2-②


 ――そして、今日も音もなく部屋の窓が開く。

「こんにちは」

「っ……こんにちは」

 スッと現れた死神さんに私が声をかけると、彼は驚いたようにこちらを向いた。

「まるで僕が現れるのがわかっていたようだね」

「わかんないわよ。わかんないから、待っていたの」

「待っていた?」

 怪訝そうに、彼は言う。そう、私は待っていたのだ。いつ来るかもわからない死神さんを。かれこれ――。

「三時間ぐらいかな」

「そんなに!?」

「嘘よ」

「くっ……」

 騙されたことに、死神さんは悔しそうな声を漏らす。その反応がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。

「ふふっ。ホントはね、そろそろ来るかなって少し前から外を見てただけ」

「そう」

 その口調が、どこか拗ねたように聞こえて、私はもう一度笑った。

 不思議だ。昨日までならきっと、この人とこんなふうに話をしようなんて思ってもみなかった。それどころか、この人が来るのを今か今かと待つことなんてなかったのに。

「ねえ、死神さん」

「なんだい」

 私は、ふぅっと息を吐くと、昨日のあの疑問をぶつけた。

「昨日、私が小鳥に触れるのを止めたのは――私のため?」

「別に」

 死神さんはそっけなく言う。でも、否定もしないその口ぶりが「だとしたら、どうなの」とでも言っているように聞こえる。

「そっか。止めてくれて、ありがとう」

「怒鳴られて礼を言うなんて、変わった人だね」

「そう? あなたほどじゃないと思うけど」

 自分が魂を取る人間の心配をするなんて、あなたこそ変わった死神よ? そう言いたかったけれど、これ以上何か言うとまた帰ってしまいそうだったから、私は小さく笑うだけにした。

 死神さんは「ふん」と鼻を鳴らすとそっぽを向いてしまう。

 そんな態度すらもおかしくて笑ってしまいそうになるけれど、私はこみ上げてくる笑いを必死にこらえると「ねえ」と話しかけた。

「死神さん、今日は何か面白いことあった?」

「今日? 別に、いや、うーん……」

 ようやく話題が変わったことにホッとしたのか、死神さんは必死に何か面白いことはなかったのか考え込むように黙ってしまう。あまりにも何度も「うーん」と唸るので、私は助け船を出してみることにした。

「たとえば、ほら。怪我をした小鳥から恩返しされたとか」

「帰る」

「あっ。冗談よ、冗談!」

 慌てて、立ち去ろうとした死神さんの服の裾を掴んだ。

 からかいすぎたのだろうか。でも、なんとなく今日は死神さんを近くに感じる気がして、もっと話をしたくなっちゃったんだもん。

「……はなして」

「え? 話して?」

「違う。それ、離して」

「あ、ごめん」

 手を離すと、死神さんは小さく首を振って、それからため息を吐いた。

 やだな……。ため息ばかり吐かれてしまうと、せっかくの楽しい気分も萎んでしまう。俯いた私は、シーツをギュッと握りしめた。

「――面白いかはわからないけど」

「えっ?」

 シーツをジッと見つめていた私の耳に死神さんの声が聞こえて、思わず顔を上げた。

「さっき猫に囲まれたんだ」

「どういうこと?」

「眠たくなったから芝生の上で転がっていたんだけど、気がついたら僕を囲むように猫が……」

「何、それ」

 猫に囲まれて困っている死神さん……。

「ふふっ……」

 追い払うこともできずに困っていたのかな、とか追い払おうとしたけど猫がどんどん集まってきたのかな、とか考えるだけでおかしくなる。

「笑うなよ。食べられるかと思ったんだから」

 クスクスと笑う私に、死神さんが真剣な声のトーンで言うから、私は余計におかしくなって涙が出るほど笑った。さっきまでの沈んだ気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでしまうぐらいに。

 こんなふうに笑ったのはいつぶりだろう。牧田さんや他の看護師さんとの会話で笑ったことがないと言えば嘘になる。でも、そこに一切の気遣いや愛想笑いが含まれていなかったかと言われれば、それもまた嘘になるわけで。

 だからこそ、私にもこうやって気兼ねなく笑うことができたのだと、正直なところ驚きが隠せない。そして、その相手が――自分の魂を取りに来た死神さんだということにも。

「死神さんって、面白い人なのね」

「そうかな? 周りからは面白味のないやつって言われるけど」

「周りって他の死神さん? あなたみたいな人がいっぱいいるの?」

 私の言葉で、一瞬にして死神さんの纏う雰囲気が変わった。

 どうやらこれは聞いてはいけないことだったようだ。気まずい空気に、私は何か違う話題を、と思うけれど、そういう時に限って上手く言葉が出てこない。取り繕うこともできず、結局、私が何か言おうとする前に死神さんが口を開いた。

「ごめん」

「え?」

「いや、なんでもない」

 死神さんは咳払い一つして、それから私に背中を向けた。

「今日はもう帰るよ。また明日」

「あっ……!」

 そう言って死神さんは病室から飛び出すと、窓の向こうに姿を消した。

 残された私は「ごめん」の意味が分からないまま、死神さんが消えたせいで丸見えとなった満開の桜でピンク色に染まった外の景色を、一人ボーっと見つめていた。


 そのまま、どれぐらいの時間が経っただろうか。

 病室に、コンコンと小さなノックの音が聞こえた。

「はーい?」

「こんにちはー」

のぞみちゃん!」

 病室のドアの隙間から笑顔を見せていたのは、数か月前に入院してきた矢代|ルビを入力…《やしろ》望ちゃんだった。

 おいで、と手招きをすると、望ちゃんは小走りにベッドのそばまでやってくる。その身体をひょいっとベッドに乗せると、望ちゃんは「ありがとう」と言って俯いた。

「どうしたの?」

「んーとね」

「望ちゃん?」

「えへへ。ちょっとだけ、さびしくなっちゃって」

 舌たらずな口調で、寂しさを我慢するかのように笑う望ちゃんを見ていると、胸の奥がキューッとなる。最初は妹がいたらこんな感じなのかな、なんて思っていたけれど……。

 もしかしたら私は、この小さな少女に、自分自身を重ねていたのかもしれない。家族と離れて、一人っきりで入院していた小さな頃の自分を。

「…………」

「おねえちゃん、どうしたの?」

「あ、ごめんね。なんでもないよ」

 突然、黙り込んでしまった私を、望ちゃんが不安そうに見上げていた。いけない……。こんな小さな子に、心配かけてしまうなんて……。

「ホントに? ホントのホントにだいじょうぶ?」

「うん、大丈夫。ありがとね」

 心配そうな表情を浮かべる望ちゃんの頭を優しく撫でると、望ちゃんはくすぐったそうに笑った。

「可愛いなぁ」

「おねえちゃんもかわいいよ!」

「ホント? ありがとう」

 私たちは顔を見合わせて、ふふっと笑った。

 それからしばらくの間、望ちゃんとお喋りをしていると、再び病室にコンコンというノックの音が響いた。

「ご飯の時間よー。って、あれ? 望ちゃん?」

「あ、まきたさーん」

「さっきそこで看護師さんが探していたよ? 望ちゃんが病室にいないって」

「ホントに? じゃあ、びょうしつにもどらなくっちゃ」

 牧田さんの手を借りての望ちゃんはベッドから降りると、病室を出ていった。

「またね、おねえちゃん」

 と、手を振りながら。

 その姿に思わず小さく笑うと、ベッドに横になる。いつもと同じ病室に、いつも通り一人でいるはずなのに……。なぜか胸の中は、いつもよりも温かい気持ちになっているのを感じていた。

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