第13話 星の追憶

 カタタンガッタン。カタタンゴットン。

 今回の又三は電車に乗っている。

ローカル電車だろうか。向かい合わせのボックス席では又三より年老いた猫又が座っている。2人は自分達で作ったであろうか、それぞれのお弁当を食べて楽しそうにしている様子だ。


「又三さん、相変わらず卵焼きの巻き方上手ねぇ。もう、私も敵わないわ。私のところに貴方が料理を習いにいらしてた頃が懐かしいわね」

「ありがとうございます。でも、やよい婆ちゃんのご指導はわかりやすいから、こんなのすぐ出来ちゃいますよ」

「いえいえ、出来ない子は多いわよ。つい先日も、初めて教室に来た女の子の猫又に教えてたんだけど、まぁ、見事な出来栄えで……オホホホ」


 『やよい婆ちゃん』と又三に呼ばれた猫又は思い出し笑いをしている。

 やよい婆ちゃんは又三よりも遥か昔から猫又をしている。噂では恐竜の時代からいたらしい。天然ボケと本気のボケとわからない事もあるので言っていることを全て鵜呑みには出来ないが、又三が猫又になる契約時に伎芸天の手伝いをした1人で、今では伝説レジェンド扱いされている猫又らしく、又三とは付き合いがかなり長い。


「最近はまたお料理教室の方も賑やかになってねぇ、若くて可愛らしいお嬢さんばかりじゃなくって、若い方やナイスミドルな殿方も来てくれる様になったのよ。色や雰囲気は違えど、まるで明治の半ば頃に戻ったみたいな活気があるわよぉ。いつもワイワイ楽しくって、私も若返ったような気分になるわぁ」

「そうなんですね。僕もたまにはやよい婆ちゃんの教室行こうかな」

「そうよぉ。又三さん来てくれれば講師が増えるようなもんだし、若いお嬢さん方も人気者が来たらそれは喜ぶわぁ」

「人気者なんて、僕は完全に裏方ですよ」

「何を言ってるの。又三さんが開催したカレー祭りや、音楽のお祭りの話し聞いたわよ。とても好評だったらしいじゃない。今、猫又界では貴方のことを知らない猫又は居ないわよ。どのお若い方も、熟年な方も、みんな最近は貴方の話で私の教室は持ちきりでねぇ、流行りをあまり良く知らない私が分かるくらいなんですから、大したものですよ」


又三は頭を掻きながら照れた。


「それと……最近どうなの?」

「どうなの?……とは?」

「うふふ、とぼけないでくださいよ。貴方くらいの人気があって、お若い方ならそろそろ良いご縁もあってもいいんじゃない?」

「うーん……」

「それとも……噂通り、今でもあの方を?」

やよい婆ちゃんの問いかけに、又三はなんとも言えない表情で外の風景に目線を映した。



 ここで少し又三の過去の話をしよう。

 江戸時代の中期頃。徳川綱吉公が亡くなって少ししたあたりだったろうか。江戸幕府の政治が安定していた頃である。

 又三は妖怪になる前、普通の野良猫として、とある武家屋敷の周辺の小さな山に住み着いていた。当時、その場所は今住んでいる場所よりもはるか北の方で、冬になると豪雪地帯だった。又三の姿はというと、今と少し違い、普通のみんなが知ってるようなごく一般的なブチに近いミケ猫だ。

 そろそろ皆さんもお気付きの通り、妖怪の猫又と、普通の猫の見た目は全然違う。

 以前、又三は自分の姿は猫の時から変わっていないと言っていたが、それは、本人や猫又になった者たちだけが気付いて居ないだけだ。

 例えていうと、ワキガの人がワキガになってしまった自分の臭いには気付かないで生活をしているのと似ていて、自分ではわからないものなのだ。

 例えが下手か!と言う声もあるだろうが、まあ、まあ、あまり突っ込まずそういうものだと受け取ってほしい。

 又三が知っている限り、日本の本土で昔存在していた猫は、殆どが三毛猫やトラ柄の猫だった。その頃、又三はオスのまあ平凡な猫として生きて3歳くらいだった。

 又三はその頃から要領は良く、少し変わった猫だった。自分が得意な事、不得意な事を良く知って理解もしていた。無理なことはせず、自分に出来ることを最大限に努力する。狩りは自分のお腹が膨れる程度の物しか取らない。喧嘩は強くはないし、痛いのは好きじゃないので、必要なければ極力しない方向で事を勧める。当時の平均的な猫の価値観と比べると、又三は行動全てが他のオス猫と逆の方向へいっている感じだ。はっきり言って、周りの猫からは「腰抜け」「臆病」「卑怯者」と呼ばれてしまう事もあった。それでも又三は気にしなかった。自分が腰向けでも臆病でも卑怯でもないと知っていたし、そう思っていたからだ。なんなら、又三が取った魚を横取りしていく奴の方がよっぽど卑怯で見苦しいと思っていた。他の猫にどう思われようと、美味しい魚を食べたり、野原に寝転んだり、好きな鳥を眺めていたりする方が、周りに虚勢を張るよりも自分にとって大切だと思っていた。


 まあ、見方を変えれば偏屈な奴でもあったかもしれない。ま、そんな感じだもんで、好きな猫や友猫などもそんなに居なかった。

 又三は恋愛感も独特だった。オス猫の3歳は人間でいうと20代くらいだ。若い猫のオスは、見境なくやりたい盛りで、嫁さんにする相手はぶっちゃけ乗っかれれば誰でもよかったりする。スワッピングなんぞしょっちゅうで、節操もない。ボロクソに聞こえるが、猫は実際そんなもんだ。

 又三はというと、当時腕っぷしはそんなに強くなかった。現在は合気道師範代だが、当時は普通の猫だ。それもあってか、オスの獣によくありがちな見栄を張る為な無駄な喧嘩などしたくもなく、痛い思いをしてまでメス猫を取り合う意味を見出せて居なかった。女の子に興味が無いわけではないが、周りに対してはくをつけ目立ちたいなどとは、全く思えなかった。

 と、ここまでは又三自身が感じた自分への見解だが、まあ客観的に聞けば、弱い者によくありがちな言い訳に聞こえなくもない。まあ、ここは黙って又三の意見に寄っておこう。


 さて、そんな風に過ごしていた又三だったが、ある事をきっかけに猫生ねこせいが一変する。

 

 又三が住み着いていた近くにはとあるお屋敷があった。当時、その周辺では1番大きなお武家様ぶけさまのお屋敷だった。武家屋敷には女の子の猫が居た。


 女の子の名前は「おすみ」。


 ここのお屋敷のお武家様は猫が好きで、何匹も飼っていたが、中でもおすみはお殿様の1番のお気に入りで飼われている三毛猫だった。物静かで、いつもくしで体をとかされ、毛並みも綺麗でお嬢様の気品漂う猫だった。普通、お武家屋敷で飼われる猫は米倉などでネズミの番をしている者が多かったが、彼女は完全に御座敷猫おざしきねこ

 おすみは周りに住むオス猫 どもの憧れの的でもあった。屋敷周りに生息する猫でおすみの事を知らない者は居ないほど、今で言うアイドル的な存在だった。

 というものの、おすみのご主人のお武家様は、よくおすみを連れてかごに乗り、城下町を練り歩く事が多くあった。

 普通の御座敷猫なら外に連れ歩く事など殆ど無い。だもんで、彼女を見る機会は周辺の野良猫にもあり、彼女の美貌びぼうにハートを射止められてしまうやから猫が沢山いて、噂の的だったのである。

 ある時、又三が川で旨そうな魚を探していると、向こう岸にお武家様ご一行がピクニックをしていた。

 そこで又三は初めて、お武家様が連れていたおすみを見かけた。おすみと目が合った。

 その瞬間、他のオス猫同様にあっという間に恋に落ちた。そのまま川にも落ちた。


 それからである。又三はお武家屋敷の周りを彷徨うろつくようになった。まあ、あれだけ「女なんて別に〜」なんて態度だった又三のなんとも呆気ない単純なことよ。なんて、単純ではあるが生き物なんてビビビっとくれば、猫も人も聖子ちゃんもそんなものかもしれない。

 又三にとって、おすみに恋をしたのは一大事だった。しかし、おすみの側から見れば又三は他のオスとなんら変わらず、きっと当時は又三の存在すら覚えて居なかっただろう。


 さて、おすみに恋したオス猫達は、カエルや蛇、鳩や時にはカラス、ウサギなどを捕まえては彼女に献上しに行く者が少なくなかった。しかし、そこは立派なお武家屋敷。汚い野良猫が持ってきた、もっと汚い動物の死骸など、オス猫共々彼女に渡る前に片付けられてしまう。

もしかしたら、片付けられた後、獲物だけは米倉の猫達が御相伴(ごしょうばん》に預かっていたのかもしれないが。

 そんな感じで、おすみに恋するオス猫達は厳しく追い払われてしまうのがここの日常だった。又三はそんな血気盛んなだけのオス猫達の無駄な争いには加わらない。それが終わるのを外野で待つ。喧嘩が終わり戦いに敗れたオス猫達が退散すると、勝者のオス猫に気付かれないようにおすみが見える所を探し、彼女を眺めてしばらく過ごし、おすみがお勤めで姿が見えなくなると帰る。と言う日々を過ごしていた。


 そんな中、お武家様の屋敷で事件がおきた。


 当時は梅雨で連日雨が続いていた。

 ある日、お屋敷の女中がお殿様の大事な壺を割ってしまったのだ。昔、将軍家から賜ったとても大切な物だった。女中はご主人に手打ちにされてしまうのを恐れ、猫のせいにしたのだ。その時、たまたまおすみが近くに居た為、その濡れ衣はおすみが被る事になってしまった。

 冷静に少し考えれば、おすみのような物静かで大人しい猫がそんなことをしないくらいわかりそうなものだが、あまりの貴重な物を失った為かご主人は気が動転していた。自身が将軍家から罰せられるなどともしかしたら考えていたのかもしれない。

 主人は怒り、最悪の事態を防げなかった女中を投獄し、おすみを刀で切りつけた。おすみは後ろ足から血を流し、命からがら身一つでお屋敷を逃げ出したのだった。


 又三はその頃、梅雨の季節でなかなか外に出られず、おすみの所に行ける日も少なくなっていた。雨が上がるタイミングを毎日見計らっては短時間で狩りをすべく、川へ魚を取りに行っては帰る日々を過ごしていた。

 その日は久しぶりに大物を仕留め、ホクホクで自分のねぐらに戻る帰り道だった。すると、山道に倒れている猫が居た。怪我をしているようだ。生きているのか死んでいるのか判らない。泥だらけで見るからに無残な姿だ。血を流している場所は後ろ足で、刃物のような物で切られていて片方が無くなっているようだった。

 ま、いいか。

 無かった事のように猫をけて通り、自分のねぐらに帰った。冷たい様だが、山では猫が死んでいるのなんて日常茶飯事。猫の医者などもちろん居ない。葬式や保健所もない。だもんで、普段から又三も猫が道で倒れてようが死んで居ようがいちいち反応などしない。野生の猫は皆、毎日死と隣合わせだ。自分の責任で生き、死んでいく。それが当時の当たり前の生き方だった。


 それでも塒に着いた又三の頭の中で何か、引っかかるものがあった。少し座っていた又三は何かに気付き、急いでさっきの猫を再度見に行く。


やっぱり!!


又三はものすごく驚いた。


だって、こんな所にいる筈がない!


 泥だらけになり、血を流し、様変わりした様子で山道におすみが倒れているなんて誰が思うでしょうか。屋敷に行ける時はほぼ毎日彼女を見に行っていて、見間違えるはずなどないと思っていた。なのに、何故すぐに気付かなかったのか!又三は自分を責めた。がしかし、そんな場合では無い。一刻を争う。「今はとにかく助けなくては!」と、すぐに気持ちを切り替えた。


 息はまだある。が、彼女の顔を舐めても全く反応がない。気絶しているようだ。幸い、雨が降り出して居たので、傷口は洗えそうだと思い、そのまま自分の塒に彼女を引っ張っていった。

 塒(ねぐら)が近くで良かったと又三は思った。又三の塒は大きな頑丈な木の根のすぐ下を掘った洞穴ほらあなだ。だいぶ前に場所を気に入り、一日かけて掘って作った塒だった。地震が来ても全然へっちゃらな自慢の我が家。

 塒には、ちょっと前に拾ってきた少し割れた器がある。又三は普段、これを自分の水飲み用の器に使っていた。器に雨の水を貯め、何度か彼女の足にかける。

顔を舐め、身体を舐め、傷口を舐め、草を食い、吐き出す。そんな事を一晩中続けた。

 朝が明ける頃、又三は疲れ果てて気絶する様に彼女にぴったりと寄り添い寝た。彼女の寝息が穏やかになっていたのを又三は気付く事もなくしばらくの間寝こけた。


 又三はハッと飛び起きた。おすみの様子が気になる。

 隣には看病している間と変わらないおすみの姿があった。あれからどのくらい経ったのか。足の血は止まった様だ。冷たくなっていた身体は暖かくなっている。スースーと寝息が聞こえる。又三はホッとして、ヨロヨロと起き上がり、器に貯まっている水を飲んだ。

 雨はまだ降っている。腹も減っていた。塒の奥に押し込んでいた魚を食べる。食べ終わると、又三はまた気絶するように倒れ込み、今度はおすみの体温を感じながら眠った。


しばらくするとおすみは、光が差し込んで居ることに気づき、目を覚ました。身体中が酷く痛む。自分の状況がわからない。自分が生きているのかさえわからない。お屋敷で切りつけられた事までははっきり覚えている。パニックのまま必死で逃げ、どこをどう来たのか全く覚えて居なかった。目眩がする。とても起き上がれないが、喉が酷く乾いていた。水が欲しい。外の雨の音はわかる。

 おすみは全身に力を込め何度か立ち上がろうとしていた。おすみが起きた感触が又三を起こした。又三は寝起きながらもおすみが気がついた事が解り、とても安堵した。彼女が水を飲みたがっている事に気付く。又三は雨の水が貯まった器をおすみの所まで頭で押し、持ってきた。何とか起き上がり、水を飲む。飲み終わると安堵したのか、おすみはまた眠ってしまった。

 又三はまたおすみが起きた時に水が飲める方が良いと思い、お水を貯める為雨の中に器を戻し、おすみの横で再び眠った。


 数日が経ち、おすみは塒から出られる様にまでになっていた。

梅雨が明け、晴れの日が増えていた。又三はいつものように、川へ魚を取りに行く。魚を取ってきては塒に持ち帰り、おすみと一緒に食べた。


 更に数日が経った。

 おすみは更に回復し、又三と一緒に川へ行ける様にまでになった。しかし、おすみに狩りはできない。狩りをした事が殆ど無いのと、後ろの足を片方無くしてはとてもでは無いが難しかった。

 又三は美味しい魚を取るのがとても上手かった。お武家屋敷にいた時も、おすみは美味しい魚ばかりを食していたが、又三の取ってくる魚はその時食べていた物よりももっと美味しかった。おすみの分の魚もいとも簡単に取り、食事を用意してくれる又三をおすみはとても尊敬した。又三の事をとても好きだと思った。

 又三は、大好きだったおすみが怖い想いをして傷つき、足を片方無くしてしまったのはとても残念だった。だが、夢にまで見た彼女とこうして居られるのが又三にとって今までになく充実した毎日だった。

 2匹はそれからいつも一緒に過ごした。秋が来て木の実を貯め、冬にはウサギや鳥を狩って食べ、雪の夜はくっついて眠り寒さを凌いだ。春になると花が咲き、暖かい花畑で2匹は連れ添って散歩をした。毎年2匹で仲良く過ごし、幸せな日々だった。


 又三夫婦には子供ができなかった。原因はわからない。それでも又三達は一緒にいられればそれで良いと思っていた。


 ある時、いつものように2匹が散歩をしていると、茶トラの子猫が山道で1匹で鳴いていた。どうやら親と逸れた様だった。子猫は又三達についてきた。おすみが子猫のそばへ行き、子猫の事を舐めた。子猫はそのまま又三達の家族になった。


 いつの間にか、ずっと1匹だった又三に家族が出来た。


 月日は更に流れ、おすみの事件から5年の月日が経っていた。子供も育って2人の元を離れ、又三は8歳おすみは6歳になっていた。当時からすれば、2匹共に良い歳になっていた。


 そんな時、又三はとある噂を耳にした。


 10年以上も生きた猫は高貴な山に行くと神様に呼ばれ、猫又という妖怪になれる。

 猫又になると、輪廻転生りんねてんしょうというものは必要が無くなり、不老不死になる。猫又に成りたくば、良き事をし、長生きをせよ。


 その頃、又三は順風満帆に見えていたが、一つ心配があった。おすみの、切られてしまった方の足の古傷が最近になり痛む事が増えた。雨の日や寒い日は特に痛みが増し、出歩く事すらままならなくなった。おすみと出会った頃は彼女は1歳だった。又三と出会い、年月が経った今、あの頃の傷が歳を取るごとに悪さを働く様になったのだった。

 もし、猫又のあの噂が本当ならば、おすみは後4年頑張って生き延びれば不老不死になれる。

おすみと一緒に猫又になれば、ずっとこれからも一緒に暮らしていける。


 又三は、毎日祈りながら魚を撮り続け、おすみと一緒に食べた。そして、毎日おすみの古傷の場所を舐めて痛みが和らぐように努めた。


しかし……

そんな又三の気持ちとは反するようにおすみの身体は日に日に弱くなっていった。

 全く歩けなくなり、筋肉は衰え、食欲も無くなり、痩せ細っていった。又三は時には魚を自分で噛み砕き口移しでおすみに与えた。


半年後、おすみは又三の横で静かに息を引き取った。



 又三は泣いた。

 何日も何日もおすみの横で泣いた。


 又三が泣いたのは生まれてこれが初めてだった。


 泣いて泣いて、どのくらいの時間が経っただろうか。


 又三はふと立ち上がった。


 ねぐらにおすみを残し川に行き、旨そうな大きな魚を取った。


 塒に持ち帰り、それをおすみの横に置いた。


 塒に土を被せ、埋葬した。


 おすみがいつ起きても魚を食べられるように。


 又三はそう考えたのかもしれない。



 星が美しく瞬くその夜、又三はそこを後にした。

 その年の夏の最後の日だった。


 

 又三はそれから住む場所を変えた。少しだけ暖かい土地に移り住んだ。年老いた自分が生き延びる為だった。おすみと拾って育てた子も旅立ち、おすみが居なくなってしまった今、又三はとにかく生き延び、猫又になる事だけを考えていた。又三が移り住んだ場所は、神が住むと呼ばれる山が沢山近くにあり、ここを第二の住処に選んだ理由の一つでもあった。


 この世は輪廻転生というものがあるらしい。ならば、自分が生き続けていればおすみの生まれ変わりにきっと出会えるはず。


 又三は、毎日出来るだけ良質な魚を食べた。熊に襲われないように、マムシに噛まれないように、病気にならないように、奥さんの姿を忘れないように。おなかをすかせた子猫がいれば、魚を与えて自立するまで育てた。

 そんなことをしながらひたすら生き、そして、猫として10年目を迎えた。


「又三さん、起きて、着いたわよ」

 やよい婆ちゃんの声がする。又三はうたた寝をしていた様だった。着いた先は、長閑のどかなどこまでも続く田んぼの風景。赤トンボが飛んでいた。

「さ、行きましょうか」

「はい」

 又三とやよい婆ちゃんは田園を歩き出した。かなり歩いた先に小さいお山が見えてきた。さらに少し登った所に、一軒の家が建っていた。

ガラガラガラガラ

戸を開け、やよい婆ちゃんが声を上げる。

「ノブちゃーん!いるかしらー?」

すると中から声がした。

「はーい。今行きますねー」

少しして、1人の猫又が出てきた。茶トラの猫又だ。

「お久しぶりです!やよい婆ちゃん!お父さん!」

 この猫又はノブオ。又三とおすみがあの時に引き取って育てた子供だ。彼はあれから父に続き、猫又になったのだった。

「ノブちゃん立派になったわねぇ!また大きくなったんじゃない?」

「やだなぁ。僕はもう若いとはいえ200歳以上の大人ですよ。2人とも長旅疲れたでしょう。お茶用意しますね」

 ノブオは1人でこの山の一軒家に住んでいる。家の脇には、椎茸しいたけや、芋や、にんじん、猫草などが作られていた。

 3人は仲良く談笑した後、外に出て小さな山を登っていった。そして、1本の大木の前に着いた。200年以上立っているであろうその木は、御神木の様になんとも言えない気を放っていた。又三、やよい婆、ノブオの3人はその根本に手を合わせた。

「お母さん。お父さんとやよい婆ちゃんが見えましたよ」

ノブオがいう。

 ここはその昔、又三とおすみが最後に過ごしたねぐらの場所だった。やよい婆ちゃんが木の根を触り、話しかける。

「おすみさん、又三さんはまだ、あなたの転生の姿を探しているわよ。そろそろ出会ってもいいんじゃないかしら?」

「え?お父さんまだ母さんを探してるの?まじかよ。ストーカーばりだなぁ」

 ノブオが呆れた様に言う。こう言う時の子供の言葉は素直で凶器だ。

 やよい婆ちゃんは横を向き、見えない様にしているが、肩を震わせ笑ってしまっているのか口を押さえている。

 又三は黙ってしゃがみ、下を向いて木の根に手を合わせていた。

 その顔は、した唇を突き出し、眉間にシワを寄せ、額に血管が浮き出ているようだった。


 又三はしばらく黙ってそこにいた。

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