2-④


死神さんが病室に来るようになって数日が経った。その日も当たり前のように死神さんは「こんにちは」と窓から現れた。

 彼が現れるのは決まってお昼を少し回った頃。お昼ごはんが終わって、誰も部屋に来なくなった頃だった。

「今日はどんなことがあったの?」

「毎日毎日そんなに面白いことばかりないよ。昨日と同じだ」

「そう? でも、毎日ここにいる私よりはいろんなことがあるんじゃない?」

「…………」

 我ながら、嫌な言い方だ。私がここにいるのは別に死神さんのせいじゃない。代わり映えのしない毎日だって、もしかしたら私自身が変えようと思えばいろんな変化があるのかもしれない。それを何もせずに一日中このベッドから外を見つめているのは私なのに。

「ごめんなさ……」

「――でも」

 死神さんは窓の外を指差した。

「でも、ここからは桜が見えるよ」

「……桜?」

 死神さんの言葉に、私は言いかけたごめんなさいを飲みこんで思わず尋ねていた。

「そう。僕、桜が好きなんだよね。だから――」

「私は! ……私は、あんな木、嫌いよ」

「どうして……?」

「それより――」

 話を変えようとしたとき、部屋にノックの音が響いた。その音にビクッとして視線を向けると、いつの間にか開いたドアの向こうから牧田まきたさんが顔を覗かせていた。

真尋まひろちゃん。ごめんねー、朝測り忘れちゃったから血圧測らせてほしいんだけどいいかな?」

「あ、はい」

 どうしよう、この状況をなんと言えばいいんだろう。思わず死神さんの方を見るけれどフードで表情の見えない死神さんは、声を発しなければ何を考えているのか全くと言っていいほどわからない。

 けれど、焦る私をよそに牧田さんは淡々と血圧のチェックなどを行っていく。まるで死神さんの存在になんて、気づいていないかのように。

「はーい、ちょっと腕上げてねー」

「はい……」

 これは、いったいどういうことだろう。というか、そもそも病室に私以外の人がいれば入ってきた時点で牧田さんは挨拶するだろうし、きっと「邪魔しちゃってごめんね」なんて言葉を言うだろう。

 と、いうことは――もしかして死神さんのことは見えていない?

 そんな都合のいい話があるのかと思うけれど、そもそも私だって生まれてこの方、死神の存在なんて知らなかったし見たこともなかった。小さな頃から何度も病院に入院していて、悲しいけれど永遠のお別れというのも何度かしたことがある私だけれども、自信を持って言える。死神なんて、数日前この死神さんに会ったのが初めてだ。

 なら、きっと今まで私に見えていなかったように、この死神さんも私以外には見えないのかもしれない。そう考えるのが、一番自然だ。

 そう思うと急に力が抜けた。心臓がドキドキしていたから、これで寿命が縮まったら死神さんのせいだなー、なんて思うとちょっとおかしくなった。そんな私に牧田さんは「よし、終わり!」と言って腕から血圧計を外し始めた。

「ねえ、真尋ちゃん」

「はーい?」

 心配事のなくなった私は、外した血圧計を片付ける牧田さんに思わず気の抜けた返事をしてしまう。けれど……。

「さっき、私が声をかけるまで話をしていたのって、彼氏?」

「えっ?」

 突然の言葉に、私は頭が真っ白になって何も言えなくなってしまった。

 どういうこと? 見えていないと思っていたけれど、やっぱり見えていたの? もしかして、死神さんのことを彼氏だと勘違いして、それで気を使って話を振らなかったとか?

 相変わらず素知らぬ顔をしている死神さんにイラっとしながらも、私は牧田さんになんと言ったらいいかわからず、口をパクパクさせるものの言葉が出てこなかった。

 けれどそんな私に、牧田さんは何を勘違いしたのか、ベッドの上に置いてあったスマホを指差した。

「ここ病院だからさ、それをあんまりおおっぴらに使われちゃうと困っちゃうんだよね」

「あ、あの……? もしかして、スマ、ホ?」

「そうよー。でも、真尋ちゃんは入院期間長いものね。退屈しちゃうよねー。しょうがないか」

 困ったように牧田さんは笑うと、わざとらしく左右を確認して、それから小さな声で私に言った。

「私だからいいけど、看護師長の前では彼氏と電話しているところ、見られないようにね」

「え? いや、えっと……」

「いいの、いいの。年頃の女の子だもん。牧田さん、ちゃーんとわかってるから」

 牧田さんは「そっかーそっかー。真尋ちゃんにもねー」なんて一人で言いながら、嬉しそうに頷いている。どうやら聞こえていたのは私の話し声だけで、それを彼氏との会話だと勘違いしてくれたらしい。なんにしても、やっぱり死神さんの姿は見えていなかったようだ。なんだ、よかった……。

 私はホッと小さく息を吐いて、それから話を合わせるように頭を下げた。

「すみませんでした」

 そんな私に、手をひらひらとさせながら牧田さんは優しく笑った。

「若いっていいわねー。私も真尋ちゃんぐらいのときは楽しかったなぁ」

「そうなんですね」

「そうよお。まあ、もう十何年も前の話だけどね」

 どう反応していいかわからない私を放ったまま、牧田さんは片づけた器具を片手に病室を出ようとして、もう一度こちらを振り返った。

「でもね、無理しすぎはダメよ。楽しくてもほどほどにね」

「はい」

 頷く私に微笑むと、今度こそ牧田さんは病室を出ていった。

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