色艶のない肌。覇気のない目。35歳? って思うほどの姿。

「うわぁびっくりしたぁ。なんだよ、居るのかぁ」

「ごめん、使うの?」

 長男が驚いて眉をひそめている。

「いや、トイレに来たけど、明かり点けたままかと思っただけ、」

「そう、お父さんのシャツをね、」

 もう、長男は部屋の中。

(私、まだ話しているのよ)


 ベッドに腰かける。

 夫のいびきが時々止まるが、もう、気にしない。睡眠時無呼吸症候群だろうが、それって危ないらしいよ。と言われようが、どうでもいい。

「つらい」

 南がつぶやくが、夫はいびきをかいたまま起きない。

 誰か、助けて。


 南は夢を見た。

 人生で一番輝いていた、キラキラしていた中学生時代の夢だ。

 実家が喫茶店の安田やすだ 妙子たえこと、頭のいい津野つの 明美あけみの三人で居た、楽しい時間だ。

 中学2年生の時、中村なかむら 達樹たつきが東京から転校してきた。キラキラしていた達樹に恋をしたが、達樹は妙子が好きだとすぐに解った。達樹が好きだったから、達樹が妙子を見ているのを知ったから諦めた。

 諦めたというより、アイドルに恋をしたようなもので、本当の恋ではない。本当の恋は、夫とだろうが、今はどうでもいいと頭を振る。

 南は中学生活を謳歌する。


 だが、夢は夢だ。数時間で終わる。


 目覚ましに起こされ、三人分の弁当を作る。

 今日はうまくできた。と思っても、弁当箱が空になって帰ってきても、「ごちそうさま、おいしかった」と言って欲しいのは、欲張りなことなの? 「いつもありがとう」と言って欲しいのは、罪悪なの?

「つらい」


 南はおもむろに家を飛び出た。

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