イザヤ・ザ・ポラリス6

 時間が経って、星が流れなくなって、それでも二人は塔の上に寝ていました。

 エレナは、もうこの星空が恐ろしくなんてありませんでした。

「ねぇイザヤ、北極星ってなに?」

「ポラリスって星さ」

「ぽらりす」

「そう。ずうっと北の空に浮かび続けている星さ。あそこにおおぐま座が見えるかい? あれの背中からしっぽまでの星を北斗七星といって、そこからさらにこう伸ばしていったあれが、そう、それがポラリスだ。大昔から、幾人もの人があの星を目印にこの地球を旅してきたんだ。今夜だって、僕らはあの星をめがけて歩き続けていたんだよ」

 エレナは、昔の人はどうしてコンパスや太陽の向きで方角を知ろうとしなかったのか聞きました。

「どっちも、夜だと暗くて見れないじゃないか」

 イザヤは上を見続けています。

「誰もいない、方角もわからない暗闇の中で、旅人たちが頼れる光はきっと、月や星の光だけだったんだろうな」

 焚火やライトの灯りは無かったのか、とまではエレナは聞きませんでした。星を眺めるイザヤの目は、いつものように輝いていたのです。


 あれから今日まで、エレナはこの塔に来ることはありませんでした。イザヤが星の話をするたびに彼女は同じ景色を見たいと思うのですが、暗闇の中山を登っていたのであの灯台がどこにあるかわからなかったのです。

 地図にも載っていないこの場所をイザヤはどうやって知ったのか、エレナは気になりました。


二人で流れ星を見たあの日から、いろんなことが変わっていきました。

 イザヤは、星の勉強をし始めました。二人の遊び場は橋の上からあの天文台へと変わり、エレナはただイザヤが星の本を読んだり、ときたま絵を描いているのを横から眺めていました。そうして、お昼すぎにはおうちに帰るようになりました。

 エレナは、イザヤとまえみたいに遊びたいと思っていましたが、彼の真剣なまなざしを見てるとそれを言うのもはばかられました。彼女は、物知りのイザヤがどうやって色んなことを知っているのか分かった気がしました。

 夏休みが終わって学校が始まってからも、イザヤの様子は変わりません。毎日図書館に通い詰めて星の本を読み、たまに二人が遊んでいた橋に向かっても何かをスケッチしてばかりでした。

「やいイザヤ。がり勉の次は落書きかよ」

 クラスのいじめっ子にからかわれても、イザヤは気にしませんでした。エレナは彼らに言い返そうとしましたが、何も言葉が見つかりませんでした。

 ある日、図書館でエレナは尋ねました。

「どうしてそんなに勉強しているの?」

「僕はまだ旅の途中なんだ」

「旅って?」

「北極星を目指す旅さ」

 エレナはとうとうそれがわかりませんでした。


 日が経ち、かれらは中学校に進学しました。エレナは友達が増えクラブ活動に精を出すようになり、イザヤは相変わらず絵を描くか星の本を読んでいるので、二人は次第に会わなくなりました。

 ある日、エレナが美術室の扉を覗くとイザヤを見つけました。

 夕日の差す薄暗い部屋に一人、彼は真剣なまなざしで何かのデッサンをしているようでした。窓から流れ込んだ風の音と風に揺らされた草木の擦れる音、そして画用紙をなぞる鉛筆の音だけがかすかに聞こえ、エレナは流れ星の夜を思い出していました。

 そうしてしばらく眺めていると、イザヤが言いました。

「エレナ、入って来いよ」

 エレナは一瞬心臓が跳ねそうになりましたが、深呼吸して扉を開きました。扉が大きな音を立てるので、彼女は教室に入るとゆっくり扉を閉めました。

彼はエレナの方を見ずに、鉛筆を動かし続けます。

「久しぶりだね」

 イザヤが言いました。

「うん」

「最近、どう?」

「ふつう」

「そう」

「イザヤは、相変わらず絵を描いてるんだね」

「奥が深いんだ。美しいだけじゃない、もっと偉大な……道しるべってやつだよ」

 そう言うと、イザヤは手を止めてエレナの方を向きました。

 少年だったあの頃よりも少しやせた顔で、しかし同じ笑顔が彼女を見ていました。

「北極星?」

「そうさ」

イザヤは、彼の前の机を指さして言います。

「エレナ、モデルになってよ」

 彼女は断りませんでした。

 

 エレナは机に座り窓の外を眺めるように指示されて、そのとおりにしました。しばらくイザヤが難しい顔で彼女のまわりをぐるぐるとまわり一言、髪を縛るリボンが邪魔だというので彼に手渡しました。

 たまに彼女がイザヤの方を向くと、彼は笑いながら絵にならないだろと言いました。

「ねぇイザヤ」

「なんだい」

「北極星ってなに?」

「ポラリスって星さ」

「ごまかさないで」

「星の先祖様のお話は知っているだろう」

 彼は鉛筆の先を見ながら話します。

「僕たちは死ぬとその魂が燃えて星になる。夜空に浮かぶ幾千もの星はかつてこの地に立っていた生き物の魂なんだ」

 エレナは思わずイザヤの方を見ました。

「イザヤは、死にたいってこと?」

「まさか」

 もう風の音は聞こえません。何も聞こえません。

「まだ死ねないよ」

 まだ死ねない。まだ。

 エレナは途端に不安になりました。

「その話はいつから知っていたの?」

「だいぶ前かなぁ……星の本で読んだ話で、何度も読み返したよ」

「流れ星のときも?」

「そう、あのころからだよ」

「あなた、死んだ人の魂が並んでいるのが美しいって思ったの?」

「まさにその通りだよ。エレナ、君もそう思うのかい?」

「……わたし、あなたのことがわからないわ」

 エレナは顔を伏せました。

「あの星空を見て、星の先祖様のお話を思い出して、そして気づいたんだ。美しいものには、それ以上の意味がある。たとえば、星がきれいに光るのはそれに見合うだけの魂がそこにあるからなんだ。星座は彼らの関係性だ。幾人もの星が連なってより美しい図形を描いている。素敵じゃないか」

 イザヤは楽しそうに語ります。

 エレナは、なんと返せばよいかわからなくなりました。

「僕は北極星になりたいのさ」


 イザヤがあの展望台から落下して死んだのは、その翌日のことでした。

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