1-②
「それで? いったいいつ私を殺してくれるの?」
死神はコホンと咳払いを一つして、口を開いた。
「
「あってるわ」
「そう。――さっきも言った通り、君の命はもうすぐ尽きる」
「具体的には、いつ?」
「今日から三十日以内」
三十日以内。と、いうことは最長であと三十日も生きていなくちゃいけないのか。
早咲きの桜が咲き始めた窓の向こうに視線を向ける。三十日後にはきっと、桜は散ってしまっているだろう。つまり春が終わる頃、私は逝くということだ。あの桜に、見送られながら。
「話を続けてもいいかな?」
「ええ」
気づけば暗闇に浮かぶピンク色の桜の花をジッと見つめていた私に、死神は声をかけた。ほんの少しの動揺も気づかれたくない。私はなんでもないふうを装って、死神へと視線を戻した。
「三十日以内に、なんらかの要因で君は死ぬ。そして、僕がその魂をあの世に連れていく。ただし――」
「ただし?」
「僕たち死神には、死に逝く方たちが笑って逝けるように手助けをしなければいけないという決まりがある。そのために、僕は君の願いごとを三つ叶える」
死神の言葉に、私は思わず吹き出した。だって、願いごとって。そんな絵本の中の世界みたいなこと……。
「何がおかしい?」
「だって、冗談でしょ?」
「僕はいたって真剣だよ。と、いっても僕たちに叶えることができるのは君にかかわるささやかな願いごとだけだ。誰かを傷つけたり、誰かの感情をコントロールしたり、それから、死を覆したりすることはできない」
なんなの、それ。そんなの……。
「じゃあ、何ができるって言うの!?」
「たとえば、君の心残りを取り除くこと、かな」
私の――心残り?
その抽象的な言葉に、思わず私は窓の外の桜を見つめていた。
あの桜が――。
「どうかした?」
「なんでもない」
「そう。他に質問はない? じゃあ以上だ」
「あ、ちょっと!」
これで話は終わり、とでも言うように背を向けた死神に私は慌てて声をかけた。気になることはまだたくさんあるのに、勝手に終わりにされちゃたまらない。
そんな私に死神は、どこか面倒くさそうに振り返った。
「まだ何か?」
「三十日以内って全然具体的じゃないよね? それになんらかの要因ってどういうこと? 病気で死ぬんじゃないの? それから願いごとを叶えるっていったいどうやって……」
「質問が多い」
「だって」
気になることは聞いておかないと。そう言った私に、目の前の死神はわかりやすく息を吐いた。
「一つずつ答えるよ。まず、何日に死ぬ、というのは教えることができない」
「どうして?」
「以前、死神から自分が死ぬ日を聞いた人間が、それよりも早くに自死してしまう事件が起きたんだ。――死因も変わってしまって、あのときは大変だった」
死神は何かを思い出したかのように、フードの上からこめかみのあたりを押さえる。他人事を装って言っているけれど、この反応は案外伝えた死神本人なのかもしれないと、私はそう思った。
「だから、死ぬ日を教えることはできない」
「そう。なら、死因は?」
「それもダメだ。死因を変えられてしまうかもしれない」
「ケチなのね。じゃあ」
もしも、先程のあれが私の思い違いじゃなくて、この死神が過去にやらかしたことなのだとしたら。そういう甘いところがある人なのだとしたら。
私は、自身の左胸を指差した。
「一つだけ教えて。私が死ぬのは、このポンコツな心臓が原因?」
「……違う」
悩んだような間のあと、死神は手帳らしきものを見て首を振りながらそう言った。あれに何か――おそらく私の死に関することが書いてあるようだ。背表紙には頭の欠けた星が印字されているのが見えた。どうして欠けているんだろう? 一瞬、そんな疑問が頭をよぎったけれどそんなことは別にどうでもいい。それほどまでに興味があるわけでもない。それよりも。
「これだけ長いこと病気で入院しておいて、心臓が原因で死ぬんじゃないなんて滑稽ね」
思わず笑いが込み上げる。なんのために、今まで治療をしてきたというのだろう。なんのために、今こうやって一人で入院しているというのだろう。心臓が原因で死ぬのでないのなら、今私がここにいる必要なんてないじゃない。
ううん、そんなことないか。私がここにいなくちゃ困る人たちが少なくともいるのだから。私が病院の外にいちゃ邪魔な人たちが。
でも、そっか。心臓が原因じゃないのか……。
まあ、いっか。あの苦しい思いをして死ぬんじゃないとわかっただけで、少し気持ちが楽になった気がする。
「教えてくれてありがとう」
死因を伝えることはできないと言っていたにもかかわらず、心臓が原因ではないことを教えてくれた。
もしかしたら、この人はぶっきらぼうな態度とは反対に、意外といい人なのかもしれない。自分の魂を取りに来た死神に、いい人というのはおかしいのかもしれないけれど。
思わず、自分の単純な思考回路に笑ってしまう。そんな私を死神は何も言わずにジッと見つめていた。
「ねえ」
ふと思いついて、私は死神に話しかけた。死神は、不思議そうに首をかしげる。
「どうかした?」
淡々とした口調で喋る死神に対し、私は満面の笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、その日まで私の話し相手になってもらおうかな」
「え?」
あっけにとられたような声を上げる死神におかしくなりながらも、私は一つだけ心配なことがあって言葉を続けた。
「あ、でもこれお願いごとになっちゃう? さっそく一つ使っちゃったことになるのかな?」
「いや、それぐらいならならないけど。まあ、たまになら……」
「たまにじゃないわよ。毎日よ」
「毎日!?」
心底嫌そうな声で死神は言う。でも、今までの冷静な口調が崩れたことに小気味よささえ覚えた。
「そうよ。あなただって私の願いごとを叶えるためにはここに来ていた方が都合いいでしょ?」
「それは……。いや、でも……」
「決まりね。じゃあ、その日までよろしく。死神さん」
もしかすると死神さんは今、困ったような表情を浮かべているのかもしれない。
笑顔を浮かべる私とは対照的に「あー」だの「それは」だの往生際悪く言っている死神さんがなんだかおかしくって、私はわざともう一度にっこりと笑った。
「……っ」
「よろしくね」
そんな私に観念したかのように、消え入りそうなほど小さな声で死神さんは呟いた。
「……よろしく」
これが私と死神さんの、長くて短い三十日間の物語の始まりだった。
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