第7話 赤い百合
その日は珍しく朝から百合ちゃんが不機嫌だった。何があったのか聞いても教えてもらえなかったのだけれど、こんな時は百合ちゃんから理由を話してくれるまで待っておくのが一番だ。
百合ちゃんが不機嫌なままだと教室の空気も重くなってしまいそうなのだが、学校の敷地に入った時にはいつもの百合ちゃんに戻っていた。私の前では時々気の抜けた自然体の姿を見せてくれる百合ちゃんではあったけれど、みんなの前ではしっかりした百合ちゃんが一番頼もしく感じてしまう。
何でもできる百合ちゃんが私と友達なのは事情を知らない人たちから見ると奇妙に映ってしまうかもしれない。もっとも、私達の関係をちゃんと理解している人達に限ってだが、大きく誤解している事が多かった。
私はそれなりに料理が出来るのだけれど、百合ちゃんの数少ない弱点の中に料理があるのだ。そんな時に何が起こるかと言うと、家庭科で実習があったのだけれど、調理ではなく裁縫の実習であった。どちらにしろ百合ちゃんが苦手だから関係ない話ではある。
今日は珍しく百合ちゃんの家に行く事になっているのだけれど、誰かの家に遊びに行くのは小学生の時以来のようにも思えていた。実際、誰かの家に遊びに行った記憶がなかったので間違いではないだろうが、正解でもないというのがもどかしい。
百合ちゃんの家に行く前に私は家にカバンを置いて制服から私服に着替えたのだけれど、何か手土産でも持っていった方がいいのだろうか。大人じゃないのだからそれほど必要とされていないようだった。
百合ちゃんの家は名前の通り百合の花が咲いているのかと思っていたのだけれど、庭に咲いているのは彼岸花だった。私の家でも咲いているし、風に揺れる彼岸花が私達を見守っているようだった。
百合ちゃんの部屋の中は思っていたよりも綺麗に片付いていた。私は本棚を見てみたのだけれど、昔からはやっている漫画もあれば、つい最近刊行された漫画もあったので少しだけ読みたいと思ってしまった。
百合ちゃんが飲み物を持ってくるというので、私はこの漫画を読んでいいか聞いてみると、百合ちゃんは二つ返事で答えてくれた。
漫画は思っていたほど面白くはなかったのだけれど、漫画は関係ないところで少し面白い事が起こっていた。
百合ちゃんの部屋の外から視線を感じたので百合ちゃんが戻って来たのかと思ってみると、そこには見覚えのない女の子が心配そうに私の様子をうかがっていた。百合ちゃんに妹はいなかったと思うのだけれど、妹にしては似ていなすぎだったので親戚の子なのかもしれない。後で百合ちゃんに聞いてみたら誰か教えてくれると思うし、今は警戒されているようなので近付かないことにしておこう。
百合ちゃんが戻ってくる少し前に女の子はどこかへ行ってしまったのだけれど、百合ちゃんの持っているお盆の上にはカップが三つあったので女の子も一緒に遊ぶのだろうと思っていた。女の子は私が帰る時に庭で見かけたのだけれど、それまでは一度も姿を見なかったし、その存在も忘れていたので百合ちゃんに聞くことも出来なかった。
翌日、百合ちゃんと別れて家に帰ってくるまでの間も女の子の事を忘れていて、結局誰なのかわからないままだった。なぜか家に帰って一人になるまでの間は女の子の事を考えることも出来ないでいた。
その翌日もずっと先も思い出すことは出来なかったのだけれど、なぜか訪れ居ていた廃寺に咲いていた彼岸花を見ると女の子の事を思い出していた。
隣にいた百合ちゃんに聞いてみてもはぐらかすばかりでちゃんと答えてもらうことが出来ず、女の子の事が気になるので家まで遊びに行きたいと何度も何度もお願いしてみた。百合ちゃんはしぶしぶOKしてくれたのだけれど、遊びに行った時には女の子の気配も感じることは出来なかった。
「そんな女の子なんて知らないけどさ、本当にいたとしたらカスミは幸せになれるかもしれないね」
「なんでさ?」
「そういう時に出会ったのは幸福を告げる使者ってのが定番でしょ」
百合ちゃんはそう言って笑っていたけれど、私にはそういう人ではなかったような気がしていた。もう少し力強い何かを感じていたのだ。
「ところで、今日は何をして遊ぼうか?」
百合ちゃんは慌てたように色々なゲームを広げると、その中の一つが気になってしまった。
「このカードのやつって楽しいの?」
「楽しいっちゃ楽しいけど、二人でやるには特殊過ぎるかも」
その時に強烈な視線を感じると、家の外の庭から女の子が部屋を覗こうとしていた。
もちろん部屋の中は覗けないと思うのだけれど、女の子から見て死角に入っているはずなのに強烈な視線は消えなかった。
私はその後も何度か女の子について質問をしたのだけれど、百合ちゃんは決まって知らないと答えていた。
それからも一緒に遊んでいたのだけれど、どこからか刺すような視線を感じてしまい集中できないまま帰宅することになった。その見られている感覚は家に帰るまで消えることは無かった。
帰宅してそのまま裏庭に行くと、花壇にピンク色の綺麗な花が咲いていた。その花びらを見ていると美しさの奥に何か危険なモノを感じてしまった。それの正体はわからないけれどなんとも言い知れない恐ろしさを感じてしまった。
「この花が気になるのかな?」
愛華は何だか嬉しそうにその花を見つめていたのだけれど、私はその姿がとても印象的だった。セーラー服に身を包んだ美しい少女とピンク色の美しい花が絵画のようにも見えてしまった。私がこの場で見ていてもいいのだろうかと思ってしまったのだけれど、愛華は少し嬉しそうな顔で私に微笑んでいた。
「この花は夾竹桃と言って毒があるから食べたりしたらダメだよ」
いたずらっ子の様な笑顔で私にそう言うと、少しだけ花を撫でて私の方へと近づいてきた。その指が私の頬に触れると、そのままゆっくりと動いて行って私の唇に優しく触れた。毒と聞いていたので怖くて体が強張ってしまった。
「大丈夫だよ。この毒はカスミには効かないからね」
「どうして?」
「それは私にもわからないけれど、カスミには効かないようにできているんだよね」
私はその指によっていろいろな部分をま探られてしまったのだけれど、その行動一つ一つに小さな反応を繰り返してしまった。視界の端で揺れる夾竹桃の花が私に少しずつ恐怖を与えてきているのだけれど、私は愛華の行動に愛情は感じていたけれども、恐怖を感じてはいなかったと思う。
「ねえ、私と一緒に良いところに行こうか?」
愛華の言う良いところがどこなのかわからないけれど、それはきっと私にとって望むべきところではないのだろう。そう思っていたのだけれど、体に力が入らず抵抗も出来なかった。
抵抗できないままその流れに身をゆだねそうになっていると、百合ちゃんが私の事を後ろから抱きしめてくれた。
「大丈夫。私はもうカスミを一人にしないから」
百合ちゃんのお陰で私は体に力が戻って抵抗することが出来たのだけれど、愛華の行動は止まらなかった。
「ねえ、あなたは私達の邪魔をしたいみたいだけど、そろそろ諦めてもらえると嬉しいな。他人が関わっていい領域ってあるんだよ」
「そんな事言われたってカスミは渡せないよ。いったい何が目的なのかわからないけど、私は絶対にひかないからね」
私を抱きしめて守ってくれている百合ちゃんではあったけれど、その体は私も不安に思ってしまうくらい小刻みに震えていた。きっと私以上に恐怖を感じていると思うのだけれど、その恐怖に耐えて私を守ろうとしてくれているのだ。
「あなたって何の自身があって私に立ちはだかろうとしているのかな。きっと何も考えないで出てきたんだと思うけれど、もう少し自信がある時に出てくるべきだったわね。でも、もう遅いわよ」
私も百合ちゃんを守るように抱きしめていたのだけれど、お互いに恐怖に体を支配されているのか言葉を発することも体を動かすことも出来ないでいた。ゆっくりと近づいてくる愛華の姿を見ていたのだけれど、風に揺れる夾竹桃の奥に見える彼岸花が私に勇気と力を与えてくれるような気がしていた。
「愛華が何をしたいのかわからないけど、私は百合ちゃんと一緒に抵抗を止めないからね」
「そうなのね。最後まで諦めない姿勢は好きだけど、カスミにはそんな感情必要無いと思うんだ。やっぱりその女がいると悪い影響受け過ぎちゃうのかもしれないわね」
私は自分でも少しずつ感情が変化しているように思っていたけれど、それは百合ちゃんと触れ合っている時間が長いほど影響があったように思えていた。それは気のせいではなかったようだ。
「もうそろそろいいかしら?」
ゆっくりと近づいてくる愛華の笑顔は優しく微笑んでいるのだけれど、笑顔の奥に底知れぬ恐怖を感じてしまった。
「あなたもカスミの為に無理しないで逃げたっていいのよ。その方が楽だと思うよ」
「イヤだ、私はもうカスミを見捨てないって誓ったんだ」
「虚勢を張ったって私にはわかっているのよ。本当は怖くて逃げだしたいんでしょ。逃げたってカスミも気にしないわよ。オトモダチが大切だもんね」
夾竹桃の花と彼岸花が私の視線から外れないのだけれど、愛華と百合ちゃんの関係とは逆に彼岸花の方が力強く感じているのは不思議な違和感だった。
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