イザヤ・ザ・ポラリス5

 その舟には「IZAIA」と刻まれていました。

 イザヤの両親が舟をタオルで掃除した後、そりに載せられた荷物を舟に置き始めました。星座図鑑だったりシャツやズボン、学校の生徒からの手紙が詰まった箱とそして彼のお気に入りだった外套を、二人は一つ一つ抱きしめてから舟に載せていきます。エレナはただそれを眺めていました。

「エレナ、手紙は書いたかい?」

 お父さんがエレナに尋ねます。

 彼女は下を向いて何も言いません。

「いいのよ。今すぐじゃなくても。きっと想いは届くから」

 イザヤのお母さんが微笑むと、エレナは下を向いたまま震える声で言いました。

「想いって、なんですか」

「エレナ?」

 お父さんがエレナの肩を掴みます。彼女の両手は強く握りしめられていました。

「なんでそんなに嬉しそうに荷物つめてるんですか」

 イザヤの両親も、お父さんも、エレナをただ見つめていました。

「ふざけるなよ、勝手に納得して勝手にイザヤの物海に捨てて。わたしだって、わたしだって……」

 そこまで言って、彼女は唇を噛みました。口から血が垂れて彼女の首元まで流れていきました。

 数秒間黙り、そしてエレナは顔を上げて叫びました。

「イザヤのこと忘れてまで楽になりたいのなら勝手にしろ!」

 エレナは、そのまま舟の上の外套を掴んで走り出しました。三か月も引き籠っていたからか、それとも砂が彼女の足を引き留めたのか、その足取りはどこか危うげでした。

「お嬢ちゃん?」

「待て、マヤ!」

 背後の声も気にせず砂浜を走り抜け、人混みをかきわけて、エレナはただひたすら走り続けました。外套が手から滑り落ちそうになるたびに、彼女は両手でそれをすくって抱きかかえました。

 必死になって走りつづけ、そこがどこなのかわからなくなった時、彼女は様々な色の光が流れていくのを目にしました。彼女は目を閉じました。

 そうして、十歩、十五歩、前のめりになって駆けたところで、彼女の体が宙に浮きました。

「お嬢ちゃん!」

 空中で後ろから誰かに抱きしめられ、そのまま落下しました。エレナは、それがイザヤであるような気がしました。

 エレナをかばうようにその人は地面と激突して、エレナは転がりました。彼女が目を開くと、そこに電車が停まっています。ここはこの町の駅のようでした。

 ジリジリジリと、駅のベルが鳴ります。エレナは車両に入りました。

「それでは、発車いたします」

 ライトが弱いせいで薄暗い、誰もいないがらんとした車内にアナウンスが流れます。エレナがライトの真下にある席に座ると同時、マヤが電車に飛び乗りました。

「いた、お嬢ちゃん……」

 マヤはエレナの正面に腰掛けると、顔を下げて大きく息を吐きました。

「お嬢ちゃんての、やめてください」

「やっと、口きいてくれたね」

 マヤは顔をあげてエレナに笑顔を見せました。メガネがずれ落ちましたが、マヤはそれを拾おうとはしませんでした。

「何しに来たんですか」

「なにって、心配だから来たんだよ」

「これを取り戻しに来たんでしょう」

 エレナが拗ねるように言うと、マヤは首を振りました。そして、エレナの髪を撫でながら言いました。

「わたしはマヤよ。あなたの名前を教えてくれるかな」

「……エレナ」

「そう。エレナちゃん、わたしはあのお祭り、実は嫌いなのよ」

 驚いてエレナがマヤの顔を見ると、二人の目が合いました。

「そんなはずない、だってさっきも星の先祖様の話をしていたじゃない」

「あんなの仕事よ、仕事。パパに言われて仕方なくやらされてるのよ。やってればいつかわかる、だなんて言って。あのネギ頭のオヤジよ。あいつ名前までネギネギっていうんだよ。ネギオヤジめ」

 マヤはそう言って深いため息をつきます。エレナはテントの入り口にいた人物のことだろうと思いました。

「ねぇ、このあとどうするつもりなの?」

 マヤの質問に、エレナは黙るしかありませんでした。下を向いて、ただイザヤのコートを抱きしめました。

「そのコートの持ち主って、どんな人なの?」

 その質問にも、エレナは黙りました。

「そう」

 マヤはエレナの頭を撫でました。

「マヤ、さんはどうして――」

「マヤでいいよ」

「……マヤはどうして来たの」

「そうね、どうしてかしらね」

 エレナは、イザヤのコートに顔をうずめました。

 満点の星空の下、二人を乗せた電車はガタゴトと音をたてながら海からとおざかっていきました。

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