第13話 それは、ほろ苦いお茶でした
目に見えて沈んでいくクリスに対して、オグウェノは話題を変えるために茶を勧めた。
「せっかくの茶が冷めるぞ。この茶はケリーマ王国に古くからあるもので、様々なスパイスをブレンドしているんだ。店ごとに味が違うから、今を逃すとこの味の茶は飲めないぞ」
「い、いただきます!」
そんなに珍しいならと、クリスは顔を上げて一口飲んだ。そして固まった。
「どうした?」
オグウェノとベレンが心配そうにクリスの顔を覗く。一方のルドはティーセットから蜂蜜とミルクを取り出した。
「失礼します」
ルドがクリスのカップを取り、蜂蜜とミルクを足してクリスに戻した。
「飲んでみてください」
クリスが言われるまま一口飲む。すると、暗かった顔が一気に明るくなった。
「美味しいです!」
ルドがホッとした顔で説明をする。
「師匠は意外と甘めがお好きなんですよね。スパイスが効いているお茶も飲めなくはないのですが、それ以上に甘みが欲しいのだと思いました」
「ですが、以前一緒にチャイという茶を飲んだ時は普通でしたよ。あのお茶も強めの香辛料が入っていました」
ベレンの話にルドが苦笑いをする。
「たぶん表情に出さずに飲んでいただけだと思います。師匠は苦手なものでも顔に出さずに食べますから」
「そういうことですか」
ベレンが感心していると、クリスが飲みかけのカップを置いた。
「ルドさんは私のこと……いえ、私が記憶を失う前のことを、よく知っているのですね」
「よく、ではありませんが」
ルドがどこか照れたように笑う。
「そう……ですか」
クリスは再びカップを持ちあげて茶を口に含む。先ほどまでちょうどいい甘さだったはずなのに、今は味気なく感じた。
チビチビとお茶を飲むクリスをオグウェノが横目で観察する。そこに、四十代ぐらいの女性が部屋に入って来た。
目の周囲をアイラインでくっきりと書き込み、茶色の目を大きく見せている。ぷっくりと盛り上がった艶やかな唇に、褐色の肌。
メリハリのついた体型を隠すことなく現した服で、腰をくねらせながら歩いてきた。
「お久ぶりですわね、第四王子」
オグウェノが椅子から立ち上がり、豪快な笑顔とともに握手をする。
「久しぶりだな、支配人。今日は無理を言って悪かった」
「王子の無理は、いつものことですから」
二人の挨拶の様子にベレンが驚く。
「女性の方が支配人でしたの!?」
「前も言っただろ? ケリーマ王国では男も女も関係ない。実力があれば、なんにでもなれる」
女性支配人がベレンに流し目を送る。その妖艶な表情にベレンの胸が思わず跳ねた。
「あの服を選んだセンスの良いお嬢さんは、あなたね。とても素敵に仕上がったわよ」
支配人の言葉に合わせて、仕上がった服を持った店員が入室する。
「こちらで着替えをどうぞ」
支配人に案内されてクリスとベレンとルドは、それぞれ別室で着替えをした。
最初に部屋に戻って来たのはルドだった。
上下ともに白色の布は赤い髪を浮かび上がらせる。首から鎖骨まで出ている、ゆったりとした服装なのだが、ルドのしっかりとした体格がよく分かる。腰の紐で締めているだけなので、風通しもよく涼しい。
「なかなか似合ってるな」
オグウェノが満足していると、ベレンが戻って来た。
「どうですか?」
オレンジ色を基調とした布を胸から下に巻き付け、腰からスカートのように広がっている。裾は白色や赤色の絹糸で花や蝶の刺繍が施され鮮やかだ。
白に近い金髪と白い肌にオレンジの布が映えている。
「よく似合っている。だろ? イディ」
話を振られ、呆然と見惚れていたイディが慌てたように何度も小さく頷いた。
「ありがとう。ほら、クリス。あなたも」
ベレンがドアの端で隠れていたクリスを部屋に引っ張り込む。
「で、ですが……」
クリスが戸惑うように入って来た。その姿にルドが息を飲む。
クリスは鎖骨から肩、手先まで華奢な腕が露わになっていた。手首には白いレースが縫い込まれた布を付けているだけで、ほとんどの素肌を晒している。
布があるのは胸から下で、淡い緑の布を巻きつけた状態のため、上半身の体型が綺麗に現れている。腰から下はフワリと布が広がり、その下にゆったりとした白いズボンが見える。布の裾には白いレースが縫い付けられ、上品に仕上がっていた。
クリスが恥ずかしそうに両手で上半身を抱えるように隠す。
「あの、私も袖がほしいのですが」
クリスが恨めしそうにベレンを睨むが、恥ずかしそうな赤い顔では可愛らしいだけだ。オグウェノが立ち上がり、大股でクリスのところに来た。
「とてもよく似合ってる。さすが月姫だ」
「なにが、さすが、なのか分からないです……」
狼狽えているクリスにオグウェノはニヤリと笑うと、どこからか半透明の真っ白な布を取り出した。
「だが、その肌をそこらへんの男どもに見せるのは、もったいない」
そう言って布をクリスの肩にかける。その姿に女性支配人が悩んだ。
「あら、隠しちゃうの? でも……そうね」
支配人が控えていた店員が持っている箱を開け、中から布留めを取り出す。
「これなんかピッタリね。目と同じ色だし」
鳥の羽のような形をした細かい金細工の中心に深緑の宝石がある。支配人は布をクリスの胸の前で留めた。そして一歩下がってクリスの全身を見る。
「うん、いいわね。王子、独占欲もそこそこにしないと、苦しくなって逃げられますよ?」
「肝に銘じておこう」
露出が少なくなったことで安心したクリスがルドに駆け寄る。
「ルドさんも似合ってます。カッコいいですね」
ようやく我に返ったルドがクリスと視線を合わせる。
「あ、ありがとうございます。師匠もよくお似合いで……」
「そうですか?」
クリスがほんのり染まった頬を両手で覆う。恥じらうようなクリスの動作にルドの顔もなぜか赤くなる。
そんな二人の様子を見て、支配人がオグウェノに小声で囁いた。
「王子になびかない女性は初めて見ました」
「だろ? そこが、また良いんだ」
「物好きですね」
「そうか?」
「はい」
支配人に断言されたオグウェノが困ったような顔になる。
「そういうつもりはないんだがな」
「隣国からの縁談も断って世界を放蕩するのもよろしいですが、そろそろ国のこともお考えになったほうが、よろしいのでは?」
痛いところを突かれたオグウェノが苦い顔をする。
「そこらへんは姉貴たちに任せている。ま、気にするな」
「婚礼衣装を私の店で注文して頂けるのであれば、気にしませんよ?」
「結局はそこか。考えておこう」
オグウェノは豪快に笑った。
ケリーマ王国の服に着替えたクリスたちは街を軽く散策した後、王城の前に立っていた。
茶色の建物や壁が多い中、真っ白な王城は際立っている。緑の木々に囲まれた中に、ドーム型の屋根という独特の形をした左右対称の造りの王城だ。
城の壁一面に貼られた真っ白なタイルが黄昏に染まり、輝いている。その光景にクリスから自然と言葉がこぼれた。
「……綺麗ですね。まるで太陽のようです」
オグウェノが見慣れた様子で城を見上げる。
「ケリーマ王国の顔だからな。それなりに立派に造ってる。それより、珍しく親父とお袋がさっさと仕事を終わらせて、待ってるってよ」
「珍しく?」
クリスが訊ねるとオグウェノは先導するように城内へ歩き出した。
「親父は……まあ、さぼりが多いが、お袋は真面目に残業していることが多いんだ。そんな二人がさっさと仕事を終わらせたってことは、相当月姫に会いたいってことだな」
「ですが、私は……」
クリスの足取りが重くなる。ルドがどう声をかけるか悩んでいると、オグウェノが軽い声で言った。
「記憶のことは気にするな。二人……というより、お袋は月姫に会えるだけでいいんだってよ」
「でも……」
ついにクリスの足が止まる。ベレンがクリスの隣にきて声をかけた。
「謁見は後日にしていただきましょうか? 本日は旅の疲れが出たと言えば、無理は言われないでしょうし」
「それでも、いつかは会わないと……」
「師匠」
ルドに呼ばれてクリスが顔を上げると、手を差し出された。
「いきましょう」
クリスがルドの手を見つめる。ゴツゴツと筋ばった大きな手。それでいて指はスラリと長く、綺麗な形をしている。
「大丈夫です。自分が側にいます」
ルドの言葉に押されるようにクリスは大きく息を吐くと、全身に力を入れた。
「はい!」
クリスがルドの手を握ることなく歩き出す。
「え? 師匠?」
てっきり手を取ると思っていたルドは目を丸くしたまま立ち尽くした。
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