第16話 玉手箱(後編)

 晴れた日、木陰に光が差し込んでいる。静かな山の中だ。そんな中、この風景に相応しくないお店が立っている。

 又三のお店だ。

 お店の側には、ボロボロの家がある。スギとカスミが住む家だ。

 あれからしばらくして、又三はまだここに居た。ここに来て1カ月が過ぎようとしていた。


 そんな所、ある日1人の人間がゆっくりお店に近づいて来た。初老の男性だろうか。店の中を覗きこんで、誰も居ないのを確認すると、お店を離れた。どうやら猫又亭が見える人間らしい。又三の店は普通の人間には見えない。見える人間はごく稀だ。

 その人は誰かを待つ様に、少し離れた木陰で腰を下ろした。

 

 さて、場面が変わり、ここはいつぞやの川だ。川には猫又がいた。


 ご存知、又三である。


 又三は腰が沈むくらいの川の中に、仁王立ちで立っている。目を閉じ、意識を集中している様だ。


キラリン!


 つぶらなはずの目をガッと開け、狙いを定め川中に渾身の一撃!!


 バッシャァァ!!


 豪快に水しぶきが上がる。


 熊に叩き出されるかの如く、大ぶりな魚達が跳ね上がった。

 

 川の少し離れた木陰では、足を震わせガクガクして木に捕まり、ようやく立っているスギの姿と、川の岸に座り又三の狩姿を眺めながら、時々川中を覗きこんで魚を見ているカスミの姿がある。


 あれから更に数日が経ち、カスミは川に来れるくらいに回復した様だ。スギは安定の水トラウマ。又三は今日の収穫ももちろん大量♪

 山道を帰る又三達。又三が背負っているカゴには大きな魚が入っている。あれから又三はこの山に留まり、スギとカスミの世話を続けていた。

 ユミリンゴは売れっ子ミュージシャンなので忙しく、それでも、最近マネージャーに昇格したサングラスと共に時間を見つけてはスギとカスミの様子を見に来てくれる。……のは口実で、やっぱり又三に会いたい気持ちがまだまだある様だ。


 このところ、又三は川で自分達に必要な分だけの魚を取って持ち帰り、スギとカスミの為の猫缶やカリカリを作り、自分のご飯も作り、皆と食べる。又三にとってカスミと居られる事は、自身に再び訪れた夢にまで見たとても幸せな時間だった。

 今日も全員の食糧の調達の為、いつものように川へ行き、帰る途中だった。又三達がスギ達の家に入ろうとした時、声をかけられた。


「おい!おーい!そこのお前!」


と声をかけられた。

 見ると、近くから小走りで寄ってくる人間が居る。カスミとスギは身構えて逃げようとした。猫は何でもびっくりすると、とりあえず逃げようとする。防衛本能だ。又三は微動だにせず、その呼び止めて走ってくる人間を様子を見つつ待っている。


「はぁ、はぁ……、おい、お前、猫又だろう?又…何とかだろう?俺のことわかるか?覚えているか?」

 

 又三の事を知っている様だ。

 又三は少し考えて、何かに気づいたようにモフモフした手をポン♪とした。


「児嶋さん!」

「山田だよ!」


その人間は即座に突っ込んだ。


 読者の皆様は覚えていらっしゃるだろうか。少し前にお話しした「山田の話」の猫又亭に入った泥棒だ。いや、泥棒をしようとしたら失敗して、又三に絵画を買わせられた山田だ。

 

「お前、猫又ぁ!何でこんな所にいるんだよー。いやー、会いたかった!あれからお前さんのお陰で色々助かってなぁ。礼が言いたくても、店がどこにあるのかわからねぇ。店があった同じ場所に行っても更地だ。妖怪だから仕方ねぇと諦めていたんだが、つい今朝ここを通りかかったら店がこんな所にあんじゃんか!こんな変な店いくつもねぇだろ?絶対お前に会えると思って、ここで待ってたんだ!いやー良かった!」


 山田はようやく会えた又三を見つける事が出来た為か興奮している。身振り手振り大きくして、一気に捲し立てた。


「という事は、あの絵画はちゃんと売れたんだね」

「そうなんだ!あの絵があの後、凄い値段で売れてな、そのおかげで今の俺がある!」

「そうだったんだ。それは良かった。あ、立ち話も何ですから、とりあえずお店に入りましょうか」


山田にそう言って、又三は後ろを振り向いた。


「君たち、家に入って休んでていいですよ。後でご飯持っていきますから」


 又三はそう言って、後ろで構えている猫2匹に家に入るように促した。その声に、猫達は黙って足早に家に入っていった。


「ん?何だ?あの猫達?知り合いか?そういえば、お前も一応猫か、ってなんだ?!その大量の魚!蒲鉾(かまぼこ)でも作るのか?」

「まぁ、話せば長くなるから、それもついでにお話ししますよ。どうぞ、中へ」


 山田に店の奥に上がってもらい、いつかの場面のように並んで座る。今日はまだまだやる事があるのと早い時間帯なので、今回はビールではなくて自慢の珈琲を振る舞う又三。


「さ、どうぞ」

「おう、今回は珈琲か。ありがとういただくよ」


 山田は、入れてもらった珈琲を一口飲み、何かを感じたようにコーヒーカップの中を少しの間見つめた。なんだか嬉しそうな顔だ。少し置いて、山田は「おお、そうだ」と、早速話を始めた。


「俺は今、生まれ育ったこの近くで暮らしている。ここの山周辺が俺の故郷なんだ。あれから俺の母親が亡くなってな、それから実家で暮らしている。しかし……あの時、あの絵をお前が持っていたのが今でも不思議でならない。確か、あの時はお前に話してなかったと思うが……あの絵はな、俺が若い時に描いたものなんだ」

「へー、なるほど。そういう事でしたか」


又三が頷きながら珈琲を飲んだ。


「うむ。あれからあの絵を巡って俺の周りでいろんな事があってな。沢山の人と関わる事になって、今の俺は若い時に憧れていた『絵を描く仕事』が出来ている。最近な、ふと、思うんだ。何であの時俺は泥棒しようとしてあの店をわざわざ選んだのかっ?ってな。しょっちゅう考えるんだよ。でも、いくら考えてもわからない。今来てみても思うが、普段の俺でいたら、普通に考えればこんな変な店絶対入らねえよ!」


山田は店中を見渡して笑った。


「でも、あの時に俺がこの店に入らなければ、お前さんに会わなければ、今の俺はなかった。あの絵が沢山の人に認めてもらえてからというもの俺は今、画家として仕事をもらえて、好きな絵を描いて過ごしているんだ。母の最期もゆっくりした時間の中で看取ることができたよ。ありがとうな、又三。」


山田は心からお礼を言った。又三は、ニッコリしてペコっと頷いた。


「きっと、あの絵が山田さんを呼んだんだね。人が作った物は、その人の気持ちが全部宿るもんなんだよ。創作時に思い入れがあればあるほどそれは濃くなる。それに気づかないで忘れていくのは本人だけさ。あの絵があなたを呼んで、あなたはこの店に来たんだ。泥棒やろうとしてよかったじゃない。この店だから前科も付かなかったし、絵も手に入ってお金も入って」

 又三はサラッと良い事を言いつつ、身も蓋もない事を言った。

 山田は顔をくしゃくしゃにしながら、


「ったく、食えねえやつだな!しかし、ちげぇねぇ!わっはっは!」


※泥棒は犯罪です。やってはいけません。


 それから2人は少しの間楽しく話した。又三もここ最近自分に起きた事を山田にサラッと話した。

 2匹の猫に出会った事。200年以上前の猫だった時の話。今やっと奥さんに会えたという事。今、なぜここに居るのかなどを話した。山田は、又三の話に感動したのか、号泣している。

 意外と泣き上戸らしい。


「そうか……大変だったんだなその猫達。しかし……許せない人間はいるもんだ。同じ人間として悲しいし情けないな」


 山田は首を振りながら応えた。又三は黙って珈琲を口にしている。すると、山田が何かを思いついた。


「又三、俺に何かできる事はないか?」

 又三は腕を組み少し考えて、応えた。


「あります」

「なんだ?なんでも言え」

「山田さん、猫を飼えますか?」

「俺か?」

 山田は少し考えて、言った。


「どっちの猫を引き取ればいいんだ?」

「どっちもです」

「いいよ!って、いいのか?お前、奥さんと離れちまうんじゃないのか?」

「猫又は猫を飼ってはいけないんです。猫又のルールとして。」


 実は、猫又は横社会なのだ。身分がない。一人一人が独立しないといけないのだ。

 猫又の何人かが協力して一時的にリーダーを立て、1つの事を達成させたりするのは問題ないのだが、特定の上下関係を作らせないようにルールが有り、猫の時から下僕を育ててしまう輩を防ぐ為の契約なのだ。

 ちなみに、やよい婆さんがやっていたようなワークショップとして金銭の授受が発生する料理教室などをする事は問題無い。だが、グレーゾーンを作らせない為に、弟子は作ってはいけないというような細かい事まで決められているのだった。

 ちなみにこれは余談だが、猫又同士の結婚は認められている。性別を超えて。


「今の僕は、保護猫を手助けしているという名目でやっています。でも、期間が決められていて、後少しで僕もここから離れなければならないんです」

「はぁん、妖怪も色々あるんだな。俺は構わないぞ。でも、俺でいいのか?」

「信用できますから」

「信用か……。昔からデエッ嫌れぇな言葉だが、お前が言うと違く聞こえるな。よし、引き受けたよ」

「家は猫飼っていいの?」

「持ち家だから心配ないぞ」

「猫飼いの経験は?」

「ある」

「なら大丈夫だね」


 里親交渉はあっさりと成立した。


 こうしてまさかの、山田がカスミとスギの次の里親になってくれたのだ。こんな事ってあるんだね。と、作者談は置いておいて。


 後日、引き取る準備が出来たら猫達をもらいに来ると山田は約束し、その日は帰っていった。

そして、この今回の山田との一件で又三に一つの案が浮かんだ。


 その日の夜になり、空から素敵な調べが聞こえてくる。


ピューローヒュロヒュロヒュロー♪

ポン♪ポン♪シャララン♪

バララン♪シャララン♪


その調べと共に大きな虹色の雲が降りてきた。

 伎芸天こと、デラックス様だ


「ヤッホー又三ちゃん♡どお?山の中だから今回はしっとりとした色調にしてみたのよぉ」


 ノリは相変わらずだ。もっちりした手をひらひらさせている。豊満なボディを揺らしながらデラックス様が雲から降り立つ。


「珍しいじゃなーい?あなたから私に会いたいだなんて♪」


デラックス様は降りてくるなり又三の顔をこねくり回す。今回は又三が伎芸天を呼びつけたのだった。


「地獄の社会見学以来ね、元気だった?って、何で今回こんな山の中にいる訳?」


その時、奥の家の前に居る2匹の猫達にデラックス様が気付いた。猫の1匹がお辞儀をする。


「あら、あなた確か……」


伎芸天はスギを知っている様だ。


 さて、今回は人数が多いので猫達が暮らす家の座敷に上がり、料理を並べ、デラックス様を上座にいらしていただく。又三とスギは今回の件を全てデラックス様に打ち明けた。 


「そう……頑張ったじゃない。あなたも今回の転生で、周りへ対する心を通わせた生き方を学べたのね」


 デラックス様はため息混じりにスギを感嘆かんたんした。


「僕はこれまで、今までやって来た事をずっと当たり前だと思っていました。いや、そう思うようにしていたんです、きっと。猫又の頃と時代が変わっても、何度も転生しても、心のどこかで学ぶ事を怠っていたんです。だからその昔、その隙を突かれて悪魔妖怪に騙されてしまった。自分の事ばかり考えていたんです。今回も、又三さんと出会わなければ、カスミを助ける事さえ出来ませんでした。今度猫又になれたら、又三さんの様に僕はなりたい。猫又という妖怪がなぜ『神様契約妖怪』なのか、今回で本当にわかったような気がします」


 スギは一言一言、心を込めてデラックス様に話した。又三もカスミも黙って聞いている。

 少しの間沈黙が流れ、デラックス様が膝をポンと叩きそれを破った。


「あい!わかった!今回の転生で、あんたを猫又に戻してあげるわ」


又三とスギの顔がパァっとする。


「ただし、カスミが猫又になれるまでの残りの2年間を最後までちゃんと今のままの猫として付き合う事。猫又は猫を飼えないからね。って、あれ?そういえば、カスミはそれでいいのかしら?あんた達、カスミの気持ちは確認したの?猫又になりたいのか?って」


 全員カスミに注目した。

 カスミは黙って頷いている。


「あ、そう?ならいいんだけど。あとね、あんたは今は覚えてないでしょうけど、このあんたの元旦那、世紀を超えたストーカーって噂されてるわよ。その噂流してるの、あんた達が昔育てた息子のノブオだけど。あはは!それも大丈夫?猫又になった途端、こいつに求婚されるわよ?」


 又三は微妙な顔をしている。


そういえば、お互いに昔の様な良さそうな雰囲気だった事もあり、今世でカスミの気持ちの確認を忘れていたのだった。

 でも、心配は無用だったようだ。カスミはまた頷いた。そして、ニャーと答えた。

 その声に、又三はハッと顔が直り、目がウルウルしている。


「又三ちゃんよかったわねぇ♡これで、世紀の愛が実ったって今度は言って貰えるわよぉ」


又三は黙って涙を浮かべ、コクコク頷いている。


「あれ?っていうか、スギはどーなのよ?あんた達、三角関係じゃないでしょうね。やめてよ!猫又になる前にゴチャゴチャするの」


 今度はスギが応えた。


「うふふ、僕は大丈夫ですよ。カスミの事は、兄弟の様な気持ちでしたから。全く問題ありません。むしろ、嬉しいですよ。僕の大好きな2人が一緒に幸せになるなんて。こんなに嬉しい事はありません」


 デラックス様はこのスギの言葉に何かを感じたような顔つきをしたが、すぐに切り替えたようで、嬉しそうに手を叩いて、この者達を祝福した。


こうして……

 相手は一緒だが、又三の2度目の恋も何とか無事に身を結んだ瞬間だった。

 

 後日、山田が2匹の猫を受け取りにきた。スギとカスミが住んでいた家の横には、赤と黒のコルベットが並んでいる。サングラスとユミリンゴもスギとカスミに別れを告げる為、見送りに来てくれていたのだ。

 山田は、綺麗な大きい猫用キャリーバッグを用意して来ていた。2匹はそれに入り、又三から貰った大量の猫缶とカリカリと猫砂と共に車に乗せられた。

 山田、スギ、カスミは猫又達に別れを告げ、去っていった。又三は車が見えなくなるまで手を振って見送った。


こうして、大変な思いをした猫達は優しい(?)里親の元へ行く事が出来た。


猫又達はそれぞれ車に乗り、赤と黒のコルベットは又三が住む街へ去っていった。

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