第15話 玉手箱(中編)

 又三の過去を噂では知っていたが、本人にはユミリンゴもサングラスもちゃんと確認した事はなかった。猫又の2人は又三の衝撃の言葉に固まっている。「奥さん」のワードに。


 ユミリンゴは黙っている。スギも黙っている今、状況としてサングラスが又三に訊くしかなかった。


「えー……っと。カスミさんは前世の時、又三さんの奥さんだった方。って事ですよね?」

「そうです」


 又三は即座に返事をすると、フゥと息を吐き、白猫を見つめる。読者の方はもうお気付きだろう。

 そう、この「カスミ」は前世、又三の奥さんだった「おスミ」らしい。その昔、お武家屋敷から逃げ出して又三に助けられたおスミを、読者の方々は覚えていらっしゃるだろうか。カスミがおスミだという根拠については、今のこの状況では又三にしかわからない。又三に「奥さん」と言われた白猫は先程よりも更に落ち着いた様子で背を向けたままスヤスヤ寝ている。

 すると、ユミリンゴは黙って玄関を出て行った。


「あ!ユミさん!」


 とだけ口にして、サングラスもユミリンゴの後を追いかけて家を出て行く。家の中はカスミとスギと又三だけになった。

どれくらいしたのだろうか。又三が立ち上がった

「あ……どちらに?」

 スギがようやく口を開いた。

「お腹、すいたでしょう?」

 又三はそう言い、スギの顔をみてにっこりした。

「食事、用意しますね」

「あ、僕も……」

「大丈夫です。貴方も看病で疲れているんだから少し休んでください」

「大丈夫です!それと……」

「僕が何者か知りたいですよね」

「あ……」

「ここの近くに川がありましたよね。これから魚を取りに行くのでついてきてもらっていいですか?行きがてら話しましょう」

 又三はゆっくり立ち上がり外へ出ていった。

「か、川……?」

「カスミなら大丈夫です。それに、あの2人も居ますから。」

 少し離れた場所にいる猫又2人を指し、又三は外に出て店に入り、大きなカゴを背負って出てきた。そして、川へ向かい歩き出した。

「あ……」


スギは慌てて又三についていった。


 話そうと言っていたのに2人は黙って歩いて行った。歩いていくと、すぐに川に着いた。


「本当に近くに川があったんだ……」

スギが呟く。

「近くに川と川魚の匂いがしましたから、あると思っただけですよ。僕も知っていた訳じゃ無いです。初めて来た場所だし」


 又三はそう言って、何やら準備を始めた。


 ここで、スギの話を少ししよう。

 スギはここに川があるのを知らなかった。というより、知りたく無かったというのが本音だ。実はスギは水が苦手で川に入れる猫では無かった。猫又の時に川で流された経験があり、トラウマがあったのだ。

 猫又は死なない事をスギは当時あまり理解していなかった。もちろん、どの猫も猫又になる時にどんな妖怪になるのかの説明は神様からされるものだ。でも、話を集中して聞くのが苦手なスギは、あまり理解していなかった。まぁ…はっきり言って、ちょっとアンポンマンなのだった。なので川に落ちた時、『もう死ぬかも』と思ってあれよあれよと流されてしまった。結局、海まで流されてしまい、鯨に呑まれ、なんとか背中の吹き上げから脱出した。

 それからというもの、水に浸かるのがトラウマになっていたのだった。しかし、猫の時ならまだしも、不死身の猫又になってからのトラウマなので、なんとも残念な話である。悪い奴じゃないけど相手の話を聞けなくて要領良くない残念な人っているよねー……的な。スギよ、顔は美形なのに……と、つい人間としての煩悩が濃い作者は思ってしまう。

 自分にできる事は努力はするものの失敗が多く、新しい事にもビビリでなかなか挑戦出来ないスギ。でも、真面目で正義感は強く、自分に出来ることだけをひたすらにし、色んな状況を出来ないながらになんとかしていこうとしていたのだった。


 時を戻そう。


 又三は川に着くと、川を覗き込み、慣れた手捌きで魚を取り始めた。まるで鮭取りの熊だ。そして、魚はバカみたいに取れる。

 そんな中スギは、川の近くにいる恐怖心から近くの木に捕まり、足をガクガクさせていた。それでも、呆気に取られながらスポンスポンと川から上がりまくる魚達を見ていた。又三は山の様に魚を取ると、傍に置いていたカゴに魚を入れて言った。


「僕ね、魚取るの得意なんですよ。猫又になる前から。カスミが僕の奥さんだった時もね、よく川から魚をとって一緒に食べたんです。今日は久しぶりに魚を取りましたが、やっぱり腕が鈍ってます。狙った獲物がなかなか取れませんでした」

 又三は楽しそうに懐かしそうに話した。

「これだけ取れたらしばらく大丈夫でしょう。じゃ、帰りましょうか」


又三は、魚でいっぱいになったカゴを背負った。結局、大した事は話せないまま、そしてスギは何も出来ないまま、又三達は山を降りる。

 帰る途中、スギはようやく又三に話しかけた。


「あのっ……!カスミがあなたの奥さんだったって、本当ですか?」

 又三はピクッとなり少し足を止め、また歩き出して答えた。

「そうです。僕とカスミは今から約200年前に普通の猫の夫婦でした。僕は先に亡くなってしまった彼女の転生を探し、再び出会う為に猫又になったんです。息子にはストーカーだ、キモい、と言われちゃいますけどね」


 又三は歩きながら答えると、少し恥ずかしそうに頭をかいて答えた。


 そんな又三の言葉にスギは、又三のカスミに対する暖かいけど、なんていうか……『強すぎる何か』を感じ取っていた。又三の息子が言ったという、『ストーカー』という言葉になんとなく同調してしまうものもあったが、『命の恩猫又』という気持ちに集中しようと、空気を読んで今は黙っている事にした。

 家に着くと、又三はスギにカスミを見ててもらえるように指示し、猫又亭に戻っていった。

 しばらくして、お店から良い匂いが漂ってきた。ご飯の炊ける香ばしい匂い、魚を焼く匂い、お味噌汁のお出しの香り。家のすぐ外にいたサングラスのお腹がグゥーと鳴った。そういえば、又三含め猫又3人とも朝から何も食べていない。

 サングラスは、あれからずっとユミリンゴを宥(なだめ)ていたのだった。すると…

 

 ガシャコン♪

 ガシャコン♪

 ガシャコン♪

 ガシャコン♪


 猫又亭のお店から料理をしているにしては妙な音が聞こえる。ユミリンゴとサングラスは気になり、お店に入った。


「又三さん、何の音?って、えええ?なにやってるんすか?!」


サングラスが叫んだ。見ると、沢山密封された猫のカリカリの袋が並んでいる。猫缶も並んでいる。又三はゴーグルして、マスクをして、白衣を着て、機械を操作している。


「僕たちのご飯と焼き魚、お味噌汁、小松菜の炒め物、あと、療養食の猫の缶詰と、療養食のカリカリと、普通のカリカリを作ってたんです」

「カリカリって、缶詰って!あんたそんな事も出来るんすか!?」

缶詰や猫のカリカリを自分で作るなんて聞いたことがない。

「僕、なんでも作るの好きだからやれそうかなと思ってやり出したらハマってしまって。結構楽しいですよ」

「だからと言って好奇心に限度あるでしょ!」

「僕の作るキャットフード、地元でも好評なんですよ。療養用、シニア用、シニア肝臓ケア用、成猫用、子猫用、そして、ダイエット用。注文されてから作るんですよ。寄生虫も全部退治して安心安全♪変なもの入ってないから人間も食べられるし。後でビールでも飲みながら一緒につまみましょう。色々無添加ですから」


 又三はニコニコして言った。サングラスが唖然としている。すると、


「ぷっ。あははははは!!」


 見ると、サングラスの後ろに居たユミリンゴが、急に腹を抱えて笑い出した。笑いすぎて泣いている。


「もう……なんでこんな変な奴好きになったのかしら?おかしくって……いっつもこうよ」


 ユミリンゴの突然の告白に、又三は目が点になり、固まっている。ユミリンゴはそんな又三を軽くジロリとし、


「毎回、こっちが真面目に拗ねたり怒ったりしてられないんだもの。変猫又!元奥さんのストーカーだしさ!はー馬鹿馬鹿しい!!」


 そう言うと、サングラスの首を腕で締め上げた。


「今夜は飲むか!」

「えー?明日早くに妖怪MUSIC STATION収録ありますよ!」

「急な病気だとか言っておけばいいわよ!」

「そんなぁ!ヤモリさんに絶対バレますって!」


 そんなワイワイしている猫又達の様子を、後ろからスギが黙って見ていた。

 家に入り、カスミの様子を見る。

 カスミはあれからずっとスヤスヤ寝ている。こんなに安らかに寝ているカスミを見るのはどれくらいぶりだろう。最近はずっと苦しんでいるカスミしか見ていなかった。

 食欲も無くなり、せっかく取ってきた食糧を食べても戻してしまうカスミに苛立ちさえ覚えてしまっていた。少し事態が遅ければ、カスミを守る事も、又三に会わせる事も叶わなかった。

 スギは、自分の無力さが情けなく、辛かった。


「ごめんね、カスミ……」


 スギは目に涙をため、これを呟くのが今は精一杯だった。

 そんな事を考えながらカスミが助かったという安心感と、自分のこれからの役割に対する脱力感からか、スギは深い眠りに落ちていた。

 隣の猫又亭では、猫又の3人がワイワイ食事をする声が夜中まで聞こえていた……。


 どれくらい寝ただろうか。スギは朝の光を感じて目を覚ました。

 あれからずっと眠ってしまっていたのだ。身体が重たい。ずっとずっと緊張していた期間が長かったせいだろう。久しぶりに安心して眠り、身体中が痛くて動かなくなっていた。

 見ると、猫ベッドにカスミの姿がない。


「あれ?カスミ!?」


 痛い身体で飛び起きた。すると、隣の部屋を繋ぐ戸を開ける音がした。

 カスミと又三だった。

 カスミは又三に抱っこされて、トイレに行っていた。筋力が落ちていて、歩けないカスミを抱っこして連れて行っていた。又三は、以前に猫又2人がこの家に置いてくれていた猫トイレを綺麗にして、隣の部屋に置いてくれていたのだった。


「カスミ!」


 スギは駆け寄り、久しぶりに見る生きた表情をしたカスミに思わず涙がでた。カスミも嬉しそうにスギの顔を舐めた。

 カスミの猫ベッドは綺麗になっていて、中の布団も又三達が綺麗にしてくれていた。よく見ると、スギの寝ていた猫ベッドも布団が綺麗になっている。スギの事も、眠っている間に掃除をした猫ベッドに猫又達が移してくれていたらしい。


「余計なお世話かもしれないけど、ここまでさせてもらったよ。君もカスミの為にも清潔な方がいいでしょ?」


又三何から何まで世話をしてくれて、自分達を助けてくれた又三。スギは、命を助けるってこういう事なんだと感じた。


それから……

 又三が用意してくれた猫缶とカリカリをカスミとスギの2匹は仲良く食べた。食べたことのない味だったが、素朴で美味しいご飯だった。食べながらスギは一つ気になっていた。

 又三はここに来てからずっと彼女の事を『カスミ』と呼んでいる。昔、夫婦だったならば当時呼んでいた名前があるはず。僕達に気を使ってそう呼んでいるんだろうか、と思った。

 昔の名前を呼びたいであろう又三の気持ちを考えると、スギは胸がキュゥッとなった。又三の治療が劇的に効いたらしく、カスミも久しぶりにしっかりご飯を食べている。スギは、又三のカスミに対する眼差しがすごく優しかったのが印象深かった。


 それから又三は、猫の安全な食べ物についてスギに優しく教えてくれた。

 生の生き物には魚にも寄生虫がいて、弱ったカスミにはこういった食糧は酷だった事を告げた。急に人間に捨てられ、外での生活になり、それなら昔のように生でも生き物を狩って食べればいいじゃないとスギはシンプルに考えていた。昔の感覚でいたスギにはそれが身体によくない事だとは信じられない事だった。

 食べなければ死んでしまう。だからひたすら食べ物をとってくれば何とかなると思っていた。けれど、火を通さないこれらの食糧は、キャットフードに馴染んでいた自分達の身体を、知らない間に蝕んでいた。

 それを聞いたスギは、驚くと同時に自分はなんて事をしてしまっていたんだろうと悔やんだ。そんなスギの気持ちを察したのか、又三が言った。


「まあ、普通は知らないし分からないよ。気付けよってのが無理だ。いくら猫又の記憶があったにしても、昔の知識じゃ今と全然違う。身体が猫ならばやれる事は限られる。野良猫がキャットフードを手に入れるなんて難しいよ。君はこの状況でよく頑張ったと思う。君は、カスミや自分に出来る事を精一杯した。問題が起きたらちゃんと助けを求めて、素直に受けて、僕が間に合った。それで良かったんだよ」


 又三の優しい言葉に、スギは今までの苦労が報われた気がした。そして、涙をこぼした。

 

 少しして落ち着くと、スギは最近の自分のこれまでの経緯と自分の気持を打ち明けた。


 1年前に猫又の2人に出会って、色々援助をしてもらえた事。2人は度々通ってきてくれていた事。それでもカスミは日々弱っていく。自分が助けてあげられていないのはわかっていた。先の見えない不安しか無かった。そんな矢先に、カスミの様子がさらに悪化した。息は荒いのに弱々しく、水も飲めなくなった。そんな時、猫又2人が再び訪れた。スギはなりふり構わず、2人に助けを求めたのだった。そうして、又三が現れた。


「本当、不思議な縁ですよねぇ……」


 いつの間にか部屋にはサングラスが腕を組みながら独り言の様に呟き、うなづいている。横にはユミリンゴも居る。


「あれ?お2人今日の収録は?」

サ「ずる休みー」

ゆ「ずる休みー」

2人が同時に答えた。


「ヤモリさんには絶対ばれますよ。僕、知りませんからね」

又三は呆れた様に言った。


 スギはそんな猫又達を見て笑った。

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