第5話

 九人。

 僕が家を出てからすれ違った人の数だ。


 そのうち、あからさまに目を背けた人、五人。思わず叫んでいた人、三人。来た道を戻った人、二人。泣いた子ども、二人。合計が九人を越えているのは、あからさまに目を背けてわっと叫んで逃げて行った人がいるからだ。


 とはいえ、猟友会の人たちが集まってくる様子はなかった。


『どう? 大丈夫でしょ?』

 耳のイヤフォンからミーちゃんの声がする。念のため、携帯を通話しっぱなしにしてイヤフォンマイクで指示を出してくれているのだ。ちなみに携帯はネット上の『お友達』がくれたもので、ミーちゃんはお金は払っていないらしい。


「大丈夫、なのかな?」

『うん。誰もおにいちゃんのこと、クマだなんて思ってないよ』

「そりゃそうだろうけど……でも……」


 自分の姿を見る。

 といっても、実はよく見えない。視界が限られている。

 僕は今LLサイズの和服を着ている。和服は基本的にフリーサイズなので、人間離れした骨格になってしまった今の僕でも着ることができる。

 足は馬の下半身になっていた。上半身は人間で下半身は馬の伝説の生物ケンタウロスみたいな感じだ。ただ、前足部分は僕の太い足でパンパンになっている。

 手はネコのようなにくきゅう手袋だった。こちらはもともとかなり大きなサイズで、爪も含めてピッタリ入った。

 そして頭は、大仏のお面をかぶっている。クマの顎は突き出ているので、鼻や口がかなりきつい。呼吸がハアハアと荒くなっていた。


『クマなんかじゃなくて、どう見てもただの変態だから』

「ある意味クマのほうがいいよ!」

『でも変態ならいきなり射殺されることはないよ?』

「うぅぅぅ、やっぱりミーちゃん、一緒にきてよ」

『あのねお兄ちゃん。そんな格好で幼女と歩いてみなさいよ。猟友会はこなくても、当局が来るわ』

「今の格好だって十分ギリギリだと思うけど」

『そう思うなら、通報される前に早く神社に行くことね。さすがに、職質受けたらアウトだし』


 僕はなるべく早く歩くように努めた。かなり無理な格好のため、走ることはできない。腰を妙にクネクネとさせて、早歩きするのが限界だ。それでも体力の消費は激しくて、息は荒くなるばかり。


「ぎゃあ!」

 前から歩いてきた、パンチパーマのお兄さんが逃げ出した。

「あばばばばば」

 路地から出てきたおじいちゃんとおばあちゃんが同時に泡吹いて倒れた。

「キャン!」

 犬が驚いて電柱に駆け上った。


「ダメだミーちゃん! 目立ちすぎちゃうよ!」

『あっはっはっは!』


 ミーちゃんは電話の向こうでゲラゲラ笑ってる。足をばたつかせてひくついている姿が目に浮かんだ。くそぅ、絶対に楽しんでる。


 と、思わず僕は足を止めた。

 道の向こうに、小学生数人がいるのが見えた。昨日、僕を囲んでいた少年たちだ。

「違う! もっと、グリグリとーー」


 上半身を裸にしたリーダー格の少年が、ほかの少年に自分の腹へ棒状のものを押し付けられている。いや、押し付けている少年の顔は引きつっていて、リーダーが何か言うたびにびくつかせている。

 あれは、リーダーがやらせているのだ。

 僕は腹に押し付けさせているものがわかった。ほうきだった。


「もっと、ソフトに! 違う、それじゃ弱すぎる! 子猫の甘噛みみたいにだな――」

「ねえ、もうやめようよ……こんなのおかしいよ」

「お、おかしくないっての! 訓練だよ訓練! あの女の攻撃に耐えるんだよ! ちゃんと気合入れておぉぉぅ……」


 ツボに入ったのか、リーダーは全身を振るわせる。


「い、今のだ! もっと! もっと!」

「え? で、でも」

「早く! 早くしろよ! あ、おいやめんなよ、マジで! このへそのあたり!」


 何をやってるのかわからなかったが、これはチャンスだ。

 今の僕の姿を見て、驚かせてやろう。

 そう思って、僕は彼らの背後に忍び寄った。


 そのときだ。


「おいお前、何してる!」


 振り返ると、おまわりさんがいた。

 思いっきり不審者を見る目つきで。


「お前、いたいけな少年を半裸にさせて、名にやってるんだ!」

「え? い、いや、僕は違って――」

「みんな違うって言うんだよ! 現行犯だ! 現行犯逮捕だ!」


『お兄ちゃん、逃げて!』

 ミーちゃんの声に後押しされて、僕はその場を逃げ出す。

「あ、こら待て!」


 すぐに追いかけてくる気配がするが、振り返る余裕はない。早く逃げないと!


「ぐお――意外と早――待て!」

 僕は路地に飛び込む。

 だがそこは壁にはさまれただけの通路だった。にごった液が染み出たゴミ袋が詰まれているだけで、この巨体を隠せる場所もない。


 しかし、戻ることも出来ない。


 ――ああ、もう!


 僕は、意を決する。


 すぐに警官が駆けつけてきた。僕に向かって走ってきて――そのまま、僕の前を走り抜けていった。

 ちらりと僕のほうを見下ろしたが、怪訝そうな顔をするだけで無視された。


 僕は奇妙な装束はすべて壁の向こうへ脱ぎ捨て、ゴミの中に転がっていた。薄暗い通路では、不法投棄された巨大ぬいぐるみに見えたのだろう。ゴミをあさっていたクマに見えないよう、なるべく不自然なポーズをしていた。


「うぅ、臭い……」

『だから言ったじゃない。その姿で子どもに不用意に近づいちゃダメだって。は。まさか、幼女はダメでも男の子ならOKなの? でもお兄ちゃん、絶対ウケだよね。あ、小学生に攻められたいのか』

「な、何言ってるんだよ! 昨日僕をいじめてたやつらだったから、ちょっと驚かせてやろうとしただけで」

『もう、お兄ちゃんってば、いやしんぼ。その小悪党的発想はまわりまわって愛おしさを感じなくもないけど、そんなことしてる場合?』


 たしかにそのとおりだった。

 僕は神社へ向かう。衣装は失ったが、幸い、すぐそこだった。

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