第3章

第34話 運命と絆



この日本には、名家という存在がある。

数百年から千年以上続いている家の事だ。


現在は核家族化が進み、家の存在が希薄しているが、そういう家庭でもこと冠婚葬祭となれば家のしきたりだとかルールだとかを持ち出して波を立てる人もいる。


取ってつけたように、その時だけ家のしきたりを重んじても何の意味をなさない。本当の名家と呼ばれるものは日常からその家の歴史を重んじて生活をしている。


だが、過去において戦や戦争、飢饉や火災などの厄災、又は後継者問題、相続による潰し合いにより代々受け継がれてきた所有財産を売却し、手元に何も残っていない名家もある。


一方、歴史上においてその時代の主要人物又はその要職につき代々反映を極めている名家も存在する。


白鴎院家、西音寺家、龍賀家、北辰家、黄嶋家、藤宮家などがその繁栄をもって日本、若しくは世界に名を轟かせている名家である。


その名だたる名家の中で白鴎院家は、各名家を代表する家柄であり、白鴎院グループとして世界経済の中枢を担う存在でもある。


その代表である白鴎院兼定は『総代』と呼ばれており、権力も金も全てその手中に収める人物である。


その総代の前に俺と聡美姉は、今、白鴎院家が所有するホテルのスイートルームに併設されている応接室で対峙している。


目の前のテーブルには、豪華な昼食が並んでおり目移りしてしまう。

何時もの聡美姉なら冗談を言いながらバクバク食べているところだが、流石に総代を前にしてそれはできない様子だ。


「さて、食事でもしながら話をしようか」


威厳のある低い声でそう切り出した総代。


「はい、ご馳走になります」

「はい、頂きます」


俺と聡美姉は、そう答えた。


この部屋に入る時、入念にボディーチェックをされており、専属の警護官は、部屋に入らずドアの前で待機していた。

つまり、この部屋には、偏屈そうな爺さんと俺と聡美姉の3人だけだ。


「東藤和輝君、そうだなカズキと呼ばせてもらおうか、ユリア・シルクフォーゼは壮健かね?」


「元気だと思います。あの人は殺しても死ぬような人ではないので」


「ハハハ、確かにそうかもしれぬな。儂は1度ユリア君に助けられた事がある。

あれは、儂が70手前の事だったか、南米に建設した工場を視察に行っていた時だ。空港に戻る途中で、利権を得られなかった政治家の手配でマフィアに襲われた。日本と違って向こうでは銃撃戦だ。防弾ガラスの車に乗っていても、手榴弾やロケットランチャーで狙われたら車ごと吹き飛んでいただろう。そこに現れたのがユリア・シルクフォーゼだった。彼女は単身で総勢30名程のマフィアを蹴散らしたよ。その時は、まだ少女だったがね」


「ユリアならやりそうです。もしかしたら機嫌が悪かった時かもしれません。無茶な事をしてたと武勇伝を酒のツマミにしてましたから」


「そうか、そうか。ハハハ」


偉そうな爺さんだと思っていたがよく笑う人だ。

聡美姉は、緊張して一言も喋っていない。

食事も喉に通らないようだ。


「ところでお尋ねした件なのですが……」


「うむ、紫藤達の事だな。わかっておる。儂が直接依頼したのじゃからな。安心せい。紫藤達は無事だ。今言ったユリアのところにおると連絡があった」


ユリアが絡んでいるのか?

でも、無事でよかった。

珠美に良い報告ができる。

聡美姉も安心した顔をしている。


「そうですか、安心しました」


「カズキ、君は紫藤達のことが心配かね?」


「ええ、勿論です。娘の珠美を預かっているので、その子を悲しませたくないです」


「ほほう、その気持ちはいつ持ち始めた?」


そう聞かれて俺はハッとした。

そう言えばいつそんな事を思うようになっていたんだろう。


「正直わかりません。でも、最近だと思います」


「自分の心がわからぬか?」


「ええ、これまで他人の心配などする事はありませんでした。ですが今は守りたい人ができました」


「うむ、そうか……」


総代は、思案するように顔を曇らせた。

その表情からは、何を考えているのか見当もつかない。


「お主達は、昨日、ミレーの『オフィーリア』を見に行ったようだな」


俺達の行動は筒抜けみたいだ。


「はい」


「では、シェークスピアの『冬物語』は知っておるか?」


「俺は知りませんが、聡美姉は知ってると思います」


俺は一言も発しない聡美姉を見ながらそう言った。


「そうか、これはシェークスピア晩年の作品じゃ。シチリア王リオンティーズは、親友のボヘミア王ポリクシニーズと親友だった。だが、リオンティーズは妻のハーマイオニとポリクシニーズが密通していると誤解するのじゃ。嫉妬に狂ったリオンティーズはポリクシニーズを毒殺しようとする。だが、ポリクシニーズは、難を逃れて祖国に帰るのじゃが、怒ったリオンティーズは、妻のハーマイオニを牢獄に入れてしまうのじゃ」


「誤解だったのですよね。何故、妻を牢獄に?」


「その時はまだ、疑いは晴れておらん。妻のハーマイオニは獄中で子供を産む。女の子をな」


「それは、リオンティーズの子供なんですよね」


「そうじゃ。誤解なのだから密通などしておらん。だが、リオンティーズは、その子をボヘミヤ領内に捨てた」


「それは、妻も子供も救われない話ですね」


「うむ、そうではない。捨てられた子供パーディタは羊飼いに拾われ年頃へと成長する。そして、難を逃れたボヘミヤ王ポリクシニーズの子供、王子のフロリゼルと知り合い恋仲になるのじゃ」


「それは運命としか言いようのない再会ですね」


「話はまだ続くのじゃが、結果的には2人は結ばれ大団円で終わる。ハムレットとは違い、みんな幸せになるという話なのだが、カズキ君、君は昨日百合子と会ったか?」


俺がウエノの美術館を訪れている事を知っているなら、百合子のことも当然知っているだろう。


「ええ、美術館ですれ違いました」


「会って話はしなかったのだな?」


「俺にはできません。確かにいろいろな話をしてみたい気持ちはあります。ですが、俺は……」


「身分が違うと?」


「そうかも知れません」


「それは嘘じゃな。身分が違うなどという奴がこの私と平気で食事をするはずがない」


確かに権力そのものの総代と百合子は大違いだ。


「俺にもわかりません。ですが、賢一郎からは百合子を頼むと言われてましたから、一生見守り続けると心に誓っています」


「ほほう、賢一郎がそんな事を言ったか?」


「はい、俺の盾になり銃撃を受けて亡くなりました。その前に俺に何かあったら百合子の事を頼むと言われてました」


「そうか、その話は初耳じゃ。百合子は、未だに夜うなされるそうだ。余程、あの時の事がショックだったのであろう」


「そうですか、まだ、百合子は立ち直って無かったのですね」


「ああ、おそらく一生消えない心の傷となっているのだろう。目の前で多くの者が亡くなり、慕っていた兄が拉致されたのだからのう」


トラウマになっても仕方のない出来事だった。

俺も未だその傷は強く心に突き刺さっている。


「そうですよね。俺も心の傷となっています。一生癒えるとは思えません」


「うむ、あの時百合子は4歳じゃった。運良く助けられたが、それからは酷いものだ。夜になると夜驚症のようにパニックを起こす。それが何年も続いた。それ故、百合子と同年代のお付きと警護官を側に付けた。今では、各名家もそれが当たり前になっておるがのう。カズキ、お主は百合子の心を癒す事ができるか?」


「…………わかりません」


「そうか、だが、儂から見れば少し検討の余地は有りそうじゃ。どうじゃ、百合子と会って話でもしてもらえぬか。これが白鴎院兼定としてではない。百合子のじいさんとしての頼みじゃ。運命という言葉は儂はあまり好かない。でも、そうとしか思えない事はあると分かっておる。お主と会えたのは運命に導かれた人の絆という糸が結ばれたからじゃ。この糸を太くするも途中で切らすもお主の心がけ次第だ」


だが、俺は……


「少し時間を……」


その時、今まで黙っていた聡美姉が口を開いた。


「カズ君、最初は手紙なんかどうかな?今時、流行らないけどその分言葉に重みがあるし、気持ちを字に載せられるよ。今、思ってる事、今までの事、日常のことなど何でもいいんだよ。そこから初めてみれば?百合子様の反応もわかるしよくない兆候が出たら止めればいいんだから」


「ほおう、流石、女子おなごじゃな。男の儂には考えが及ばなかったわ。確かに手紙は良いものじゃ。これでも婆さんとやりとりした手紙は今でも大切に保管しておる。百合子にいきなり会うというのは荒治療だったかもしれぬ。それに会うのはまだ時期じゃなさそうだ」


総代は俺の様子を見て、会うのは早いが手紙は大丈夫だろうと判断したようだ。


「わかりました。手紙を書いてみます」


「では、早速じゃ。おい、おるか?」


総代は、テーブルにあったベルを鳴らした。


「はい、何でございましょう」


部屋に入って来たのは、聡美姉が無口になってた原因のひとつでもある。

藤宮久留美、聡美姉の実のお姉さんだ。


「手紙を書きたいのじゃがな」


「ホテルに備え付けのもので良ければ直ぐに用意致します」


「それでは味気ない。もっと華やかなものはないか?女子が使うような」


「わかりました。少しお時間を下さい。手配致します」


こちらをみないで藤宮久留美は部屋を出て行った。

どこかに連絡を入れてるようだ。


「時間はまだある。カズキよ、ここで百合子へ手紙を書いておくれ」


そう言われては断れない。


「わかりました」


俺は何を書こうか、今から悩んでいた。



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