第2章 最初で最後の初デート
2-①
その日から、死神さんはいつだって窓からやってきた。いつの間にか開いた窓から、ふわっと桜の花の匂いが病室へと吹き込んでくる。それを合図に顔を上げると、まるで最初からそこにいたかのように、彼はベッドのそばに立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは。死神って暇なのね、言われたからって本当に毎日来るなんて」
「そんなことないよ。これも仕事だからね」
どうやら死神さんは、あの日私が言った「話し相手になってほしい」という言葉を律儀に守るために、こうやって毎日病室へと通っているようだった。私以外の担当の仕事はないんだろうか、という疑問が一瞬頭をよぎったけれど、仕事の意味を考えると背筋に寒気が走るのを感じて、私は考えるのをやめた。
「今日は何か面白いことあった?」
「いや、特に」
考えるそぶりをすることもなく答える死神さんに、私は小さくため息を吐いた。
「つまらないのね」
話し相手と言うなら何か話題になることを用意してくれたらいいのに。なんてブツブツと呟く私に、死神さんは口を開いた。
「そういう君は、願いごとは決まったのかい?」
「……まだよ」
私の返答に、死神さんはため息を吐く。自分も同じことをしたくせに、その態度に少しイラっとした。
「何よ、ため息なんて吐いちゃって。あ、もしかしてさっさと願いを叶えたらその時点で魂を持っていけるとかそういうこと?」
「別にそういうわけじゃない。ただ、なるべく早く願いごとを叶えておかないと、叶える前にその日が来たら困るだろう」
「ふーん? ねえ、もしも願いごとを叶え終わる前に魂を取る日が来たらどうなるの?」
死神が訪れてから三十日以内に死ぬ、目の前の死神はあの日そう言っていた。とはいっても、みんながみんな三十日ギリギリまで生きているわけではないだろう。例えば極端な話、死神がやってきた翌日に死ぬことだってあり得るわけだ。
なら魂を取るその時点で、もしも願いごとを叶え終わっていなければどうなるのだろうか。死ぬのが延期される? そんなバカなこと……。
「どうにもならない。僕らはそんなことのないようにきちんとその日が来るまでに願いを叶える」
「もし叶え終わってなかったら?」
「あり得ない」
「あっそう」
取り付く島もない態度に、私はそっぽを向いて黙り込んだ。
「…………」
「…………」
病室が静まり返る。そもそも私が話しかけなければ、死神さんが口を開くことはほとんどない。話し相手と言いながら、結局のところ私が話しかけて、それに死神さんは返事をするだけだ。
……だからかな。一人きりじゃないはずの病室なのに、こうやってお互いに黙っていると一人きりの時よりも嫌な静寂に包まれている気がするのは。
私は、そっと視線を死神さんのほうに向けた。フードを目深に被っているせいで、顔を見ることができず、いったい何を考えているのかすらわからない。
「どうかした?」
私の視線に気づいたのか、珍しく死神さんが口を開いた。けれど、のぞき見をしていたのがバレた私は気まずさを隠すように、頭まで布団を引っ張り上げた。
「なんでもない! 気分が悪いからもう休む!」
「そう。じゃあ、今日は帰るよ」
そう言ったかと思うと、窓の開く音がした。
「えっ!?」
慌てて布団から顔を出したけれど、そこにはもう誰の姿もなかった。私は、再び一人きりになった病室で、開いたままの窓の向こうを見つめていた。
翌日も、そのまた翌日も死神さんは律儀に私の病室を訪れて、会話と呼べないような会話をし、そして帰っていった。会話が盛り上がるわけでもない。何か楽しい話をしてくれるわけでもない。ただ気まずい空気と空回りしたような会話を続ける私たち。
こんなことなら『話し相手になって』なんて頼まなければよかった。そう思ってため息を吐いたとき、病室の窓が開く音が聞こえて私は顔を上げた。
「……こんにちは」
「こんにちは」
相変わらずフードを目深に被り、彼は窓からやってきた。
「…………」
死神さんは何も話さない。そんな彼に嫌気がさして、私も口を開くことはなかった。
こんな日が死ぬまで続くのであれば、もう来なくていいと言ってしまおうか。だって、最期の日までこんな気まずい空気の中で過ごさなければいけないなんて、そんな苦痛なことはない。
「あのっ!」
「あっ」
「え?」
私の声と重なるようにして発せられた死神さんの声に思わず振り返ると、開いたままだった窓から何かが勢いよく飛び込んできた。
「えっ、な、何? きゃっ!」
思いっきり私の腕を引っ張ると、死神さんは私の身体を引き寄せ、自分の背中に隠した。いったい何が起きているのか……。
「な、何が……」
「……小鳥」
「え?」
「小鳥が飛び込んできたんだ」
その言葉に、背中越しに何かが飛んでいった方向を見ると――そこにはたしかに、小鳥の姿があった。でも……。
「怪我、してる」
「え?」
私の言葉に、今度は死神さんが聞き返す番だった。
「本当だ」
小鳥は何かにやられたのか、茶色い身体のあちこちが赤く染まり、ぐったりとしていた。もしかしたら何かから逃げて、たまたま開いていたこの病室に飛び込んできたのかもしれない。
「手当て、しなくちゃ!」
「ダメだ!」
看護師さんに頼んで包帯をもらって――。そんなことを考えながら、小鳥のもとへと駆けだそうとした私の腕を死神さんが掴んだ。
「なっ……」
「いいから、ここにいて」
何をするの、そう言おうとしたのに……死神さんの真剣な声に何も言えなくなってしまう。そんな私をその場に残すと、死神さんは小鳥に近づいた。
「あっ! その小鳥、どうする気なの……?」
問いかけた私に何も答えることなく、死神さんは小鳥へと手を伸ばした。死神さんの仕事は、魂を取ること。もしかしたらそれは人間だけに限らない……? まさか、あの小鳥も……?
「やっ! ダメ! 殺さないで!」
ギュッと目を閉じた。その光景を見たくなくて。けれど――。
もう駄目だ! そう思った次の瞬間、私の耳にチュンチュンと元気に鳴く小鳥の声が聞こえた。
「え……?」
その声に恐る恐る目を開くと、死神さんの手のひらの上にいる小鳥の姿が見えた。あんなにも滲んでいた血は跡形もなく消えていた。
「治して、くれたの?」
「…………」
「なんで……?」
「別に。気まぐれだよ」
そう言うと、死神さんは手のひらに乗せた小鳥を、窓の外へと放った。すると、先ほどまでのぐったりとしていた様子が嘘のように、小鳥は軽快に空へと飛び立っていった。
「よかった……」
「そうだね」
小鳥が飛び立っていったあとを、死神さんはジッと見つめている。いったいこの人は、何を考えているのだろう。
「ねえ、死神さん」
「……っ」
「まっ……」
どうして小鳥を助けてくれたのか――、そう尋ねようとした瞬間、死神さんは先ほどの小鳥と同じように窓の向こうへと姿を消してしまった。まるで、私が話す言葉の続きを、聞きたくないとでもいうかのように。
「助けてくれてありがとうって、言いそびれちゃった」
それにしても……。さっきは小鳥に触れようとした私を怒鳴りつけたし、かと思えば怪我をした小鳥を直してくれたりもした。
いったいあの人は優しいのか、そうじゃないのか。
「うーん」
「
「あ、
コンコンというノックの音とともに病室のドアが開いて、看護師の牧田さんが顔を出した。牧田さんは、私の担当の看護師さんだ。プライマリーナーシングといって、一人の看護師さんが一人の患者に対して専任でついてくれているのだ。だから、入院期間が長い私にとっては、まるでお姉ちゃんのような存在だった。
「ごめんね、休んでた?」
「いえ、大丈夫です」
「そう? なら、よかった。……って、あれ? 鳥の羽?」
「あっ……」
牧田さんは、目ざとく部屋の隅に落ちていた鳥の羽を拾い上げた。死神さんが治療する前に落ちたのか、その羽には小鳥の血がべっとりとついていた。
「これは?」
「あ、えっと……。さっき、怪我をした小鳥が迷い込んできて、それで……」
「触ったの!?」
「え?」
「怪我をした鳥に触ったの!?」
いつもは優しくてニコニコしている牧田さんが。凄い剣幕で言うから……。私は、黙ったまま首を振ることしかできなかった。
「触ってないのね?」
「は、はい。その、迷い込んできたけど、すぐに出ていったから」
「そう。ならよかった」
ホッとしたように息を吐くと、牧田さんはいつもみたいに優しく微笑んだ。
「野生の……ううん。野生じゃなくても動物はどんな菌を持っているかわからないからね。ましてや、怪我なんかして血でも出ていたら、そこからどんな感染症にかかるかわからないの。だから、絶対に触っちゃダメよ」
「はい……」
そういえば、そんな話を小さい頃に聞いたような気がする。病室にいたくなくて、勝手に抜け出していた私に、野生の生き物には気を付けるようにと。最近は、病院の外に出るような、そんなこともなかったしすっかり忘れてしまっていた。もしもあのとき死神さんが止めてなければ今頃――。
「あっ……!」
「うん? どうかした?」
「あ、いえ。なんでもないです」
「そう? じゃあ、これを捨てて、手を消毒してからまた来るわね」
そう言って病室を出ていく牧田さんの背中を見送りながら、私は先ほどの死神さんの行動を思い返す。
もしかしたら死神さんは、さっき牧田さんが言ったことを知ってて、それで私が触れないようにああやって?
感染症にかかって死なれたら、死因が変わるから――。彼に聞いたら、そんなふうに言うかもしれない。でも……。
「もしかしたら、そんなに悪い人じゃないのかもしれない」
私の中で、ほんの少しだけ死神さんへの印象が変わった。そんな気がした。
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