3 ー「おれ」ー

おれは役所に務めていた。

広くて大きく,中にジムや喫茶店が入ってる所…ではなく,それぞれの地区にあるような

こじんまりとした建物。

階段を上がれば,談話室や小さな図書館があるような。


なんとなく

で,受けた公務員試験に受かった時

「優樹おまえ公務員になりたかったん?」

「いや,なんとなく資格あった方がいいかなぁって…」

「おいおい,ちょっと待て。…なんとなくで受けて受かったたって事?」

こくんと頷いて応える。

「…さすがだわ。もう,尻を向けて寝れません笑

てか,最近舞ちゃん見ないけど…何かあった?」

「振られた」

その言葉にパッと顔が輝き,ニヤニヤしながら,おれの肩をポンっとはたく。


「独りの世界へようこそ」


こいつは,気休め程度にしかならない慰めや同情をしない。そこが俺は好きだし,楽だった。


…豪快に笑っていたあいつも,今は一児の父になったらしい。




「秋本くーん,ちょっと」

片手をちょいちょいと動かし,おれを呼んでいる。

「何かありましたか?」


受付業務をしているおれの手が空いたのを見計らって

「今暇だったら,事務の子にこれ出してきてもらっていい?」

「分かりました。」


(自分でやればいいのに)

その言葉は飲み込んで,長く席を外しているわけにもいかないから,少しだけ急いで向かう。

チラッと名前だけ見て,あっ…。と思った。


「湯田 タキ」


最近全然来なくなったから,元気にしてるかなぁー…とか思ってたけど

そっか


カウンターを挟んで,職員としての顔をしていても,おれも同じ人間…

一度っきりの人もいれば,何度も見かける人もいる。

その経験から

言葉から読み取る

表情から読み取る

その二つをが自然と身に付いたと思う。


親しくなるにつれ

「湯田さん」から「タキさん」になり,「タキばあちゃん」と呼んでみたら

「ばあちゃんはやめてよ~。タキちゃんにしてよ~」

なんて言われたけど,結局「タキさん」で落ち着いた。

おばあちゃんと孫みたいな関係に周りは見えていたらしく,入ってくるなりきょろきょろと誰かを探してるのを見付けると,受付から離れていたおれに

「ほら,おばあちゃん来たから行ってきなさい」

といつも言われていたのは,そういう事だった。


役所に頻繁に来る人は,まずそうそう居ないが

二階の談話室で「柔軟教室」や「うた会」等開かれてるし

そのついでに話をしに来ているんだろう。位にしか思ってなかった。

混んでる時は硝子ドアから中を覗いて,人が少ない時にしか来なかったが。



これだけを聞けば,微笑ましい

って思うだろうが,最初の相談が


「旦那が身体壊してから看てるんだけど,あたしも歳だからさ…。どこに頼めばいいかわかんないし,資料だとか読んでもさっぱりわからなくて来たんだけど…ここで合ってるかいね?」


そう。

老老介護の相談と,それについての依頼だった。


その時から,

高齢化社会の不安を煽るニュースが流れていたが,ここでは,外に出ればお年寄りの方が目に付くし

自身の身体を考えれば,自然と行動範囲は

身近な場所に限られる。

おれは福祉課で働いていたから,タキさんの伝えたい事が分かったし,頭の中で(何が必要か)考える事も出来た。



…ただ,

「なんとなく」で働いていい仕事でないことも同時に感じていた。

この場に来なければ話せない,先に進めない。

不安だけがどんどん膨らむ。

そんな人達に

仕事だから

と,事務的なやり取りのみは失礼だと気付いてから,なるべく相手の視線の高さに合わせるように態度から変えた。


おれより背が高い人なら,背中がつる程背筋を伸ばした。…が,本当につってしまい,顔が引き攣った為ドーナツ型の真ん中が穴のあいたクッションを使った。

「秋本くん,若いのに痔になったんかね?」

笑って答えたから,きっとおれは辞めるまで痔だと思われていたんだろう。


逆に,

タキさんみたく小柄な人が来たら,カウンターで見えない事を利用して,椅子を少し離し,背中を丸めて調節しながらも

向こう側からはきちんとして見えるよう滅茶苦茶な姿勢で,相談に乗った。

「秋本くん……。身体の調子悪いなら無理しないで医者に行ってきなさい」


訪れる側からは見えないが,内側では丸見え。

尻を気にしてクッションを使ってるかと思えば,サッと椅子からどかして,猫背を極めたような…前より姿勢は良くなったかと思えば,物凄く椅子を離している姿はどう見えたのだろう…。

今思えば

椅子の横に付いてるレバーで高さ調節すればいいだけだった。


それだけは何故かしたくなかった。

自分の意思じゃないから。


それを教えてくれたのは,タキさん。


タキさんも,胸元に付けている名札を見て

「秋本さん」から「秋本くん」,「優樹くん」と,顔を合わせ,話す時間が増えてから呼び方に親しみがこもるようになった。




「角田部長,すみません。勝手で申し訳ありませんが…仕事辞めます」


机に置かれた辞表を見て,おれの顔を見て…を繰り返しながら,顎にやった手を落ち着きなく動かしている


「なんとなくこうなるだろうな…。とは思っていたから,気にする事はない。秋本くんが居なくなってしまうと,寂しがるのは俺だけでない事は分かるよね?」


「…はい」


机の辞表を手にし

「迷いは無さそうだから,きちんと受け取って処理するよ。…最後に一つ聞いてもいいかな?」

真っ直ぐな視線に頷く。

角田部長の視線が,ゆっくりとやわらかくなっている気がしたのは,気のせいかな…


「湯田さん,湯田タキさん。あのおばあちゃんが珍しく,ドアから中を覗く事無く入ってきて

「私の話をちゃんと聞ける人いるかい?」

って,君が休みの日に来たんだよ…。」

俺の耳は部長の声だけ拾っていて,静かだ


「何かあったのか?と思ったから俺が対応したんだ。たった一言だけ言って,頭を下げて帰っていった…。

「あたしはもうここには来ませんが,あの子…優樹く……いや,秋本さんに「自分に素直に生きて下さい」って伝えて頂けませんか?」

とだけ言ったんだよ。君ならそれだけで伝わるよね?あとは気にしなくていいから。…まずはゆっくり休んでから,荷物まとめたり挨拶に来なさい。」


「……はい。」




タキさんの死亡届を見た時から,周りの話し声がやけに耳に入ってきた。介護で疲れ,少し横になってそのまま息を引き取った…本当かどうかなんて分からないが…,思うように動く事が出来なかった旦那さんもタキさんの元へ旅立った。




…タキさーん。おれの大事なタキばあちゃん。

自分に素直になるって,簡単に言うけどさ…難しいよ。目的も無くなんとなく生きてきたおれには,資格を取るよりも恋人を作ることよりも難しい事残して,勝手にいかないでよ…。

「この歳になってもね,人を好きになれるのよ」

なんて少し照れた顔が浮かんでくるじゃんか……。

おばあちゃん位の歳の人好きになったことないけど,タキばあちゃんは好きだ。

…だからいつか「タキちゃん」って呼んでいいよね?


役所の駐車場脇に咲いていた小さく真っ白な綺麗な花

初めて見つけたその花に手を合わせた。



また来るから,遠慮せず来てね


おれの中にだけ生きる「好きな人」とは

もう何回目の記念日を過ごしただろう…。

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