イザヤ・ザ・ポラリス7

 20分くらい経って電車から街の灯りが見えなくなり、辺りは真っ暗になっていました。車内は電車が線路を走る音だけが響き続け、揺れるたびにライトが点滅します。

スピーカーからアナウンスが流れるとエレナは顔を上げました。

マヤは窓の外を眺めていました。

「どうしたの?」

「次の駅はわたしの町なの」

「ふうん」

「イザヤも住んでた」

「イザヤ?」

「これの持ち主」

 エレナはコートを広げました。

「イザヤって、あのイザヤくん?」

「知っているの?」

「コンクールで受賞していたじゃない。彼の絵がわたしの町の美術館に展示されて、それで知ったの。実はそこで会ったのよ」

 エレナは驚きました。イザヤと会わなくなって彼が放課後や休日にどういう生活をしているかわからなかったのですが、以前のように引き籠って本を読んでいたり絵を描いているものだと思っていたのです。

 彼を知る人物がいたことも、エレナには意外でした。

「そっか、あなたがイザヤくんの友達だったんだね」

 友達だった。

彼女がどれほど二人の関係を知っているか、エレナは考えたくありませんでした。

「エレナちゃん、立って」

 マヤが言いました。

「なに?」

「そのコート羽織ってみようよ」

 マヤに言われるがまま、エレナはイザヤのコートを着せられました。

「うん、似合ってる」

 窓にはエレナの姿が映っていました。外は未だ闇に包まれ白髪の少女の顔だけが目立ち、首から下も黒いコートを身に着けているので、エレナの目にはまるで幽霊のように見えました。

 ポケットに手を突っ込むと、紙きれが入っていました。

『Polaris』

 エレナはマヤを見ました。

「ねぇマヤ」

「どうしたの」

「イザヤと星について話したことある?」

「ううん、そんな話したことない」

「そう」

 エレナは目を伏せます。

「イザヤくんは星が好きだったの?」

 マヤはしゃがんでエレナに話しかけます。

「わからない」

 電車が減速を始めました。駅や町の灯りがいつのまにか窓から入ってきています。

「わたし、イザヤのことがわからないの」

 電車が大きな音を立てて停車しました。アナウンスが流れ、扉が開きます。

「教えて、イザヤ」

エレナは走り出しました。

 階段を上ると街灯に照らされた道をたどっていきます。町の人はほとんどセイヤ祭に出向いているので、建物はみな真っ暗です。それでも彼と遊び回っていたことを思い出すと、どの方向へ向かえばよいかわかりました。

 川沿いの道ではせせらぎの音と彼女らの呼吸と足音だけが鳴ります。橋を渡ってしばらく走り続けていると、二人は山の中にいました。

「エレナちゃん、ここ、どこ?」

 マヤは息を切らしていました。膝に手をついて、ぜぇぜぇと息をしています。

 エレナは、マヤの前で立っていました。

「天文台にいかなくちゃいけないの」

「こんな場所にあるの?」

「そこで彼は死んだから。でも、たどり着いたことがないの」

「ちょっと、どういうつもり?」

 マヤはエレナの肩をつかみました。

「死んじゃ駄目よ。周りがどうなったって、あなたはあなたの人生があるじゃない」

 彼女の目がとても必死なのが、暗闇の中でもわかりました。彼女が本当に自分のことを心配してくれているのだと、エレナは思いました。

「ちがうの。イザヤのことを知らなくちゃいけないの。いままでずっと何考えているのかわからなかったけど、それでも忘れられたくないと思うから。わたしがイザヤをわかってあげなきゃ、他のみんなは忘れちゃうから」

 エレナは微笑みました。

「そう、それならいいけど、でも」

「だいじょうぶ」

「でもたどり着いたことないんでしょ」

「たぶんだいじょうぶ」

 エレナは空を見上げながら歩きだしました。マヤはその隣に立って、手をつなぎました。

「エレナちゃん、イザヤくんから聞いてたよりだいぶ無茶する子なんだね」

「え」

「イザヤ君、あなたのこと振り回しすぎて愛想つかされちゃったって落ち込んでたのよ」

「そう、なの」

「でもあなたがこんなにイザヤくんのこと大事に思っていたって知ったら喜ぶだろうね」

「でも、もう死んでるじゃない」

 エレナの声は震えていました。

「ごめん、そんなつもりじゃ」

「イザヤがたくさん教えてくれたのに。流れ星が実は大気圏で燃える隕石だとか、すごい望遠鏡だと幾万もの星が集まってできた星団が見えるだとか。川でも遊び方も、この町の遊び場も。ぜんぶイザヤがくれたものなのに」

 エレナは歩きながらしゃべり続けます。

「わたしはイザヤに何もしてあげれなかった。わかってあげれなかった。ずっと一人で絵を描いて本を読んでて、わたしが邪魔なんだって思ってた」

 マヤは何も言わず、エレナにハンカチを差し出しました。

「だから行かなきゃいけないの」

「そうだね」

 二人は歩き続けます。周りに人工の灯りはありませんが、月明かりが彼女らの道を照らしました。

「あの天文台、一度だけ行ったことがあるの」

「そうなの?」

「イザヤが連れてきてくれたの。たどり着いたのはその時だけ。イザヤはずうっと星を見ていて、わたしのことを気にかけてないって思ってた」

「じゃあさ、わたしたちも上見ながら歩こうよ」

「え」

「イザヤくんがそうやって歩いていたのって、何か理由があるんじゃないなかな。ほれ」

 マヤはエレナの首を上に向けました。

「手つないでてあげるから」

 そういってマヤも上を見上げました。二人して顔をあげていたら手をつないでいても転ぶのではないか、とは言いませんでした。

「わたし星座とかわかんないのよねー。大三角形ってどれかしら」

「わたし、少し知ってる」

「え、どれどれ?」

 エレナは少し立ち止まって夜空を眺めます。きょろきょろと見る角度を変えて、そうしてある方向を指さしました。

「あっちの方向に、並んでいる強い光の星があるでしょ。あれが北斗七星。こぐま座のせなかからしっぽの部分なの」

 ひしゃくのように並んでいる星を指でなぞり、そこから一直線にある別の星に行きつきます。

「ひしゃくの先を追っていくとまた別の星にたどり着く。あの星が北極星。ポラリスっていう二等星」

「すごい」

「イザヤはこの星が好きだったの」

「そうなんだ」

「うん。天文台に行くときも、北極星の話ばかりしていて……」

 エレナはそこまで言って気づきました。

「イザヤは北極星を目指して歩いていたんだ」


 壁はひび割れて中の光が漏れ、それに伝うように蔦が張り付いています。数年ぶりに訪れたその塔は、かつて訪れたときと一切変わっていませんでした。

「こんな塔があったんだ……」

 マヤさんは口を開けたまま目の前の建物を眺めています。

「なんで気づかなかったんだろう」

「わたしもそう思う」

 二人は塔の中へと足を進めます。

 壁に貼り付けられた星座早見表、灯りの下の机には双眼鏡と山のように積まれた星の本、エレナが流れ星を見た時を鮮明に思い出すほどにそこは当時とそっくりでした。しかし、おそらくイザヤが持ち込んだであろう本があまりにも多く机の上に収まりきらなかったのか、机の奥に本がぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚が設置されていました。

 マヤはしばらくきょろきょろして、そのうち机の裏の本棚を漁り始めました。

「ねぇ、しばらくこの部屋を見ていてもいいかな」

「じゃあわたしは上に行っているから」

 エレナは机の横に掛けてあった懐中電灯を手に階段を上っていきました。

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