第14話 それは、宴会の場でのことでした

 差し出した手を無視され、ルドは呆然とした。だが、すぐに我に返り慌ててクリスを追いかける。


「師匠!」


 クリスはルドの声を背中で聞きながらオグウェノの前まで来た。オグウェノがルドの様子をチラ見しながら、クリスに確認する。


「このまま謁見する、でいいのか?」


「はい。いつかしないといけないのであれば、さっさと済ませます」


「よし。なら行こう」


 オグウェノがクリスと共に歩き出す。

 ルドはそんな二人を拍子抜けした様子で眺めていた。ゴソッと半身が抜け落ちたような虚無感が襲ってくる。

 そこにオグウェノが微かに振り返り、視線だけで挑発するように笑った。意味ありげな視線、というところまでは鈍いルドでも感じたが、その先が分からず首を傾げる。


「宣戦布告ですね」


 いつの間にか隣に来ていたベレンの言葉にルドが慌てる。


「ケリーマ王国と戦ですか!? ぃて!?」


 ルドの足をベレンが容赦なく踏みつけていた。細いヒールは凶器であり、立派な武器だ。日頃鍛えているとはいえ、そんなモノで刺されれば痛みは当然ある。


「誰が国同士の話をしていましたか? クリスのことです」


「し、師匠のこと?」


 ルドが痛む足を庇いながら、そっとベレンと距離をとる。


「このままでは、オグウェノにクリスをとられてしまいますわよ?」


「え!? いや、それは記憶がないからで、記憶が戻れば……」


「記憶は確実に戻るのですか?」


 ベレンに問われてルドは固まった。クリスの記憶が戻る保障などどこにもない。


「皆、記憶がなくてもクリスはクリスと言ってますが、本当にそうです? そう言って、今のクリスから目を逸らしているだけではありませんの?」


「それは……」


 即答できないルドが黙る。ベレンはルドを置いてスタスタと歩き出した。しかし、ルドが動く様子はない。

 ベレンが呆れたように肩をすくめながら振り返る。


「置いていきますよ?」


「あ、いきます」


 ルドはもやもやとした頭を抱えたまま、重い足を動かした。




「ここだ」


 オグウェノが足を止めたのは普通のドアの前だった。ドアに飾りもなければ、見張りもいない。見栄も威厳もない、ごくごく平凡なドアだ。

 ベレンが水色の瞳を丸くする。


「ケリーマ王国の謁見の間のドアは……その飾り気がないのですね」


「謁見の間じゃねぇーよ。親父がそういう堅苦しいのを嫌ってな。入るぞ」


 オグウェノがドアを開けると同時に、乾いた涼しい風が駆け抜けた。

 部屋だと思っていた先は、長い屋根が突き出した庭だった。等間隔に並んだ白い柱が屋根を支え、その先に草花と木々が風に合わせて囁きあっている。


 予想外の光景にクリスが見惚れていると、先にいた黒髪の男性が声をかけてきた。


「月姫、久しぶりだな」


 オグウェノが年齢を重ねたような渋い色気をまとった男性が、クリスに手を差し出す。男性の方は初めまして、という雰囲気ではないが、クリスは初見だ。


「あ、あの……」


 戸惑うクリスにオグウェノが助け船を出す。


「オレの親父のヴィグ・ケリーマだ。つまりケリーマ王国の国王」


「王様ですか!」


 驚くクリスにヴィグがニヤリと笑う。その笑い方はオグウェノと似ていた。


「あぁ。王様って言っても名ばかりだけどな。で、こっちが名だけじゃなくて実力もある女王であり妻のシシ・ケリーマだ」


 ヴィグの隣に女性がフラリとやってきた。頭に布を巻いて髪を隠し、全身を被うゆったりとした服を着ている。

 女性の深緑の瞳がクリスの顔を覗き込んだ。


「おまえがクリスか。あのオグウェノを夢中にさせるとは、どんな子かと思ったが」


「え? え?」


 困惑しているクリスにシシが豪胆に笑う。


「可愛らしい子だな」


「お袋!」


 オグウェノがシシの言葉を隠すように怒鳴った。すると、今まで気安く軽い雰囲気だったシシが真面目な顔になる。


「どんな女に迫られても、軽く遊ぶ程度でいなしてきたお前が執着していると聞いてな。見てみたいと思ったんだ」


「月姫に会いたいって言ったのは、そういう理由かよ……」


 オグウェノが困ったように黒髪をくしゃりとかく。

 そこにヴィグが話を切り替えるようにパンと手を叩いた。


「シシ、オグウェノ。内輪話はここまでだ。客人たち、遠いところをよく来てくれた。さあ、歓迎の宴をしよう」


 使用人が部屋の真ん中に大きな絨毯を敷くと、一斉に食事を運んできた。あっという間に食事と酒が床に並ぶ。


「ケリーマ王国では客人と床に座って、共に食事をするのが親愛の証になるんだ。さあ、一緒に食べてくれ」


 その風習を知っているベレンが笑顔で答える。


「以前、いただいた料理も美味でしたが、この料理も美味しそうですわ」


「そうだろう? 遠慮なく食べてくれ」


「はい」


 こうして全員が絨毯の上に座り、宴を始めた。




 美味しい料理に舌鼓を打っていると、クリスの隣に酒が入ったグラスを持ったシシが来た。


「食べているか?」


「は、はい」


 クリスが少し緊張しながら頷く。悠然と腰を下ろしたシシは、酒を呑みながら訊ねた。


「おまえたちは飲まないのか?」


「師匠は酒に弱いので」


 シシの深緑の瞳がルドを挑発的に睨む。


「おまえは?」


「自分は師匠の護衛中ですので」


「そうか。それは残念だ」


 シシがあっさりと引き下がったため、ルドは意外そうな顔をした。その表情にシシが意地悪く笑う。


「無理やり飲まされると思ったのだろ?」


「あ、いや……はい」


「酒を飲む、飲まないは個人の自由だ。それを押し付けるのは相手のことを尊重していない、ということになる。それは我が国の流儀に反する」


「はぁ……」


 初めてのことに驚いたルドは言葉が浮かばず生返事をする。そんな二人に挟まれて場が持たないクリスは、目の前にあったナッツとドライフルーツをつまんでいた。


 ナッツもドライフルーツもシロップに漬けてあり、紅茶によく合う甘さだ。


 紅茶を飲みながらパクパクと食べていると、ルドが心配そうに声をかけてきた。


「師匠? 大丈夫ですか?」


「どうしてですか?」


「顔が赤いです」


 言われてみれば、なんとなく暑い気がする。頭がふわふわとして、少し気分がいい。


 クリスはヘラっと笑った。


「だいじょうぶですよぉ」


 クリスがつまんでいた料理を見たシシが眉をしかめる。


「あー、これ酒漬けのナッツとドライフルーツだぞ」


 ルドは慌てて水を用意してクリスに差し出した。


「師匠、水を飲んでください」


「あ、はい」


 渡されるまま水を飲んだところで、クリスの目に庭が映った。夜の冷えた風に甘い花のような香りが誘惑してくる。火照った体を冷ますには、ちょうど良さそうだ。


「少し、庭を見てきていいですか?」


 シシが頷く。


「あまり奥に行かなければいいぞ。暗いから足元に気を付けろ」


「ありがとうございます」


 クリスがふらぁーと歩き出す。その足取りは今にも転けそうで危なっかしい。


「師匠!」


 ルドが慌てて後を追う。その様子にシシがニヤリと笑ってオグウェノに声をかけた。


「おまえが入る隙はなさそうだな」


 横目で一連の流れを見ていたオグウェノが、拗ねたように返した。


「まだ、まだ、これからだ」




 遠くで宴の音が聞こえる。夜風は涼しさを超えて寒さを感じるほどだが、今は丁度いい。

 クリスがふらふらと歩いていると、厚めの布を肩にかけられた。振り返るとルドがいる。


「あ、ありがとうございますぅ」


「夜は冷えるそうですから。寒くありませんか?」


「大丈夫ですぅ」


 クリスが微笑む。ただの酔っ払いの笑顔のようだが、夜のせいか笑みに影があるように見える。差し出した手をクリスが無視した時も、このような影があった。


 なにがクリスをこのような表情にさせているのか……


 いくら考えても思い当たらないルドは、思いきってクリスに訊ねた。


「あの、なにか気になることがありますか?」


 クリスが無意識に、ルドがかけた布を握りしめる。


「いえ、なにもありませんよぉ?」


 今にも泣き出しそうな笑顔にルドがクリスとの距離を詰める。


「記憶がなくて不安なことだらけだと思います。自分では役不足でしょうが、なにかあるのでしたら言ってください」


 まっすぐ見つめてくる琥珀の瞳から逃げるようにクリスは顔を逸らした。


「……ずるいです」


「ずるい?」


 意味が分からずルドが首を傾げる。それに対してクリスは、少しだけ顔をルドの方に向けると、ジッと恨めしそうに見上げた。

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